第16話 サイモン&猫VS最凶の✕✕✕!前編


「…………」

 刻一刻と、試合開始の時が近づいている。

「…………………」

 一行は早めの夕飯を取るため、この街で数少ないエルフ料理を出す店に来ている。ジルベールの案内で辿り着いたわけだが、まぁエルフ料理の華やかな事。グルメに目のないビッグケットは当然目を輝かせたし、生まれも育ちも人間ノーマンの国だというハーフエルフのジュリアナも大層喜んだ。曰く、たまに母が作ってくれた思い出の味なのだという。果物、野鳥やヤギ、乳製品、そしてハーブで香り高い仕上げ。エルフ料理完全に初体験の面々は「これが異国の味か」などと喜んだ。その最中さなかで。

「………………………………」

 一人、難しい顔で黙り込んでいる人間がいる。見た目ジルベール、中身サイモンだ。緩慢な速度でスプーンを動かし、あまり食事が進んでいない様子だ。

「おいジルベール、何辛気臭い顔してんだよ?うんこか??」

 それをからかうのは中身ジルベール、見た目サイモン。見た目に合わせて振る舞っているのだとわかっていたが、ジルベールが突然とんでもない事を言い出したのでジュリアナがぎょっとそちらを見ると、中身サイモンもジルベールのそぶりで口を尖らせた。

「違いますぅう、失敗した場合の救済策が万全に整ったから、改めて運営をどう脅すか、色々シミュレーションしてたんですううう」

 そう、ここまでお膳立てされたくせに自分の手腕で失敗するなんてかっこ悪い。そこでサイモンは改めて自分の思考を整理していた。まず魔法使いの背後をとり、第一声で言う事。どういう言葉を選び、どの順序で言えば効果的に相手を揺さぶれるか。予測される相手の反応。こちらの思惑通りだったら、予想と違ったら。

(…あっ、最悪一発離脱でいいのか)

 そういえば、まず今日のアナウンス役がサイモンの予測した法則の通りじゃないと話が始まらない。中身サイモンは顔を上げ、向かいに座る魔法使い二人をちらりと見た。

「なぁ二人共、いざって時は俺からもアウトサイン出していいかな。そういや今日のアナウンス役がそもそも魔法使えなさそうだったら、完全にアテが外れるわけだし。そうなったらもうその時点でアウトだし」

「ああ、いいんじゃね?サイモンさんがやっぱり大きく手上げてくれたら、バツ作るでもいいけど、なんかアクションしたら即離脱出来るようにしておくよ」

 老人の姿をしたエリックはなんでもないことのように頷いた。

「あと……」

 そこで同じく老婆の姿のジュリアナを見て。

「ジュリアナ、変身魔法ってどこまで出来るもんなんだ?例えば…俺が虎になる!とか出来る?」

「いえ、それは普通に無理です。もちろん出来る魔法使いもいますけど、私は無理です。基本的に人相を弄るのが関の山ですね。ただし体格…構成成分さえ変わらなければ、見た目も色も思うままです」

「そうか…」

 てことは突然大きなモンスターに変身して脅すとかは出来ないのか…。ん?

「じゃあ、ピンチになって離脱した後は見た目変身すれば逃げやすくなるってことだよな。ぽんと出口に出て、追手が来るまでにちゃちゃっと出来たりする?」

「あっ、それなら出来ます。理想は今から身体に魔法陣を描くことですけど、あんまり描くとバレかねないので、とりあえずどんな感じにするか私の方で術式を組んでおきますね。設計図があれば少しは時間短縮出来るので」

「うん、ありがとう」

 ジュリアナの返事を聞き、頷く中身サイモン。…よし、じゃあ勝ちをもぎとれるかどうかはやっぱり俺次第ってことだ。後腐れさえなければなんでもいい。脅す、煽る、媚びる、同情を乞う…そうだ、最悪闘技場の詳しい情報を王国にリークするってやり方もあるな。そこまで言えば連中はかなり焦るに違いない。あとは……、……………。

『あらら、また黙っちゃった』

『昨日家でもこんな感じだったぞ。サイモン、考え込むとフリーズするんだ。面白いぞ、この状態で一時間とかそのまんまだから』

『わーっ、そいつはすごい。サイモン君はよっぽど考えることが好きで得意なんだねぇ』

 言葉が途切れた中身サイモンを中身ジルベールとビッグケットが面白そうに見ている。伏せ目がちに難しい顔をしている中身サイモン、つまり見た目ジルベールはかなり声をかけづらい雰囲気だ。一行はこれ以上茶化すことなく粛々と食事を進めた。やがて。

「…ん、決めた!これならいけるだろ!」

 思考がまとまったようだ。そしてがつがつ残りの食事を食べ、ごくりと飲み下す。ガタンと立ち上がる。

「…よし、行こうみんな!いざ決戦の場へ!!」

 時刻は午後5時。丁度開門の時刻だ。全員が頷き、各々静かに立ち上がる。会場に着いてしまえばビッグケット&ジルベール組とは連絡が取れない。まず最初に身体検査を無事抜けてくれることを祈るしかない。

「…頼んだよ、サイモン君。とにかく君が中を通り抜けてくれないと駄目なんだからね」

 中身サイモンが中身ジルベールの肩を叩くと、中身ジルベールもにっと口角を上げる。

「おーよ、任せとけ。どうにか無事にバトンタッチしてやるから。最後は任せたぞ、全員の命がかかってんだからな」

 こくりと頷きあい、会計を済ませ。5人は連れ立って歩き出した。向かうは最終決戦、闇の地下闘技場!

 










「じゃあ、ここからはビッグケット以外全員見た目通りに振る舞うこと。最悪入る前に非常事態が起きたら俺の指示に従ってくれ」

 住宅街ど真ん中、仕掛け扉の前。サイモンが最終確認すると、全員が無言で頷いた。正確にはビッグケットはジルベールの通訳越しなので、若干タイミングがずれたが。

「まずは先頭がジルベールで、次がビッグケット、少しタイミングをずらしてエリックとジュリアナ、最後にまたずらして俺が入る。魔法使い二人は階段の底までついたらそれとない感じで俺を待っててくれ。一緒に入ろう。その間ビッグケットとジルベールは裏口から中に入ってくれ。ジルベール、ビビんなよ。お前が会話の主導権を握るんだ。怪しいと疑われるからな」

「…わかった」

「よし、開けるぞ!」

 石の仕掛けを解き、階段を出現させる。緊張した様子の中身ジルベールと明るく手を振るビッグケットを見送り、エリックがそれとなくジュリアナの手を引いて降りていき、そして中身サイモンもそれに続く。暗く長い螺旋階段。ここを下るのは今日が最後だ。こんな地下の底が全員の棺桶になるなんてとんでもない。絶対生きて、そして勝利の栄光を掴んで外に出る!

「…いらっしゃいませ。勝ち抜き戦への出場ですね…」

 中身サイモンが階段を下るその先で、受付男がジルベールたちに話しかけているのが聞こえる。こっちは見た目が違うから当たり前だが、自分がビッグケットの隣にいないのは少し不思議な気がした。…ビッグケットと出会って6日。もうそんな感覚になったのか。なんとなしに下を見ると、受付と中身ジルベールが何やら話している。その内容が分からないビッグケットは、暇ついでに面白そうな顔で中身サイモンを見上げていた。

(…こら、こっち見んな…!)

 聞こえてもまずいので口パクとジェスチャーでビッグケットに話しかけると、ビッグケットはにこりと笑みを浮かべて受付たちの方に向き合った。…はぁ、ホントに大丈夫かなあいつら。一々気が気じゃない。どうか上手くいきますように…。あえて中身サイモンが目を反らすと、ビッグケットたちは無事中に入っていった。…作戦開始までもう少し。














『いや〜、ビビりだなサイモン。もうちょっとで声震えてただろ』

『当たり前だろ…!下手したら首が飛ぶって聞いて、平常心でいられる奴がどこにいるんだよ…!』

 長い長い洞窟じみた地下通路。正直ジルベールは一度も見たことない景色なので、ビビるなという第一ミッションの時点で無理!と叫びたかったが、信じて待つ仲間のためなんとか勇気を振り絞った。一方ビッグケットは何度も歩いた知った道、堂々と振る舞っている。ジルベールはそんな彼女をちらりと振り返り、小声で話しかけた。

『…ねぇ、ビッグケットちゃん…正直怖くないの?予測とはいえ、相手オーガなんだろ。君、オーガは唯一勝てない種族だって言ってたじゃないか。なんでそんなにけろっとしてるの…?』

 いつかの買い物で。ビッグケットは確かにそう言っていた…「オーガ以外なら負けない」と。つまりオーガ相手だと負ける、死ぬ可能性があるということだ。正直、それを思うと足がすくむ。立ち止まり、後ろの少女を連れて逃げ出したい気分になる。しかし黒猫は、それを聞いても余裕の態度を崩さない。

『ああ、そりゃあ。サイモンがなんとかしてくれるって思ってるからな。それに予想以上の援軍もついた。最悪絶対生きて帰れるんだ、ビビるこたないだろ』

 そう言ってカラリと笑う。

『…ま、私からは絶対白旗振らないけどな。意地でも食らいついてやる。策は色々あるんだ』

 むしろ、ワクワクした様子すらある。ジルベールは眉間にシワを寄せ、下唇を噛んだ。…本当に彼女を奥まで連れて行っていいのか?裏切りとか、薄情者とか、例え非難されても。友人を守るために出来ることがあるんじゃないのか?

『サイモン』

 歩みの遅いジルベールの葛藤を見透かしたのか、ビッグケットがジルベールの肩を掴む。ぐいと振り向かせた彼の瞳に映る黒猫の顔。その金の瞳は闇の中丸く輝いている。

『私を信じろ。大丈夫。大丈夫だ。行こう。なんなら手を繋いでやるぞ』

『…いや、いい…行く、ごめん』

 その凄みある雰囲気に気圧されて、ジルベールは慌てて前を向いた。早足になる。もう少しでこの通路が終わるようだ。…さぁ、自分の仕事が始まるまでもう少しだ。

「………がらんどうだ」

 最深部に着く。大きく開けた空間には、サイモンに聞いた通り誰もいない。…隅っこにうずくまるケットシーの姿以外は。

『ケットシーだ!!!』

 ビッグケットは祖母以外の同族を初めて見たようだ。わっと駆け寄り、肩に手をかけた。

『アンタ、大丈夫か!乱暴されてないか?私達が絶対助けてやるぞ!』

「…!」

 ジルベールがふと気づくと、エリックに渡された目印タグ…小さなクサビがズボンのポケットから抜き出されていた。…ということは、やはり。ビッグケットが握っている。黒猫はさり気なくそれをケットシーの、恐らく少女に渡した。何事か小声で話している。多分これをずっと持っていてくれとかそういうことを伝えているんだろう。なんとお誂え向きなのか、幸運にもケットシー語を解読出来る人間はそういない。少なくともこの場には他に誰もいないし、魔法の気配もない。完全に自分たち3人しか居ない。

(…拍子抜け。警備ザルなのか?それとも罠か…?)

 ジルベールの背中がぞわりと粟立つ。もし自分が主催者なら、こんな瞬間は作らない。それとも完全に舐められているのか?魔法使いの知り合いなんて一切居ないとタカくくられているのか?その気になればここでジルベールが強化魔法をかけるとか、そういうことすら出来るのに。

『…誰もいないな』

『ああ、でも昨日もこんな感じだったぞ』

『…そうなのか…』

 あ、じゃあ舐められてるんだ。ジルベールは少しだけ胸をなでおろした。ここは完全に魔法使いが出入りしないと思われているんだ。なんて間抜けな運営だろう。

「こんばんは」

 そこで奥から声をかけられる。ジルベール、つまり見た目サイモンが慌ててそちらを向くと、ビッグケットがすっと隣に寄ってきた。

『あれは運営の犬だ。あまりビビるな』

『わかってる…』

 蝋燭が照らす不気味で薄暗い洞窟内部。二人の前には、ビッグケットにとって5度目にして最後の邂逅。一方ジルベールは初めて出会う、黒服の男が立っていた。190ほどありそうな、すらりとしているが只者ではない気配を纏った男。ぴしりと直立不動の姿勢をとっている。

「…来ていただけたんですね、光栄です。…正直、今度こそ逃げ出すと思っていたよ。ガッツあるな、アンタたち」

「あぁ。どんだけ怖くても逃げるわけにゃいかないからな。何より、こいつがどんな相手でも戦うって聞かなくて」

 昨日サイモンとこの男が何を話したかはわからない。ただし、ビッグケットがそう言うだろうことは予想がつく。ジルベールはあくまで無難なラインで答えを返した。

「…ふふ、確かに言いそうだ。昨日サイクロプス相手と知ってもあんだけ闘志むき出しにしてたんだ、そうか。誰が相手でも怯まないか」

 …今日の対戦相手。サイモンとビッグケットはオーガと睨んだけど、そういえばまだ正解をもらっていない。もっと強かったらどうする?いや、それもこれも会場に入ってからだ。自分はとにかくこの場を切り抜けてビッグケットを会場まで送り届けなくてはならない。

「…今日の対戦相手。誰なんだ。俺はオーガだと思ってるけどな」

「おや、予想出来ていたんですか。当たりです。それでも来たんですね、はてさて。なんと強いハートなんでしょう」

 ジルベールの質問に、黒服がしれっと頷く。…当たったー…!!嬉しいような、嬉しくないような。まぁ、予想の範囲にドンピシャだったんだ、喜ぶべきだろう。ジルベールは内心の動揺を相手に悟られないよう顔を繕いつつ、後ろのビッグケットをちらりと見た。

『ビッグケットちゃん、やっぱ今日の相手オーガだって。ホントにやるの…?』

『ああやるとも。ほら、いくらケットシー語だからって気ぃ抜くな。あいつに啖呵切ってこい』

『えっ無理…!とりあえず会話終わらせるからね!』

 酷薄な笑みを浮かべる黒服の男を前に、ジルベールは思わず唾を飲み込む。…さぁ、ここを切り抜ければ自分の仕事は終わる…喧嘩なんか売るもんか、下手に騒ぎになっても仕方ないもんな!ジルベールはキッと黒服の男を睨みつけ、

「…ふん、胸くそ悪い奴だな。行くぞ、ビッグケット」

 黒猫の手を掴んだ。これで奥まで行けばミッションコンプリート。あとはサイモンが作戦を決行、つまり身体が入れ替わるまで待つだけだ。ふぅやれやれ…。そう思いながら歩き出そうとすると。

「お待ち下さい、オルコット様。今夜は闘技場最終戦。化け物相手に戦うこともわかっていたはず。なので、改めて事前検査を綿密にさせていただきます。

 本日はビッグケット様登録者様、共に身体検査決行。その上で、こちらが用意した服に着替えていただきます」

「!?」

 黒服が真顔でとんでもないことを言い出した。いや、それは予想出来てた。けど、身体検査って…

(まさか、肛門チェックを僕もやるのか…???)

 ジルベールは顔を真っ青にさせた。いや、このメンタルで演技しろとか無理。無理オブ無理。脂汗をだらだら流すジルベールと黒服を交互に見つつ、会話がわからないビッグケットがこちらを覗き込んでくる。

『急にどうした?あいつなんだって?』

『…最後だから二人共みっちり検査するって…服も着替えろって…』

『……の可能性は…?』

『あっ、それ聞かなきゃ!』

 …こほん。ジルベールは軽く咳払いし、黒服男に向き直る。

「着替えるのも検査も別にいーけどよ、その服が安全かどうかどう確かめりゃいいんだ?それを着た結果俺たちが不利になる可能性はいくらでもあるよな」

「お嫌でしたら別にお二人共全裸でもいいですよ。こちらは困りませんし…特にビッグケット様は気にしないでしょうし。そう言えば、安全性を信じていただけるでしょうか。こちらはとにかく今着てる服を脱いで欲しいだけです」

「ぐっ…」

 顔色一つ変えず紡がれる言葉。とにかく脱いでほしい、ここが重要なようだ。しかし言われた通り全裸になるわけにもいかない。これは巧妙な罠では…?

『嫌だったら全裸でも構わない、ビッグケットちゃんなら脱いでも気にしないでしょ、だって。どうする?』

『ふーん、こっちの意思次第で着なくていいのか。じゃあ着てやるよ。本当にどっちでも良さそうだし』

『えぇー…。仕込みなしかどうかなんてわからないけどなー』

 …と言いつつ、最低限魔法の心得があるジルベールである。黒服が持ってきた服を手に取り、あちこち触ってチェックする。

(…不自然な重みなし、魔力の気配も偏りもなし。気配遮断の気配なし。魔法陣、呪文等の描き込みなし。…くそ、昔やらされたうろ覚えの習い事知識を今使う羽目になるとは…)

 怪しい箇所なし、自分の分オーケー。同じことをビッグケットの分までやる…怪しい箇所なし。恐らく本当にただの布の服だ。ジルベールはほっとしつつビッグケットの分を渡す。

『はい。…着るの?ホントに?』

『ああ、まどろっこしいぞ。お前も早くしろ。ジルベールが待ってる』

 この場合のジルベールとは、イコールサイモンのことだろう。確かにそうだ、けど。ジルベールが一瞬戸惑っていると、

 がばり。

 ビッグケットが躊躇なく上着を脱ぎ捨てた。ちょ、ちょっとちょっとー!!ここ男の目の前ー!!

『ほら、お前も』

 普通に振り返ってくるけど、ほら。じゃない!!もーーーーこれだから!

「ビッグケット様はやる気満々のようですね。で、オルコット様はどうします?全裸ですか?」

「まさか!今チェックしたから着るよ、着てやるよ!!」

 黒服に煽られ、ジルベールも服に手をかける。こうなりゃヤケだ!エリック渾身の魔法術式を見るがいい!!バッ、と服を脱ぎ捨てると、黒服男はおお…!と感嘆の声を上げた。

「見事な彫り物ですね」

「あー、若気の至りだよ。成人祝いで一気に彫ったんだ。かっこいいだろ?」

「ええ、実に壮麗です」

 特に引っかかる言い方ではない。ジルベールがさり気なく黒服の返答に聞き耳を立てるが、タイミング、抑揚共に動揺した様子は見当たらなかった。

(本当に魔法に関して無知なんだな…)

 あるいは一般的な人間ノーマンは皆そうなのかもしれない。しかし、貧富を問わず子供の頃から魔法について山程教え込まれるエルフのジルベールからすると、この無警戒な様子は逆に怖かった。…いや、無知で良かったのだ。ありがたくここを抜けさせてもらおう。

「もういいか?それとも俺もケツの穴調べるのか?」

 隣を見れば、ビッグケットが手慣れた様子で身体検査を受けている。いつの間に現れたのか、鎧姿の男がぺこぺこしながらビッグケットの身体を調べているが、そういう力関係なんだろうか。それを眺めていると、

「…そうですね。最後なので」

 黒服男が無表情のまま返答を返してきた。あーーーキマシターーーーーはい、覚悟決めます!

「…………………わかった」

 心底嫌だが仕方ない。むしろ、裸に描いた術式を大っぴらにしても興味持たなかったんならこちらの勝ちだ。どこの穴を探ろうと何も出てこない。

(もう少し、もう少し………!もう少しで僕の仕事は終わる!!…っアーーーーー!!!!!)

 下着を脱ぎ去った瞬間、サッと鎧男がやってきた。つまり後ろの穴の貞操がご臨終なさった。いや、正確にはサイモンの肉体なのだが。しかし精神的苦痛は同じこと。300年以上生きた今、こんな屈辱を受けるなんて…………人間ノーマン、絶対許さない!!!!














(…うわ、当たっちまった)

 一方、少し時を巻き戻した会場内部。一足先に観客席に入ったサイモン達は、ビッグケット最終戦を控えてがやがやと騒がしい中、鏡の真下を見ていた。

(…これは多分ピタリですね。作戦決行決定おめでとうございます)

 老婆のジュリアナが囁き、

(…ありがとう…でも…くっそーー、緊張してきた!!!)

 見た目ジルベールのサイモンも小声で答える。老人姿のエリックを含めて三人が見上げる大鏡の下、恐らく運営本部。今日そのアナウンス席に座っていたのは人魚の女性だ。魔法使い二人が買い物に出た際、気を遣って買ってくれた魔法の遠眼鏡を覗き込む。鮮やかな紫の髪、尖ったヒレ状の耳、潤んだ大きなエメラルドの瞳が蠱惑的なその姿は、間違いなく上質な美女だ。長机があるので脚はわからないが、人間ノーマン離れしたカラーリングといい悪魔的な美貌といい、これは人外…そして魔法の得意な種族で間違いない。

 ごくり。サイモンの喉が鳴る。入口の簡易身体検査で短剣こそ取られたが、バッチリ想定内。本命は髪に仕込んだ暗器、そして自分の練り上げた脅し文句だ。…やる。やるぞ。俺とビッグケット、そしてジルベールたちの命がかかっている。準備は充分したが、それでも万が一捕まれば終わる。…自分が、ケリをつけなくては。

 そこで背中をぽんと叩かれる。わ!?と叫びたいのを堪えて振り返ると、シワクチャな顔をしたエリックがニヤリと笑っていた。

「緊張しなさんな若い人。こういうのは楽しんだモン勝ちだ。精一杯考え抜いたんだろう。胸張ってやってこい」

「…ッ」

 年下ながら、経験豊富な魔法使いからの激励。それを聞いた瞬間、サイモンは余計な身体の力みが抜けた気がした。そうだ、気張りすぎちゃ出来ることも出来なくなる。…俺なら出来る。なんせ頭だけが取り柄だからな!

「…ありがとう。行ってくる」

「いってらっしゃい」

 並んで座る二人が穏やかに手を振ってくれた。周りの客が訝しげにこちらを見た気がしたが、気にしない。作戦は事前に確認した。まずアナウンス席に近づく。試合開始を待つ。話はそこからだ!静かに走り出す。

 今サイモンが居るのは客席の丁度中程の高さ。右手に魔法の鏡があり、そこを北と呼ぶならここは丁度真東にあたるので、しばらく走らなければならない。柄の悪そうな男たちが客席にひしめいている。今日はもしかしてビッグケット第一戦、バルバトス最終戦より人が入ってるかもしれない。そりゃそうか、史上初の女性勝ち上がり、そして殿堂入り王手だ。今後二度とそんな人材現われないだろう。仮に現れたとしても、あんなに鮮やかに勝利する女性なんているわけない。間違いなく今世紀最初で最後、最大のショーになるはずだ。

(もう少し…)

 歩き回る客を避けて、階段を上がったり下がったり。さらに狭い客席の隙間を急いで走り抜けるのは、体力のないサイモンにはなかなか大変な事だった(まぁ肉体はジルベールだが、体力的に同レベルだろう)。…もう少し!最後に本部が見下ろせる高さまで駆け上がる。本部らしきスペースの天井は観客席と柵で区切られ、その上でひさし状の屋根がついており、観客席から見えない。しかしこれは好都合。ここからぶら下がりつつ飛び降りれば、完全な奇襲が出来るし、飛び降りて怪我するリスクを減らせる。…目算2メートルちょいってとこか。

 ただし、強いて言えばかなり相手を驚かせるし、もし相手がやり手の魔法使いであれば格好の的になる。初撃を防げた所で、離脱の合図を上手く出せるだろうか。最悪連撃を食らってお陀仏だ。

(…いや、悪い想像ばかりするな。大事なのは対処出来るかだ)

 連撃の可能性を思いついたなら、備えればいい。どのみち襲撃時変身を解除するんだ、飛び降りと同時に髪飾りを掴んで攻撃の準備をしておけば…抑止力くらいにはなる。相打ち覚悟で相手の首を狙え。五感ごと操れる相手じゃなければ、魔法を撃つ瞬間に急所を取れる。もしアテが完璧に外れればあっさり死ぬが、その場合はジュリアナとエリックに任せよう。…とりあえず、ジルベールの身体だけは巻き込まれないうちに本人に戻してやらないとな。

 …よし、イメージトレーニングオッケー。メンタル正常。気合充分、いつでも来い!サイモンは知らず笑みを浮かべて柵を握りしめた。やがてポンポン、と拡声器マイクを叩く音が聞こえる。…始まる!

〈皆様お待たせしました!シャングリラ闇闘技場本日の部、まもなく開始です!〉



 ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!



 今まで聞いた中で一番の歓声。初戦でビッグケットが勝った瞬間とどちらがでかいだろう。しかし、こんなに好意的に盛り上がった客の声は間違いなく初めて聞いた。これまではオーナー席で聞いていた声。今は周り中から聞こえるので、ビリビリ振動が来る。

〈実況は私、人魚のペルルがお送りしています!今日はついに特例尽くしのビッグケット選手最終戦!皆様盛り上がって参りましょう!さぁ、まもなく出場者入場です!!〉

 …読み通り。アナウンスは魔法の得意な人魚だ。とりあえずまだしばらく前口上があるから、他の客の邪魔にならないようしゃがんでおこう。不審がられるかもしれないが、こっちの見た目はエルフだし、初めてで不慣れで〜なんて言っときゃ大丈夫だろう。

(…………)

 一応ちらりと周りを見渡す。こちらに向かってくる人間はいない。警備員的に立っている人間もいなかった。このままなら無事作戦が決行出来そうだ。

〈まず先に!皆様お待ちになっているでしょう、殿堂入りがかかった連勝チャンピオン!ケットシー混血女性、ビッグケット選手のお披露目です!〉


 ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!


 またしても轟音のような歓声が上がる。残念ながら大鏡はサイモンの頭上。こちらからでは死角に当たる入り口も見えないし、相棒の表情は伺いしれなかったが…ビッグケットが入場したようだ。

〈皆様これまでの戦いぶり、見ましたでしょうか?!降りしきる血の雨、殺しを厭わないクールな瞳!私もすっかりファンですっ、キャーーービッグケットちゃーーーん♥♥♥〉

 最後は完全に公私混同だった。しかし、会場の客はアナウンス担当の奇声も意に介さない。わぁわぁと声を上げてビッグケットを応援していた。…来た。ステージに小さなビッグケットの姿が現れた。

〈本日はビッグケット選手最終戦、昨日に続いてスペシャルプログラムをお送りいたします!衣装は対怪物の持ち込み等を防ぐため、こちらが用意いたしました!この数日を盛り上げてくれたビッグケット選手に感謝して…特別な物にしております!〉

 ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!

 そこで一際大きな歓声が上がった。多分今鏡を見ればビッグケットの特別な衣装とやらが見えるんだろうが、角度が悪くてここからでは見えない。遠目で見る限り、白っぽい軽装で元の服と変わらないように見えるが…客の反応がすこぶるいい。可愛いかセクシーかどちらかなんだろう。

〈さぁ、そして!そして!!おまたせしました、本日ビッグケット選手と死闘を繰り広げる怪物モンスターは……皆さんビビらないで下さいねぇ、お客様の安全は運営が保証しますので!ご覧下さい!人類最強にして最も禍々しい最凶、暴虐のオーガです!!!〉


 ウワァアアアアアアアアアア!!!??


 観客からどよめき混じりの悲鳴が上がる。サイモンの視界の先、鏡の下を北と呼ぶならあちらは西側だ。ズルリと洞穴を塞ぐ柵が上がり、中から大きな人影が出てくる。…オーガ。シャングリラに住んでいれば、何度も何度も「オーガに気をつけろ」という言葉を聞く。外に出るな、夜に気をつけろ、他の街に行くなら単独行動をするな等々。しかし実物を見るのは本当に初めてだ。

〈見てください!この、ムキムキ!巨体!凶悪な顔!!血と殺戮を求めて夜な夜な歩き回るという残虐な姿!さぁビッグケット選手、これに勝てるのか!?〉

 遠目だが視線を下ろす。真っ赤な肌、額に二本の角、振り乱した長い黒髪。脚を出した簡素な服を着ており、身長は昨日のサイクロプスより小さいくらい…2〜3メートルといったところか。しかしサイクロプスのような鈍重さは感じられない。引き締まった体躯、長く筋肉質な手足。あいつらはその気になればどんな獣より速く走り、高く跳ぶ。一説には巨大ドラゴンすら一人で倒すという。それだけ頑丈で怪力な生き物が、小さなビッグケットと向かい合っている。サイモンは思わず目の前の柵を握りしめた。

(…あんなのと、防戦重視とはいえ戦うのか。ビッグケット…)

 心臓がギュッと絞られる心地だった。早々に話をつけないと、ビッグケットが本当に死んでしまう。いざとなったらエリックに助けを呼ぶことになっているが…脚一本平然と折る女だ。負けん気も強い。きっと、本当の本当に駄目になるまで降参なんてしないだろう。その時、彼女がちゃんと助けを呼べるかは怪しい。

(…俺が、助けるんだ。試合開始までもう少し!!)

 奇遇ながら、さっき改めて運営が強調してくれた。不正は許さない。しかし客の安全は運営が守る。つまり、サイモンが運営側の現実、魔法使用という事実を突きつければ言い逃れ不可ということだ。今か今かと心臓を高鳴らせながら、アナウンス担当ペルルの楽しげな声と観客の賭博タイム終了を待ちわびる。なお今日の総客数は破格の6万人越え、ベット先はさすがにオーガ優勢だという。そんなんどうでもいい、もうすぐ。もうすぐ俺は運営を襲撃する。ジュリアナとエリックもきっと固唾を飲んで待ってる。早くしろ!

〈…では、運営側の準備が整いました!選手の皆様いいですか?!始まりますよー!〉

 …今!行くぞ!!

 サイモンが見下ろす先、小さなビッグケットも戦闘の構えをとった。初戦の緩慢な態度とは一変、アナウンスの言葉をそれなりに理解して開始前から相手の攻撃に備えている。…さぁ、俺たちの。一世一代の大舞台が始まる!


〈レディイイイイ、〉


〈ゴォ!!!!!〉


 その言葉を合図に、サイモンはバッと立ち上がり柵に足をかけた。

「?!」

 サイモンの奇行に周りの客がぎょっとこちらを見た気がするが、そんなのかまわない。一気に運営スペースの天井、ひさしに飛び降りる。…魔法攻撃なし。恐らく誰も気づいていない。

 コンマ数秒の出来事。駆け出しながら髪飾りを引き抜くと、見た目ジルベールのサイモンは光の輪をくぐるように元の姿へ。金髪緑眼の青年の姿になった。さて、無事下に飛び降りれるだろうか。不安しかないが、補助ゼロよりマシだ。とにかく急げ!視界上ではひさしの先端から客席に向かって宙に身を投げ出して。しかし現実は空中で身体を捻り、片手でひさしに捕まって着地点との距離を縮める。

〈さぁっ両者睨、えぇ!!!??〉

 ペルルが実況を始めた直後。視界に突然金髪の男が現れて、さすがの彼女も動揺しか出来なかった。サイモンはニヤリと笑い、手にした暗器のキャップを口で引き抜く。その辺に吹き飛ばす。机に着地した。

〈…動くな、動いたらこの女を殺すぞ!!!〉

 叫ぶと同時に即座にペルルの首元を掴む。完全に主導権を握った。あっけに取られた貴族連中を振り返る頃、ペルルの身体は既にサイモンの腕の中。さらに首元に暗器の切っ先を突きつけることが出来た。…読み通り!!

〈な、だ、誰だお前は!?〉

 実況設備がそのままなので、戦闘実況が途切れた代わりに運営スペースの珍事がリアルタイム実況される。泡を食った顔をした隣の男、恐らく主催者が腰を抜かして動けなくなっている。サイモン腕の中のペルルは動かない。こちらの読みが正しければこいつは魔法使いだ。相手が軽装だとしても油断しない。下手に刺激しないよう黙っているようだ。

 …さて。ここからが演技の見せ所だな。

〈嫌だなぁ〜、昨日ここから見てただろ?あそこで戦ってるビッグケットのオーナーだよ、こんばんは!…あ、昨日のアレじゃ小さすぎて顔までわからなかったかなぁ?〉

 サイモンは自分が出来る限り、最大の醜悪な笑みを浮かべた。主催者、そして周りの貴族連中が恐怖で顔を引きつらせている。

〈その、オーナー風情がなんの用だ?!〉

〈今日の勝ちをもらいに来たんだよ。さて…オーガはどうなってるかなぁ〉

 サイモンの読みが正しければ。ペルルを押さえた時点でオーガは運営の束縛から開放されている。それが今のサイモンに判別出来るだろうか。…いや。

〈…なぁ、使ってるんだろ。オーガに行動制御魔法。客を襲われちゃたまったもんじゃないもんな、信用問題に関わるもんな。この闘技場には平然とおりがある。あそこから人間以外の怪物モンスターを出したこと、一度や二度じゃないんだろ?その上でこの闘技場が長らく運営出来ているのはこの女…いや、アナウンス担当が魔法で制御してるからなんだろう?〉

 カマかけでいい。がちがちに周りを覆ってない以上、制御法はそれしかない。現に昨日魔法反応と言える光を見たんだ。

〈昨日俺たち見ちゃったんだよなぁ、サイクロプスがふわっと光るところ。あれ、魔法だろ?魔法かけてたんだろ??あれれぇ〜、不正は許さない!ご丁寧に穴という穴を調べまくって新しい服までくれる運営様が、「出場者に魔法をかけてる」なんておかしいなぁ〜〉

 大仰な素振りで主催者を見下ろす。主催者は慌てて拳を振り上げた。

〈な、何がおかしい!?ケダモノから大切な客を守るのは当然の努めだ!そのために魔法を使うなら正当使用の範囲だろう!〉

 そうだそうだと取り巻きが叫ぶ。…うん、それも想定内の返事。可笑しくて笑い出しそうだ。

〈…じゃあ、なんで客席を物理的に囲わないんだ?〉

〈?!〉

〈主催者様、元々貴族な上こんなにたくさんの客を集めて集金して、金には困ってないんだろう?有り余ってるだろう?それなら、客の視界を遮らず下の出場者が上に上がってこれないような、柵でも透明な壁でもバーンとつければいいじゃないか。そんでそこに防御魔法だのなんだのかけとけばいい。わざわざ出場者に魔法をかける必要がどこにある?壁を工事して一旦そこに魔法かければ、壊されるまで二度と弄らなくて済むのに〉

〈…!!〉

〈てことは、運営側には、一々出場者に魔法をかけなきゃいけない理由があるんだよな?それってなんだろうなぁ??〉

 にたり。笑みがもれる。これで第一段階突破。相手はわかりやすく顔を青くしている。…付け入る隙がある。あとは理詰めで追い詰めるだけだ。ごめんなさい、今その人が魔法使ってます、不正の可能性を認めますって言うまで!

(…楽しいショーはこれからだぜ!!)








 時を少し戻し、試合開始寸前のビッグケット。黒猫は昨日のサイクロプスより少し小さい、しかし簡単に倒せる相手ではないオーガをキッと睨みつけていた。血に飢えた赤い瞳。その顔には向かって左の頬に青い入れ墨がある。猫に引っかかれたような線が頬から鼻に向かって二本。その下に雷のようなマーク。

(…オーガの男、リーダーから見て二番目の息子。雷の紋を頂くファミリーの一員)

 その昔祖母から教わった情報を思い出す。オーガは顔に紋様をつけることで血族単位の群れを分け、敵味方の識別をしている。またその「入れ墨」「描画」という文化があるからこそ、怪物モンスターというより人間に近いのではと分析されている。オーガの入れ墨は彼らを人間たらしめる大切な要素だ。…とかいう考察をするまでもなく、こいつは本当にオーガらしい。正直クソ獰猛と言われるオーガをここまで引きずってこられるのか疑問だったが、間違いない。これは正真正銘生身のオーガだ。

 …となれば取れる作戦は一つ。みっともないがとにかく捕まらないよう逃げるしかない。捕まったが最後、今まで彼女が闘技場でしてきたように手足を引きちぎられるだろう。こいつらに理性はない。あっても限りなく薄い。むしろ、残虐性がピカイチだ。他者を遊んでいたぶって散々傷つけて、そして手足をもいで食べるのだ。そんな目に合うわけにはいかない。サイモンに、ジルベールに、生きて帰ると約束した。極力戦いを引き伸ばした上で絶対に生きて帰る!

〈…では、運営側の準備が整いました!選手の皆様いいですか?!始まりますよー!〉

 アナウンスの女がキンキンした声で何か言っている。タイミング的に最後通告だろう。そろそろ試合が始まる…!

〈レディイイイイ、ゴォ!!!!!〉

 瞬間、予想通りオーガの身体がふわっと光った。そして



 ヴオオオオオオオオオオオ!!!!!!



 地の底から響くような咆哮がビッグケットの耳をビリビリ震わせた。ずしん、一歩踏み出す足からえらく重い音がする。ビッグケットの知識が確かなら、こいつの重さは身長から100を引いて1.2倍。150キロ前後あるはずだ。

(すげぇ迫力!!)

 そこから悪魔のようなパンチとキックが飛んでくるという。威力の最高値なんて考えたくもない。とにかく当たらないように。この巨体ならかすめるだけで骨が砕けそうだ。そこでオーガがこっちをはっきり見る。認知された。…さぁ、命がけの鬼ごっこの始まりだ!

「ヴゥオオオオオ!!!!」

 跳んだ。こちらとあちらはそれなりの距離があったのに、一歩。たった一歩でこちらに詰め寄ってくる。

(速い…!)

 しかしオーガはビッグケットなど気にも止めず、その隣をすり抜けた。

『!?』

 まさか。オーガはその視界にビッグケットの背後、客席を収めている。目の前のチビより「獲物」の多い場所を選んだのだ。

(もう魔法がきれてる!)

 サイモンの方がどうなっているか、悠長に気にかけている余裕はない。とにかくオーガを追いかけた。客席に飛び込む前にあいつを止めなくては。

『おいテメェ!このっ、止まれ…!』

 ビッグケットとて速さに自信はあるが、相手は自分より数段上の脚力を持っている。一瞬の判断ミスとはいえ、一旦追いかける形になると追いつくのは至難の業だ。間に合わない…跳ぶ!


「ヴアオグルルァア!!!!!」


 ビッグケットは必死に叫んだ。オーガが止まる。阿鼻叫喚の様子を呈していた客席も何事かとそれを見た。ビッグケットは、もう一度自分が出せる最大音量で叫ぶ。


「ヴアオグルルァア(来いうすのろ)!!!!!」


 それは、祖母が教えてくれたオーガ語だった。他の誰も信じないかもしれない。しかし、彼らにはきちんと言語があった。祖母は必死に彼らの言語を解読し、それを孫娘に教えた。なぜなら…


「ヴルルヴァオグアア(私の顔が見えるか)!!?」


 ちらりと大鏡を見る。今あちらはサイモンと主催者らしき貴族が揉めているのを映している。こっちは映されないはずだ。…今なら。今だけなら、見せてやるよお前に!


 ビッグケットは仁王立ちになり、前髪をかきあげた。ずっとひた隠しにしていた向かって左頬。


 そこには、赤い瞳。赤い入れ墨があった。頬から鼻に向かって、爪痕のような筋が一本。そして尖った印象の猫の紋。


「…!!」

『見えたみたいだな。…ほら、遊ぼうぜ。オーガは強い相手が好きだろう?』

 ケットシー語の呟きは相手に届いていない。そのはずだ。しかしそのずば抜けた視力でビッグケットの顔は見えたに違いない。グン!とまた一歩、そしてもう一歩でこちらに迫ってきた。

「グアオヴグアアアア(死ね糞チビが)!!!!」

 相手はこちらを完全に敵と認知した。もう後戻り出来ない。…頼んだぞ、サイモン…私の命が持つ間にケリつけてくれよな!










 そして運営スペース。サイモンの目からはビッグケットが必死に逃げ回っている様子など見る余裕がないが、とにかく彼女を信じて事を進めるしかない。こちらは心理戦だ、焦った顔をしたら弱みを見せることになる。…怯むな、演じろ!

〈…まず最初に俺がひっかかったのは、初日のアナウンス担当カトリーヌだった。こんなに怪しくて血なまぐさい地下闘技場に、あんなに美人で上品なエルフ。エルフってのは他種族との交流を徹底的に禁じている。外で誰かと話していいのは王族、外交官、集団の首長と冒険者だけ。カトリーヌは一体どれなんだろう?〉

 そこで貴族たちを見回す。主催者は苦い顔をしている。

〈あんなに品のある見た目とドレスだ、現在、あるいは過去冒険者ですって感じには見えない。王族がこんなとこいるわけない。外交官にせよ首長にせよそうだ。…じゃあなんだ?…犯罪者、倫理異常者、魔法の才能ナシのいずれか。国から追放されたダークエルフの可能性が高い〉

「………」

 アナウンス担当のペルル含め、一同は黙って聞いている。なぜだ?…恐らく。サイモンの読みが当たっているからだ。万が一ペルルが死ねばこの場でオーガを制御出来る人間はいなくなる。運営はそれを恐れている。

(…おっ?)

 そっと盗み見ると、ペルルはちらちらとステージの様子を気にしていた。「魔法が切れたから」だ。オーガとビッグケットが今どうなっているか気になって仕方ないんだろう。…よし、このままいくぞ。

〈そして、次が赤みがかった金髪のアビゲイル。これまた美人で品があった。髪も貴族の流行最先端だ。今日は人魚のペルル。どこからどう来てこいつらに手を貸してるんだろうな?どいつも綺麗で、品があって、魔法の得意な種族。最初はそれ自体は気にも止めなかったんだけど…〉

 サイモンが暗器を持つ手に力を込める。ペルルの喉がごくりと鳴る気配がした。

〈なんで、2日ですぐ交代しちまうんだ?俺はてっきりずっとカトリーヌが実況するんだと思ってた。でも2日で交代した。そして今日も2日スパン。…綺麗どころをとっかえひっかえしたい?ならなんで、2日なんだ?金なら有り余ってる。毎日綺麗な姉ちゃんにアナウンスさせればいいじゃんか。曜日に沿ってる?違う。俺たちの初戦は火曜だった。火曜からカトリーヌが2日。木曜からアビゲイル。そして土曜でペルル。法則的には中途半端だ〉

 ペルルの腕が震えている。出来ればサイモンの腕を外したい。しかし怖くて出来ない。なのでサイモンの腕に手をかけた状態で固まっている。サイモンは話すのを止めない。

〈そこで俺はピンと来たんだ…もしかして。怪物制御のために、そして主催者たちの護衛として、会場全体の安全を握っている魔法使いはアナウンス担当の女なんじゃないかって。だって「試合開始前から終わるまでずっと、会場中に声を響かせてる」。なかなか高等テクだが、アナウンスに乗せて口頭詠唱呪文をかけるにはうってつけじゃないか。てことは、実況が2日で交代するのはなぜか。もしかして、試合中ずっと魔法をかけ続けて疲れるからじゃないか?〉

 そうだろう?ペルルに囁けば、ペルルは必死に首を振った。そうだ、こんなのただの机上の空論だ。こいつらがノーと言えば証明にならない。だからここからが第ニ段階だ。

〈…俺たちは疑念を確信に変えるため、カトリーヌの素性を調べた。そしたら彼女は、連続同族殺しで追放された元お嬢様のダークエルフだった。つまり、あいつがこの国にいるのは魔法が下手だからじゃない。むしろバリバリに得意なはずだ。じゃあ、恐らく他の実況担当も。一般人や貧民じゃない、素性はお嬢様で魔法が得意なんじゃないか?けど、冒険者じゃなくあくまで元あるいは現在お嬢様。トップレベルの実力じゃない。だから、疲れてしまう。恐らくその程度の実力なんだ〉

〈…仮に。仮にそうだったとして、お前の目的はなんだ?こいつが魔法使いだったらなんだっていうんだ〉

 主催者らしき貴族は、ビビリつつも少し冷静さを取り戻したらしい。サイモンを睨みつけて凄んできた。それを見たサイモンは内心にんまり笑う。

〈おや?そちらからそんなこと振っていいのか?じゃあ、今日ここに来た目的を教えてやろう…

 ビッグケットの登録者、オーナーである俺はお前らに判定勝ちの認定をもらいにきた。お前らがここから出場者を操り、不正をする可能性の証明さえ出来れば。運営サイドだろうと不正はアウト。一発失格敗退だろ?オーガと戦わずに勝ちを手に入れられる〉

〈なっ…〉

 なんだって!!??

 その場の貴族たちが異口同音に叫んだ。そして会話が全部筒抜けの客席も。大きなどよめきが起きている。サイモンはここで初めてちらりとステージを見下ろした。ビッグケットが走り回り、オーガの気を引きつつ時間を稼いでいる。…あいつのために、早く決着をつけてやらねば。

〈ここの実況担当は魔法使い。口頭詠唱じゃないと魔法をかけられない程度のレベル。だから客の安全を守るために、アナウンスを通して出場者を制御している。…あれ?だからって、わざわざ疲れてまで口頭詠唱で魔法をかける必要ってなんだ?なんで物理の柵じゃなくて、警備が魔法使い頼みなんだろうなぁ?あれぇ?もしかして、運営さんったら出場者を操って八百長とかやってません?億単位の掛け金を自分たちに都合よく動かすため、魔法使いに警備任せるついでに細工してません??〉

 サイモンが畳み掛けると、どよめきが会場中に広がった。オーディエンスは全員味方につける。貴族連中が歯噛みする中、脅すための包囲網を着々と構築していく。

〈正直、あんたたちを揺さぶる手立てはまだまだある。そっちが音を上げてごめんなさい!って言うまで披露するぞ。例えば…俺の見立てでは、オーガの行動を制御する魔法はとっくに切れてる。ペルルが黙ってるからな。代わりに今俺の相棒がオーガの気を引いて観客を守ってくれてる。けど、あいつだって限界はある。もしあいつが力尽きて食われたら…さて。観客とお前らの安全は誰が守ってくれるんだろうな〜?〉

〈ぐっ…!〉

〈ちなみに、怪物たちの行動制御は事前準備だけして、あとはオートって形でかけてるんです!今ここからかけてるわけじゃないんです!とか言い訳されないために、アナウンス担当がここからリアルタイムでかけなきゃいけない理由を説明するぞ。例えばこの世には理性を奪い、恐怖を取り去る狂化バーサクって魔法がある。あれなら事前にかけるだけ。その後は放置でいい。本人の内面に永続的に働きかける魔法だからな。でも行動制御は違う。内面がどうとか関係ない、対象者が客席に襲いかからないよう、外から働きかけないといけないからだ〉

「…………」

〈この辺は素人にはピンと来ないが、俺はちょっと齧ってるから知ってるぞ。この世に存在する、事前に他人の行動を指定する魔法には制限がある。全ての行動を事前に指定しないといけないんだ。そんなの、この格闘大会で出来るか?絶対無理だ。他の人間の行動は計算しきれないからだ。だから、客の安全と闘技場のショーを両立するには、今ここで。リアルタイムで、都度制御するしかないんだ〉

「………!!」

〈都度制御ってことは?物理の柵を作ってない以上、安全対策と闘技場のショーを両立させるために、試合中誰かがずっと魔法をかけてなきゃいけない。違うか?〉

〈それ、は…っ〉

 主催者が口をパクパクさせている。過去、ここまで魔法の裏事情をズバズバまくし立てられたことはないんだろう。どう言い訳したらいいかわからない。という顔をしていた。…チョロいぜ。内心サイモンが鼻を鳴らす。

〈だからさ。なぁ、ここでアナウンス担当が魔法。かけてるんだろ?レベルの高い魔法使いはそう簡単に金で動かない、こんな所に来ないって知り合いに聞いたぞ。だから使われてるのは遠隔操作や無言詠唱じゃない、音声による口頭詠唱だ。で、今それはかけられてない。オーガの行動を制限してるのは俺の相棒だ。…言いたいことがわかるな?今俺がアナウンスを通してあいつに指示を出せば、観客を襲わせることだって出来るんだぞ〉

〈…!!!〉

 そこで腰を抜かしていた主催者が慌てて身体を起こした。サイモンは無言でペルルに突きつけた暗器を見せつける。立ち上がりかけた主催者がぐ、と固まり、怒りで唇を震わせる。

〈私を脅す気か!?そんな乱暴な手腕で判定勝ちを狙うとは、態度がなってないんじゃないか?!そんなに賞金が欲しいか、金の亡者が!!〉

〈おっとー、俺が金の亡者で卑しいって??俺は主催者様、貴方のために今回のことを持ちかけているんですよ!〉

〈なんだと…!?〉

 サイモンは笑顔を浮かべて一旦言葉を切り、貴族たちを見回す。そして会場も。目の前の机に水晶球が置いてある。映像を撮ってるのはこれか?

〈もし、今俺たちの申し出を聞き入れなかったら。いいんですか、俺たちがここまでズバズバ公表したのに、運営は今後も態度を改めることはありません、アナウンス担当に魔法使いを使うしリアタイで出場者に魔法かけて行動を操るし、その結果八百長が起きても自分たちはそれを見逃します!って宣言することになるんですよ??いいんですかぁ???〉

〈ッ!!!!〉

 …!!!

 貴族たちがそろって顔を青ざめさせた。そして会場からも大きなどよめきが起きる。そう、八百長。きっとこれまでもあったんだろう。4万人超えの観客を欺いて笑うためだけの試合が。サイモンは充分な手応えを感じて言葉を続けた。

〈でも、今日ここで「これまで八百長ないし怪しい運営体制をしていてすみませんでした、今回の勝ちはそちらに譲ります、今後は体制を改めて清い運営をしていくのでこれからも闘技場をよろしくお願いします」って殊勝な態度を取れば…ねぇ?お客様も皆納得してくれますよね?〉

 会場を見る。するとパラパラ、やがて大きな。観客からの拍手と歓声がサイモンの言葉に応えた。これで客は完全にこちらの味方だ。さぁどうするよ。客を敵に回して自分たちも死ぬのか。こっちに勝ちと賞金を譲るのか!

〈ぐぐ、ぐぅ…ッ〉

 ほぼほぼチェックメイトの状態だ。あとは主催者が参りましたと言うか否か。しかしまだ折れない。仕方ない…あまり使いたくなかったカードを切るか。

〈あれぇ、まだわかりましたどうぞどうぞって言ってもらえないんですね…仕方ねぇ、路線を変えるか。おいペルル、立て〉

〈!?〉

 サイモンに抱かれる形で寄りかかっていたペルルの膝裏を脚でどつく。慌ててシャンとした姿勢になった彼女の耳に唇を寄せて。

〈おい、御主人様はお前が死んでも構わないんだってよ。最後になんか言うことあるか?〉

〈…!!〉

 人命を盾にして脅す。さて、こいつらどう出るかな。

〈言っとくけど俺たちは万全に準備を整えてる。俺がサッと手を上げればこんな闘技場から一瞬で逃げ出せる。でも、お前らはそうじゃないんだろ?ペルル、この武器には毒が塗ってある。一撃で死ぬほどの猛毒だが…楽に死ねるとは聞いてない。あーあ、すごく苦しむんだろうなぁ、怖いな〜。可愛い顔が醜く歪んで爛れて、すごいことになるんだろうな〜〉

 観客席で一部始終を聞いている魔法使い二人が(盛りすぎだろ…)とツッコんだことは知る由もないが。ペルルは泣きそうに顔を引きつらせている。…いや。

〈さっきから黙って聞いてれば。私の事を随分舐め腐ってくれてますね。誰が口頭詠唱魔法しか使えないって?隠し玉をとってあるって線は考えてないんです?〉

〈いや、だったらもう使えよ。今まで使ってなかった時点で「使えない」んだろ。それはここに飛び降りた時点で確信してる〉

 貴族たちがハラハラした顔でペルルの言うことを見守っている。彼らからすれば、ペルルの戦闘力だけがこの場を切り抜ける頼みの綱だ。

〈…へぇえ、じゃあ実は貴方だけを殺す秘密の方法があると言ったら?引き下がってくれますか?〉

〈おう、やってみろよ。俺がお前の喉を突くのとどっちが早いか勝負だ〉

〈……ッ!!〉

 体勢的に、サイモンからはペルルの表情が見えない。しかしこれまでの展開から考えて、ペルルが口から出任せを言っているのは明白だった。人を殺す魔法は様々あるが、もし綺麗にサイモンのみ排除出来る魔法があればとっくに使っているはずだ。元々そう睨んでいたが…ペルル含むアナウンス担当はあくまで「護衛」。貴族たちを無事逃がすための魔法は持っているが、賊を撃退する攻撃的な魔法は持ってないのだろう。魔法使いというのは万能ではない。生まれた血でいわゆる「使える属性」が決まっている。どんなに鍛錬を積もうと、自分の持ってない「属性」は習得出来ない。

 つまり、今の時点でペルルに反撃の手立てはない。よほどお人好しで、極力死の魔法は使いたくないという線も残っているが…ここまで主人と自分が追い詰められて使わないというのも、護衛として間抜けだろう。…あとは、いつ根負けしてくれるかが勝負の鍵だ。

〈…諦めろ。そんな魔法「持ってない」んだろ〉

〈おや、魔法に関してそこそこ詳しいオーナーさんが「コレ」をご存知ないとは、予想外ですね〉

〈ハッタリだろ?あんまグダグダしてっとマジで殺すぞ〉

 暗器の切っ先をペルルの首に強く押し当てる。もう少しで本当に刺さりそうだ。しかしビビってると悟られるわけにはいかない。躊躇なく、もう少しだけ…!

〈…ハッタリなんかじゃないですよ…!〉

 !?

 思わず、慌てて周囲を見回す。もしかして、会場そのものに魔法の外敵排除システムがついてるのか!?もしそれの作動に時間がかかるとかだったら…くそ、会場全体を巻き込むとは思えない。犠牲になるなら俺だけだ!

〈…オーナークン。私は決めたよ〉

 そこで主催者が声を上げた。おっ、折れてくれんのか!?最悪ペルルを殺してオーガを制御不能にしてから主催者を脅すというやり方もあった。しかしそれではペルルも客も死んでしまう。無血開城を望むサイモンとしては、出来れば避けたい展開だ。そろそろ折れて欲しいなぁ!

〈わかった、認めよう。今まで私達は実況担当に魔法使いを使っていた。しかし、これはただの怠慢だ。会場の設備を整えるより、魔法使いの実況担当を用意する方が簡単だったからな〉

 …?何を言い出したんだ。サイモンはペルルを抱く力を緩めず主催者を見る。

〈だからこれからは体制を改めよう。会場を新たな形にする。お前の言うとおり、観客の視界を妨げず安全を守れる形にしよう。約束する〉

〈…ってことは…!こっちに判定勝ちをくれるってことだな?!〉

〈いや、私が認めたのはお客様が不安になるような運営体制だったことだけだ。お前らに勝ちを譲る気はない…!〉

〈へぇ!じゃあペルルと客が死んでもいいんだな!!よーし歯ぁ食いしばれペルル!一撃でってやる!!〉

 仕方ない、ここまで来たら犠牲になってもらう!…俺たちの勝利と名誉、殿堂入りと金貨50枚のために!!サイモンは覚悟を決め、腕を振り上げた。

(…本当に?何の罪もない弱い女性を、己のエゴで手にかけるのか?)

 一瞬自分が問いかけてきて。その「」は彼とビッグケットの運命を分けた。

〈オーナークン、見たまえ〉

 主催者が机の上の水晶玉を指差した。な、なんだ?何か…映ってる…、!!


 ケットシー!って、これ誰だ!?


〈彼女は君の猫が逃げたら出るはずだった控え選手だ。裏で何かアイテムを渡したんだろう、知っているぞ〉

〈!!〉

 そこでぷつりと音がした。拡声器マイクの魔法をオフにしたんだ。主催者が立ち上がり、にやにやとこちらを見ている。水晶玉の中のケットシーは、フードを被ったマント姿の知らない男に羽交い締めにされてどこかの観客席に居た。そして、

「!?」

 びゅるんと光に包まれ、人間ノーマンの女性の姿になった。なんで、身長まで伸びて…っ嘘だろ、使のか!?

「…驚いたか?必死に口説き落としたこちらの切り札だ。元々は変身魔法だけがオーダーだった。これまでのやりとりからお前らが絶対控えの選手を逃がそうとすると思っていたからな!あの猫と同族なら完全に油断するだろう?私達との繋がりを疑ったりしないだろう??

 しかし、追加の仕事を頼もうじゃないか…お前らを殺せとは言わない、ただあの人質を押さえてるだけでいい。…お前の相棒、もう限界なんだろう?」

「!!」

 言われて慌ててビッグケットを見る。さっきより動きが鈍っている。そりゃそうだ、オーガの速さはサイクロプスとは比べ物にならない。しかもサイクロプスのように、最悪受け身を取れば攻撃をさばけるわけでもない。かすめただけで身体が砕ける。…くそ、限界か…!?ここで運営が折れなければ、こちらはタイムアウトだ!

「さぁ、どうするね。些細な抑止力だとはわかっているが、お前の性格上…あの哀れな女を殺せるか?無関係な人間を巻き込んでお前たちだけ賞金を掴んで?平気だというのかね?」

「ぐっ…!!」

 今度はこちらが言葉に詰まる番だった。魔法使用を認めさせる手立ては死ぬほど考えてきたが、今更裏でアイテム没収を命じた二重の人質なんて、古典的な手を食らうとは思わなかった。昨日の様子から、逃がすのは簡単だと思ったのに。仕込んでやがったのか。

「さぁさぁ。早くしないと猫君が死ぬぞ?瞬間離脱の方法はあるんだろう。退。そうすれば私達は改めて信用を得るために尽力する。お前たちは命が助かる。双方損はないだろう」

 にんまり笑う主催者。サイモンが吠えるように叫ぶ。

「不正を認めたんじゃないのかよ?!不正は即時敗退決定のはずだぞ!」

「いいや。私達が認めたのはだけだ。それが不正かなんて、あとの説明でなんとでもなる」

きたねぇぞ…!!」

 こいつら意地でも認めない気だ。それならこっちはペルルも人質も殺すまで。…いや、くそ、イレギュラーな人質が絡むと決心が鈍る…ッ、最悪ペルルを殺す決意はしてきたのに!

「…オーナークン、本当にお人好しなんだなぁ」

 主催者の悪魔のような囁きが聞こえる。どうする、どうする俺…迷ってる時間はねぇぞ!!


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