第34話 悪意と敵意
赤竜帝国が新兵器の登場に沸いたころ、青竜帝国ウェルスも動かずにいたはずがない。ウェルス皇帝にして元首ルクレツィア・アウレリオス・スキピオは忠実な神の徒であり機械文明に対する理解はない……むしろ機械というものを忌避するので技術面での進歩は望むべくもないが、女神イーリスに依拠する精神文明の発展に関しては余念がない。適性のある人間に女神から授かった神力を流し込んで超越種としての力を持った新人類を生み出し、それを指揮官として前線へと送り込む。
ルクレツィアの打つ手はそれだけにとどまらぬ。八葉大陸アルティミシア最東北の国、ヘスティアに使者を送り、「いま、疲弊しているアカツキ(ルクレツィアは皇帝・新羅辰馬を認めず赤竜帝国の号も認めず、頑としてアカツキと呼称する)を伐てば岩が卵を砕くがごとし。さすれば余と卿で天下を二分せんか」と言わせヘスティア皇帝オスマンに大陸大同盟からの離反を唆す。さらにクールマ・ガルバの宮廷にも使者を送り、こちらにはアカツキ攻撃の尖兵とならぬなら捕虜としたクールマ・ガルバの民を虐殺すると恫喝、そのうえさらに赤竜帝国本国にも細作を放ってなかば幽閉の状態で無聊をかこつ先帝、永安帝とその側近に接触、赤竜帝・新羅辰馬への不満を煽らせた。
こうした動きを誰より早く捕捉して注進するのはいつものように晦日美咲であり、美咲は独断で永安帝側近の野心家数人を斬ったが悪意と敵意はそれで収まるものではない。むしろ直接的な攻撃を受けたことでかれらの動きは過激なものとなっていく。辰馬のゆるく優しい統治は人々にとって過ごしやすいが、寛容すぎるために太宰の町は犯罪者が隠れ住むにも悪くない土地になってしまっており、報告を受けた辰馬は出陣を前にして貧民街区の犯罪者を根絶やしにするという気の滅入る仕事を行わざるをえなかった。
「はぁ~……ぅぷ……」
ざしゅ、と天桜が賊ののどを突き刺し、腕を通じて伝わるいつまで経っても慣れない死の感触が辰馬の気分をどうしようもなく沈ませる。相手は犯罪者ながら大した腕利きというわけでもなく、辰馬としてみれば完全な弱い者いじめ。しかしながらこういう膿出しの仕事を他人に任せるということは辰馬として絶対にできず、結果として100人からの精鋭兵の陣頭で最大の戦果をあげている辰馬だが、その白面は限りなく土気色であり、腰に下げた複数のエチケット袋は吐瀉物で膨らむことになった。
「たぁく~ん、こーいうのおねーちゃんに任せてていーんだよ?」
「まったくだ、皇帝。市井のドブ掃除はあなたの仕事ではない」
牢城雫ともうひとり、隻腕の剣客・厷武人が辰馬を気遣う。雫も武人も平然とした顔で犯罪者たちを容赦なく斬り捨てていくが、主君である辰馬の危うさ(技量についてではなく、精神的な面で)に気が気でない。実際、本来武人が言ったように「市井のドブ掃除」は皇帝の仕事ではない。すべてのことがらに責任を持ちたがるのは辰馬の美点であり、同時に欠点でもあった。責任を取るという気概は立派なのだが、辰馬は精神的に脆く儚く優しすぎる。いくら軍事の天才、そして世界最強の盈力の使い手といっても、戦乱の世の君主としては不向きというほかなかった。
1つの犯罪組織を頭から末端まで一人残らず全滅させ、そしてつながりのある別組織も襲撃して全滅させ、それを繰り返す。辰馬と雫と武人と100人の精鋭があれば太宰全域に巣食う犯罪組織、結社を全壊させるのに3日とかからなかったが、3日目ともなると辰馬はもう吐くものもなくげっそりそやつれてしまっていた。必要なこととはいえ売人の少女を自分の手で斬り殺すことになったトラウマがとにかく大きい。
この状況を冷静に観察していたものがいる。こうして辰馬が精神的に消耗し、そしてまた京城から離れて警備も手薄になっているところに、「彼女」は号令を発した。ぞろりと武人の集団が現れ、辰馬たちに襲い掛かる。今度はまぎれもない、腕利きの人斬り集団。彼らはアカツキ滅亡に際して新しい赤竜帝国に受け入れられなかった、あるいは赤竜帝国の支配を拒んだ旧アカツキ武士たちであり、人品は高潔ならずとも武人としての技量は疑いようがない。
戦い慣れた武士たちは数に飽かしてこちらを圧し、辰馬、雫、武人の三人には8人がかりで襲い掛かる。先手2人が刀でかかり、その後ろから2人が長槍、その後ろ2人は鎖鎌、最後尾の2人は鉄網でという、整然と洗練すら感じられる戦いぶり。
「鴛鴦陣か……!?」
桃華帝国の元嘉帝期、海寇の多さに苦しめられた桃華帝国にひとりの若手将校が登場する。秦岳亮という名のその将校は強兵の海寇に自軍の弱卒8人を当て、左右から順に剣、槍、鎖鎌、鉄網の攻撃でことごとく敵を破って快進撃を続け海寇を終息させ、25歳で将軍位を手に入れたという。のち今度は内陸の山岳地帯でヘスティア軍を阻み続け、桃華帝国の武臣巨壁といわれて世を去った。
その、秦岳亮の戦法「鴛鴦陣」を敵が使ってくる。同時に連続で息つく間もない連携を見せる猛攻。辰馬たちが並みの武人であったならここで命を奪われたことだろう。だが、襲撃者たちにとって不幸なことに、辰馬も雫も武人も、「桁外れの」腕利きであった。主導権を奪われるのも一瞬、すぐさま順応し、対応し、凌駕し、圧倒する。
襲撃者を斬り伏せた辰馬は視線の端でなにものかが走り去るのを確認。
「追うよっ!」
辰馬以上に目ざとい雫と武人は確認したときにはすでに飛び出している。相手は逃げられると確信していたようだが、そこは身体能力超人レベルの雫と武人に追われて逃げられるものではない。ここでも中途半端な相手は結局、雫に組み伏せられ、辰馬の前に引き据えられた。
「あんた……本田姫沙羅か」
「ええ、そうです。皇帝陛下!」
辰馬は引き据えられた女武人に直接の面識こそ少なかったが、縁浅からぬ相手だった。本田姫沙羅。ヒノミヤ事変で永安帝を護って落命した大元帥・殿前都点検本田為朝の娘。軍学校を首席で卒業した、辰馬にしてみれば先輩であり、戦乱の中自分の戦功のために晦日美咲の「加護」を強要したり、辰馬がヴェスローディアに向かったときはこちらの事情関係なしで無理矢理アカツキに連れ戻そうとするなどわがままの強い女性であった。北嶺平原の一戦で捕虜になったのち奪爵、一武人に落としたはずだが、やはり親の七光りとはいえ一度は大元帥を拝命した人物、影響力は強く、そして永安帝……というよりアカツキ皇帝家への忠誠心も強いらしい。
「ここであなたを殺し、政道をアカツキにお返しするはずでしたが……縄目の恥辱は受けません、殺しなさい!」
潔さげに言ってのける姫沙羅に、辰馬は「………………」とわずかにためを作り。
そして。
「やかましーわ、ばかたれ!!」
怒鳴りつけた。ひさしぶりに辰馬のばかたれ。もう本当に、頭の悪いばかたれの頭の悪い行動に腹が立っていた。天命論を持ち出すつもりはないがすでにアカツキという国は滅び、新羅辰馬は実力でその後継たるを勝ち取ったのである。そこに今更恨み節を持ち込まれるのが腹が立つ。そして自分は手を汚さずに武人たちをけしかけて戦わせ、失敗したら自分は真っ先に逃げようとしたことも腹が立つ。さらにはこういう、潔さを装って「殺せ!」といえばこちらが感服して殺せないだろうという浅薄ぶりにも、やはり腹が立つ。
「お前の後ろは? 永安帝か?」
「いうと、思いますか?」
「言わんのならそれでもいいが。厷、そこらへんの野良犬連れてきて」
「? は」
「野良犬……?」
「おまえを犯させる。おれも厷もおまえなんか抱きたくないし、つーても手っ取り早く情報手に入れるなら犯すしかないからな」
「……は、ハッタリを。だれより優しい赤竜帝陛下ともあろうお方が……」
「おまえにおれの何がわかる!!」
「っひ!?」
結局、辰馬が本当にそんなことをできるわけもなく。これは姫沙羅が言ったとおりのブラフだったのだが、辰馬の目つきと眼光があまりに凄絶であったために姫沙羅は虚言と見抜くことができなかった。姫沙羅はたやすく辰馬の前に屈し、後ろにいる首魁についての情報を漏らす。
「元老院議員、三河前久(さんが・さきひさ)。そいつか」
辰馬は小さくうなずいた。元老院制度はもともと神国ウェルスのものだが、1200年前までアカツキ、クールマ・ガルバがウェルスの支配下にあったことからアカツキにも同じ制度が存在した。アカツキが赤竜帝国にシフトした時点で元老院は解体したのだが、財産と影響力、情報力はなお健在であり、いちはやくウェルスからの話に接して永安帝復辟を狙ったものらしい。
「どうします、皇帝? いますぐ三河邸に乗り込んでもいいですが……」
「いや、今突っ込んでも証拠とか手に入らんだろ。あとで全部外堀埋めてから潰す」
「たぁくんも大変だよね~。皇帝の絶対権力使っちゃえば一発なのに、それやっちゃうとたぁくんじゃなくなっちゃうからな~」
「やっちゃうとしず姉、おれのこと嫌いになるだろ?」
「なんないよ? でも、やっぱり使わないたぁくんのほーが好きだけど♪」
そのころ。ヘスティア帝国。
「赤竜帝国と青竜帝国、ふたつの竜から使者が来た、か」
「赤竜帝国からは氷の輸出依頼と対青竜帝国の出兵依頼。青竜帝国からは大同盟からの離脱勧告と対赤竜帝国の出兵依頼、ですか」
「いまの勢いは確実に青竜ですな。赤龍帝国には早くも凋落の翳りが見える」
「ですな。赤き竜を捨て青き竜と結ぶべきかと。天下を2分するべし、との文言もありますれば」
「では……赤竜帝国につくべしと思うものは左袒せよ。青竜につくべしというものは右袒せよ」
ぽんと、オスマンが玉座から手を叩くと、文武の官の半数以上が右袒した。現在の赤竜帝国と青竜帝国の勢いを見ればむべなるかなというところではあるが、明確に同盟者である赤竜帝国を見捨てるべしというものがこれほど多いとは。
オスマンは微笑んで軽くうなずき、そして褐色肌の美貌に峻厳な光をともらせる。
「右袒したものたちには死を。卿らに誇りあるヘスティアの臣たる資格はない!」
オスマンの言葉に、近衛のイェニ・チェリたちが右袒した大臣たちを連れていく。いちど新羅辰馬に臣従を誓うと明言した以上、オスマンは決して裏切るつもりなどなかった。
「後悔しますぞ、皇帝!」
「後悔か、それも結構。あの美しき異邦の君とともに味わうならば、後悔も絶望も至上の美味であろうよ。……赤龍帝国に氷2万トンを輸出、そして今回の戦、余みずから出る! 暑さに負けぬイェニ・チェリ隊を選抜せよ!」
「は、わが皇帝は偉大なり!」
武臣たちが唱和した。かれらの多くは実際に新羅辰馬の大陸唱覇戦争に敵として味方として参加したひとびとであり、つねに宮廷に引きこもって動静を見守るだけだった大臣たちに比べ自らの皇帝オスマンと、オスマンが認める赤竜帝新羅辰馬を認めている。
そしてウェルス。
軍指揮官として個の戦闘力にたけた天使や超越人間を擁しはするものの、ルクレツィアの幕下に軍略家はいなかった。
ゆえに、招く。
マウリッツ公とその愛弟子レンナート・バーネル。クーベルシュルト宗教改革戦争と、それに続く第2次魔神戦役後半で活躍した子弟軍師は、あれからさらに研鑽を積みウェルスにやってきた。彼らは善人でも悪人でもなく、ただ戦争芸術家として自らの軍略をもって勝利という花を咲かせる、それだけのために戦う。それだけに知己である新羅辰馬を相手にしても、揺らいだり手加減をしたりすることはまず、ないだろうと思われた。
「あなたがたに求めることはただひとつ、勝ち続けることです。勝って勝ち続けて、暴虐の魔王を倒しなさい。そうすれば権力も金も女も、すべては思いのままです」
「われわれは戦いの場さえあればよいので。まあ頑張らせていただきますよ」
女帝ルクレツィアの威圧的な視線を飄飄と受け流し、マウリッツは気負いなくそう返した。大陸唱覇の本戦、その火ぶたが、いよいよ切って落とされようとしている。
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