第二章 冷めたコーヒーと熱い紅茶
あれは学生の頃のことだった。
紙コップのコーヒーの湯気が弱くなるのに気がつかぬ程、俺は熱心に見入っていた。
映画の情報誌で何かいいセカンド・ラン(ロードショー等の二番館上映の事)はないかと探していたのだ。
貧乏学生の俺にとって、数百円で一日中楽しめる二番館はなくてはならない存在だった。
学生食堂の片隅に座る俺の廻りには、様々な奴らがガヤガヤとたむろしていた。
ついこの間終わったばかりの学園祭の余韻が、そこここに残っているようだった。
『あーっこの映画、観たかったんだ・・・。
やっと、セカンド・ランになったのね』
かすかに甘い香りがした。
透き通る声に顔を上げると、大きな目が俺を見つめていた。
鳶色の瞳を潤ませるように微笑んでいる。
彼女は俺の隣に座ると、まだ熱くて元気な湯気をたてている紅茶の紙コップを、俺のコーヒーに並べる様に置いた。
『知ってるの・・・この映画?』
俺が尋ねると、大きな目をさらに開いて彼女はまくしたてた。
『決まってるじゃない。
たしか、チェコの映画で、カンヌのグランプリ取ったのよ。
こう見えても私、ちょっとした映画通なのよ』
俺より一つ年下で学園祭の準備で一、二度(しかも事務的に)しか話した事がないのに、彼女は数年来の友人の様に話しかけてくる。
人見知りしない性格なのだろう。
俺とは全く逆の性格で、羨ましく思えた。
『今日、休講になっちゃったんだ。
良かったら・・・一緒にいく?』
俺は自分でも驚く程、自然に話していた。
きっと、彼女の屈託の無い態度に影響されたのであろう。
『行く、行くー。
私は講義あるんだけどこの際、さぼっちゃう』
彼女はそう言うと紙コップを両手で包むように持ち上げて、美味しそうに紅茶を啜った。
少しカールした髪がおでこの所ではねあがり、白い肌を覗かせている。
長いまつ毛が、妙に大人びて見えた。
ドクンと、胸の鼓動が脈打った。
何か熱い液体が、心の隙間にしみ込んでいく気がした。
『飲まないの?コーヒー・・・』
パッと開いた大きな瞳がいたずらっぽく、俺を見つめている。
『あっ、ああ・・・』
俺は慌ててコーヒーを飲み込んだ。
『ウッ、ゴホ、ゴホ・・・』
『大丈夫・・・?』
むせて咳き込む俺の背中を彼女は笑いながら、優しくさすってくれていた。
秋の柔らかい日ざしが学生食堂の廻りの深い木々の間から差し込み、彼女の白いブラウスに模様をつけていた。
その美しさが映画のワンシーンの様に、今でも俺の心のスクリーンにハッキリと焼き付いている気がする。
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