第8話 デートの約束

「金がない。何か仕事をくれ」


 俺が愛香のマンションに帰ると、すぐに彼女のところに向かって、仕事がないかと彼女に請う。

 愛香は午後の紅茶時間を堪能していた。ススッと紅茶を啜り、マカロンを摘み出し、口に放り込む。その仕草はブルジョワらしく、上級国民であることを思い出させるものだ。 


「帰ってきてから図々しいですわね。こちらも忙しい身なのよ」

「忙しい?午後の紅茶を楽しんでいるの間違いでは」

「ええ。午後の紅茶時間で忙しいわ。愚民を話す暇はないわ」

「チッ。これだから、資本主義は悪なんだ」

 

 俺はマルクスの資本論を思い出す。

 資本主義社会は資本家にならないと、幸せにはなれない。

 芸術家である俺は、資本家ではないため、青い鳥という幸せを掴むことができないのだ。おのれー、この資本家め。

 いつか、この10億円の倍を稼いで返済してやる。


「それで、どうして仕事が欲しいの?」

「お金が欲しい」

「10億円あるはずよ?ぽち」

「あれは全部使った。妹の口座に入金した」

「このシスコン」

 

 シド目をしながら、お茶を啜る愛香。その目つきは俺の心を貫く目線だ。

 ……違うだ!聞いてくれ。俺の妹は可愛くて清楚な女なんだ!いつも、お兄ちゃんと近寄って来る、お兄想いで良い子なんだ。

 俺は決してシスコンではない!妹が可愛すぎるだけだ!

 だから、10億円を妹に……というのは嘘だ。彼女の

 実は10億円の小切手はまだ、俺が手にしている。一円も使っていない。

 なぜ、小切手を金に変換しないかって?

 10億の金を一気に使う勇気がないからだ。

 だって、大金だぜ?それを銀行に行って、はい、交換で、わーいやったぜ、なわけにはいかないだろ?

 なので、俺の手元にある金は貯金を合わせて0円になる。

 せめて、俺は自分で稼げる範囲のお金が欲しかった。具体的には自分の労力と市場に合った金額。時給1043円くらいの時給が一番適切だ。

 そんなことを考えていると、後ろから扉が開かれる。目を向けると、そこには幼女が一人、こちらに走ってきた。愛香の妹、愛莉だった。


「あ!健次お兄ちゃん!」

「おお!元気にしてたか!愛莉!」


 彼女が走ってガシッと、足を掴んで来たので、俺は彼女を抱き抱えて、上に持ち上げる。

 愛香は軽かった。20キロもない彼女に、俺は高い高い、とし持ち上げてから、くるっと、一周まわす。そして、彼女を下ろした。

 愛莉は少し残念そうにする。もう一回、もう一回と願うが、俺は彼女に微笑みかける。

 やっぱり幼女は最高だぜ!素直でいい!

 あの冷徹な愛香の妹とは思えないほどの、素直でいい子だ。

 そんなことを考えてると、愛香は妹の愛莉に声を掛ける。


「愛莉。お兄ちゃんにお礼を言いなさい。森に迷った時のお礼まだしていないでしょ?」

「あーうん。ありがとう健次にいちゃん」

「おお!どういたしまして」


 俺はそう答えると、彼女の頭の上に優しく手を乗せてから、優しく撫でてやった。

 すると、愛莉は「えへへ」と嬉しそうに笑みを浮かべる。

 わかりやすいほど、いい子だ。俺まで嬉しくなってきた。


「愛莉。今日は稽古があるのでしょ?中国語の勉強あるでしょ?」

「うん。だから、いかなければ。じゃあね、健次にいちゃん」

「おお。またな」


 俺は別れの言葉を言うと、彼女は悲しそうにしてから、この部屋を去った。

 この年で第三国語を学ぶのは、かなり偉いと思う。しかも、彼女は自制心を持ち、勉強に励むのは、さすが坂本家としかいようがない。


「偉いな。愛莉は」

「当たり前でしょ?だって、私の妹なのよ?」


 俺は愛莉が去った扉を後にした視線を愛理に戻した。

 そして、話を戻す。


「さて、話を戻すぞ。仕事をくれ」

「あなた、芸術家でしょ?その才能で何か役に立ちなさいな」

「芸術家に無茶を言うなよ。芸術家は作品を作るだけだ、お金なんて作れない」


 俺が答えると、彼女は眉を細めた。

 なんだ、文句があるのか?悪かったな、芸術家なのに稼ぐ方法がわからないのが。

 俺は絵を描けるが、その後に何をすればいいのかわからない。どこに持っていって、販売すればいいのかがわからない。

 俺は絵の大賞は何度も受賞し他ことがあるが、一度も絵を販売したことがない。だから、絵を描いた先に販売する行為はしたことがないのだ。


「それじゃあ、今週の日曜日。私と付き合って頂戴」

「いいぜ。何をするの?」

「デートよ」

「で、デート!?」


 俺はわかりやすいほど、動揺した。腰に力が抜け落ちるように、俺は倒れ込む。

 この女とデートとは、死んでも嫌だ。残虐で、冷徹で、暴君な彼女とデートするのは、心底嫌悪感を抱いた。


「不満がありそうね」

「当たり前だろ。どうして、俺がお前なんかとデートをしなければならないだよ。この冷徹女」

「電流のご所望?」

「すみません。どうか、電流は流さないでください!お優しい愛香様!」


 手のひら返しだ。

 くそ、この首輪がつけている限り、俺は愛香の永遠の奴隷になるしかないのか?そう考えると、なんと言う惨めな人生を送ったのだろうと、悔やむ。

 冗談はともかく、彼女の真意を知りたかった俺は、彼女に尋ねる。


「で、実態、何をして欲しいだ?」

「一緒に買い物に付き合ってほしい。それだけよ」

「いいぜ。で、日曜日。どこで待ち合わせすればいい」

「一緒にここからでればいいでしょ?時間はそうね、朝の9時でいいかしら?」

「わかった。それじゃあ、日曜日の9時に出る支度をしておく」

「ええ。よろしく頼むわ」


 俺は彼女に背を向けて、この部屋から出ようとする。

 だが、関心のことを聞き忘れたと思い、俺は「あ」と言葉をあげてから、再度愛香の方に顔を向けて口を開く。


「時給はいくらだ?」

「あなたが望む額でいいわ。100万円でも構わないわ」

「……時給1043円で」

「ヘタレなのね」


 ……ヘタレで十分。俺はそんな大金を持てる責任はない。大金を持っても幸せになれる自信がないのだ。

 きっと大金を手にした俺は全部博打に投資して爆死する。

 うん。金は自分にあった部分だけあればいいのだ。

 そう思った俺は、背を向けてブルジョワの部屋から去った。

 何もない自室に向かったのだ。

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