第2話 英雄

「ご主人さま、お話が……」

 京師へ帰還の準備を進める辰馬に、神楽坂瑞穗が進言した。かつてあどけない童顔だった瑞穂は8年の時を経て、嫣然たる臈長けた美女、というにふさわしい艶を帯びるに至っている。清冽さと色気を見事に両立させた彼女は新羅連隊の戦女神として、隊員たちのあこがれの的である。ちなみにもう一人の軍師にして戦女神、磐座穣は現在ヒノミヤの政務中でここには随行していない。


「このまま、北上を続けてはいかがでしょう?」

「あー……」

 今回、敵手である桃華帝国、呂燦将軍が仕掛けてきたのは「魏を囲んで趙を救う」の策。こちらとしては目の前の敵を放って京師を救いに帰るが至当ではあるが、この際京師には独力で耐えてもらって、その間に一挙桃華帝国帝都・汴黎(べんれい)を陥落させるという手も確かにある。というか現在桃華帝国は北狄・ヘスティアの鉄騎に蹂躙され、天子蒙塵。このまま北上すれば地上から桃華帝国という国を滅ぼし、ヘスティアと桃華帝国領を南北に分かって支配することも可能であった。


 辰馬もそれに気づかなかったわけではない。むしろ真っ先にそれを考えた。なにしろ敵主力がアカツキ京師に注力している現在、辰馬を遮るものはまずないのだから、大将・北嶺院文に諮ったとしてもやはりそうすべきというだろう。だが、新羅辰馬のモラルはそれを許さない。


「まあ、今回のところは見逃そーや。別に滅ぼしたくて戦ってるわけでもねーしな、この戦い」

 結局はそう言ってしまう。そうすることで最終的な被害が増えることはわかっていても、新羅辰馬は苛烈に敵を殲滅するという手段をとることが出来ない。


「……わかりました。僭言でした、お許しを」

「別にいーけどな。ともかくさっさと戻ろーぜ」

 瑞穂が踵を返して幕舎から立ち去っていくと、辰馬はぐらりと痩身を傾がせる。胸と頭の痛みが耐えがたいほど。神魔の力がアルティミシアから失われて以来、辰馬の身体は変調を来すようになった。もともと盈力とは絶大な神力と魔力をもって成立する力であり、辰馬くらいばかげた威力になると力を維持するために要する力もまた大きい。これまでの殺戒破りにおける心因症もかなり酷かったが、今の辰馬はさらに心臓と脳に疾患を抱えることになっていた。


「……、現状でこれだからな……キツいが……まだ死ねんし……」

 誰も聞いていないことを確認して、呟く。死ねないとは言いつつ、辰馬は自分に残された時間が残り少ないことを実感していた。おそらくはあと10年、生きられるか否か。世界から神力魔力がどんどん減っていけば、辰馬にとって世界はどんどんと生きづらくなっていく。それは最初から覚悟のうえでの事だったが、やはり多少の泣き言は言いたくもなる。


………………

 ところ変わって、アカツキ京師太宰。


「はいはーい、みんな落ち着いて非難してくださいねーぇ♪ 慌てないあわてなーい」

 牢城雫は避難誘導に奔走していた。34才になる現在の彼女は教職に戻り、幼年学校の体育教師。30をすぎてまったく容色衰えないどころか、ますますかわいらしく咲き誇る彼女は、幼い生徒たちと保護者男性のあこがれと劣情の的である。本人もそれに気づかないほど鈍感ではないのだが、服装は相変わらずレオタードに見せブラ、ショートパンツという姿。この格好で普通に出歩くのだから、新羅辰馬がハラハラするのも無理からぬ事ではあった。

「牢城先生、非難の進み具合は?」

 そう聞くのは磐座穣で、穣の身体を横から支えるのは晦日美咲。8年前、初子の此葉を産んで以来、穣はやや体調を悪くした。穣におくれること2年で辰馬との娘を産んだ美咲だがこちらは健常そのもので、持ち前の奉仕精神から美咲の世話に日々奔走している。ときどき癇の強いところのある穣も美咲の前では存外におとなしかった。


「まだ半分くらい、かなぁ? そもそもこの太宰が囲まれるなんてこと自体、なかったからねー……」

「ヒノミヤで収容できる人数は、あと5万人というところですが……」

「京城のほうも10万が限度です……」

「足りないよねぇ……。太宰の人口800万人越えてるわけだし」

「安全な防壁がある場所、というと絶対的に不足ですね……。サティア様の「空間」を操る力が健在ならいくらでもなんとかなったのですが……」

 穣がため息。女神サティアは8年前の時点で神力を返納して、ほぼ完全に神から人間になっている。今なお並みの人間よりははるかに強力な力を誇るとは言え、かつてのように無尽蔵な権能は望むべくもない。それが現在におけるアカツキの主神であった。それでもすでに神なき他国に比べれば、恵まれているというものだが。


「中軍の元帥……本田姫沙良さんだっけ? あのひとでだいじょーぶなのかなぁ?」

「難しいでしょうね。呂鎮南は千軍万馬。本田元帥はしょせん、親の七光りですから」

 雫の言葉に応えたのは美咲。本田姫沙良の過去の態度や人品、そうしたものから鑑みて、桃華帝国の名将・呂燦に勝てる要素はなにひとつない。人品が悪くても将として有能、という人材も世の中にいないことはないが、姫沙良の場合そういうタイプでもなかった。


「まあ、いざってなったらみのりんが……」

「それが出来ればいいのですけど。まず後方勤務の少佐に指揮権を委譲はして貰えないでしょう。彼らにもメンツというものがあります」

「むー……みのりん天才なんだから、あたしに従えーって言えばいいのに」


………………

「師父、包囲完了です」

 桃華帝国の若き偏将・戚凌雲は京師太宰から10㎞の小高い丘に陣を敷き、敬愛する将軍に双眼鏡を渡す。鎮南将軍・呂燦はここのところ具合の悪い足を庇いながら進み出ると、太宰の町を俯瞰した。


「10日あれば陥とせる……が、10日の猶予はあるまいな」

 要害や地形を見渡し、そう言う呂燦。戚凌雲はいぶかしげな顔をした。


「新羅辰馬、ですか?」

「うむ。お前もかつて敗北を味わった相手だ」

「あれは……模擬戦です。実戦ならば……!」

「変わるまいよ。あれは紛れもない天才、赤き竜よ」

 呂燦は辰馬を高く買っていた。この8年間をアカツキ優位に進めたのはほぼ辰馬の手腕ひとつといっていい。ただ戦闘に強いだけでなく、捕虜を扱うに丁重であり、占拠した町で略奪や暴行を行わず、軍を治めること厳正。そして自分の軍でけが人が出れば自らその傷口を吸って膿を出してやるという。辰馬はすべての将士を子のごとく慈しみ、将士みな彼を父のごとく慕う。軍指揮官として理想的と言って良かった。


なので半分くらいは、辰馬に負けてやってもいい。無辜を苦しめるくらいであれば、呂燦は国を売る。


が、のこり半分は目の前に立つ青年将校、戚凌雲。こちらもまた天才と言って良い人材であり、呂燦としては彼をして辰馬に勝たせてやりたいという気持ちも多分にある。


だから。


この一挙でそれを見極めるつもりであった。


………………

「一瀉千里!」

 新羅辰馬は猛然と駆ける。背にはやたらと柔らかいもの、神楽坂瑞穗の身体がある。8年前なら胸の感触にドギマギした辰馬だが、今はさすがに慣れた。この程度では狼狽えない。


 結局、転身したのは辰馬たち新羅連隊8000だけだった。大将・北嶺院文は辰馬の突然の離脱に不可解な顔をしたし、京師が囲まれていることにまだ気づいていないらしい。国は辰馬だけを頼った、というより大貴族北嶺院家の娘にこれ以上、名をなさしめたくないというところだろう。


「んなことゆーてる場合かー? おれと連隊8000で、桃華帝国40000相手……。今回もまたきっついよなぁ……」

「ご主人さまはいつもそれで勝ってしまわれますから……」

「そら、負けたくはねーからな。だからって不利な戦いがしたい訳じゃねーんだが」


「敵影見えてきましたっスよー! 数は42000!」

「2000多いか。ま、なんとかなるし、なんとかするが……全軍、魚鱗で突撃! 目指すは敵本陣、ほかは目もくれるな!」


………………

 攻囲から3日、新羅連隊転身。


 この報せは京師を沸かせた。新羅辰馬という青年の知名度は決して高くない。ヒノミヤ事変を解決したことも魔皇女クズノハ、女神混元聖母を打破して世界から神魔の干渉を払ったことも、公にはされていないのだから当然である。だが気鋭の青年将校(それも超美形)が国難に際して寡兵、王都にはせ参じたというこのシチュエーション、これに民衆は酩酊する。


 まず市壁防衛の義勇兵が新羅連隊の勇戦に勇気づけられ、彼らからの伝聞で都内人民が奮い立つ。市壁には甥も若きもが瓦やレンガなど、適当に投げつけられるものを持って集まり桃華帝国攻囲軍に投擲、呂燦は衝車に傘をつけて攻撃を続けさせたが押し切れず退く。そこに新羅連隊が猛然と殺到した!


「これは……勝てぬな」

 最初の数合で、戦機に聡い呂燦はそう見て取る。ここで新羅連隊を叩きつぶすことは不可能ではないが、それに時間を割かれれば北嶺院文が反転してきたところに都市防衛軍と挟撃され、卵が岩に砕かれるように粉砕されるのは明らか。ここは撤退するほかない。


「まだです! まだ終わりでは……!」

 若い戚凌雲はなお諦められない。しかしこのときになってようやく、彼らは天子・趙瑛が蒙塵した報せに接する。これは新羅連隊……神楽坂瑞穗が彼らに撤退を促すため流した情報工作だったわけだが、事実である以上国家の忠臣たる呂燦とその高弟が天子のもとに馳せないわけにいかなかった。


………………

「敵撤退……、追撃は、いらねーっスね?」

「あー、いらん。うっかり追撃なんかすると大けがするからな」

「では、京師に凱旋といきましょうか、新羅さん」

「ようやく……ようやく主様が、天下万民に認められる日が来でゴザルぅっ!」

「んな、大げさな……べつになんもかわらねーよ」

「いえ、ご主人さま。変わりますよ、今日からは」

 騒々しい三バカをたしなめる辰馬に、瑞穂が静かに、だが決然と言う。それは軍師としての怜悧な判断による言葉でもあり、同時に神託をつげる巫女の言葉でもあった。


………………

「伽耶朝臣(かやのあそん)新羅辰馬を、正3位侍従、征虜鎮北大将軍に任命する」

朝っぱらから永安帝じきじきの呼び出し、ということで登城させられ、なんやあのジジイ鬱陶しい……と思いつつ殿中に上げられるといきなりそう告げられた。


「は?」

 思わずアホみたいな声が出る。しかし数瞬、時間をおくと。


 正3位、征虜鎮北大将軍ということは。


「いや、嘘やん。無位無冠の若造がいきなり正3位とか……」

「いや、嘘ではないぞ」

 またまたー、と辰馬が言うのを、永安帝は先んじて止める。


「さきの国難に当たって汝が見せた功労、まさに英雄の業。ゆえに国家の爪牙として北辺の守りを命ず。股肱・謀臣を養い、よくよく励むよう」

 詔を読み上げる永安帝は自分に酔っているようにも見える。そういえばこのジジイ、人気取り政策が得意なんだっけ……と辰馬は思い至った。たとえ辰馬のことを内心嫌っているとはいえ、民が英雄と認めた人材を粗略には扱えない、そういうことだ。


 いままでに行ってきた難行に比べればはるかに簡単な一挙。しかしそれが多くの国民の目に触れ、わかりやすい勲功として発揮されたことで、辰馬は一躍、歴史の表舞台に躍り出ることとなる。


 これから始まるのは大陸唱覇戦争といわれる、大いなる動乱。神も魔もない世界で行われる人類の覇権戦争であり、そして、新羅辰馬という青年が「完全無欠の赤帝」として帝位に就くまでの物語。

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