第123話 星の声、悪魔の嘆き
「トールに、何をした」
「さて、なんだと思いますかー?」
無表情を心がけながら、アミィは内心ほくそ笑む。
(ふふふ。ついに、トールの隔離に成功しましたねー)
現在、トールは身動きを停止していた。呼吸はない。鼓動もない。
かといって、死んでいるわけではない。
アミィは人間の魂を生け贄に捧げ、彼の時間を止めたのだ。
これが神の王、時空神エルレリオの神力を用いた究極法術だ。
法術は神から力を借りて行使する。しかしエルレリオは現在封印されているため、力を直接借りられない。しかし魂を対価に使用すれば、限定的に力の貸借が可能になる。
「トールを、元に戻して」
「おっと、一歩でも前に出ると危ないですよー」
「……どういう意味?」
「こういうことですよー」
アミィは魂の器を高らかに上げ、勢いよく地面に叩きつけた。
器が割れた次の瞬間、中からどろりとした粘性の高い黒が這いずりだした。這いずる黒を眺めながら、アミィは両手を掲げ、最後の呪文を詠唱した。
「――
その瞬間、フィンリスが巨大な闇に覆われた。
○
恐るべき突風の直撃を、リリィは即時発動した《防風壁(ウインドウォール)》で耐え忍ぶ。
突風には、あたかも爆裂魔術のような威力があった。
《防風壁》で守られていない屋敷が、突風を受けて完全に倒壊した。
さらに、身動きを止められたトールも風を受けて吹き飛んだ。
「――ッ!?」
平時であれば、すぐに救出に向かっただろう。しかし、強い危機感がそれを許さない。
突如出現した恐るべき存在力に、リリィのこめかみを冷たい汗が流れ落ちる。
見上げる空には、黒い厄災が浮かんでいた。
「……あく、ま」
闇よりも深い黒の体躯――蠢く触手の塊を見て、リリィの背筋が泡立った。
悪魔はドラゴンと同格の、神に次ぐ力があると言われる厄災だ。神代戦争の折に、神たちによってそのほとんどが闇に葬られた――はずだった。
「どうして、悪魔がここに……!?」
リリィが呆気に取られている間に、悪魔が地上に舞い降りた。
たったそれだけで、
――パリッ!!
リリィが展開していた《防風壁》が破られた。
ただ魔力を解放しただけで、この圧力。
(なんて魔力量!)
リリィが呆気にとられてる間に、悪魔が中心部へと移動を始めた。
放置すれば、間違いなくフィンリスが滅ぶ。チーム『猫の手』の冒険者たちが暮らしたこの街が、消えてしまう。
「させないっ!」
リリィは魔術呼び出した愛杖を握り、《浮遊(フライ)》を使って宙に浮かび上がる。
悪魔が向かった中心部は、異様な静けさに包まれていた。
人はいる。皆、生きているし、悪魔の姿を目撃している。
しかし、誰もが声すら出せなくなってしまったのだ。
無理もない。現れたのは神に次ぐ力を持つ悪魔である。存在力の格が高すぎる相手を前にすると、生物は本能的に体を硬直させてしまうものなのだ。
一般人が逃げ惑うことさえ出来ない中、リリィは何不自由なく動けている。それは存在の格が高いためだ。
リリィだけではない。
「お久しぶりです、リリィさん」
「ん。アロンも、久しぶり」
元Aランク冒険者で、現ギルドマスターであるアロン・ディルムトがリリィの前に姿を現した。
いつもはのほほんとした雰囲気を放つ彼だが、今は鋭い刃のような空気を纏っている。
「ギルドから正式な緊急要請です。住民が逃げるまでで良いです。その力、どうかお貸しください」
「ん、任せて」
アロンの要請に、リリィは小さく頷いた。
相手が悪魔である以上、戦えば命はない。ギルドの要請は『死ね』と言っているに等しい。しかし、リリィは逃亡の選択をしなかった。
それはこの街が大切な冒険者たちとの、思い出の場所だからだ。
(トゥコ、リィグ、ミナ……。ごめん。もうすぐそっちに行く)
自らが心棒する自然神に祈りを捧げ、リリィは杖に魔力を込めた。
「アロン。あのデカブツを抑えて」
「へ? いや、ボクは中衛でして――」
「やって」
「……」
いつもは無表情のリリィだが、今日はどこか不機嫌そうに見える。内心『あれ、ボクってギルマスだよね?』などと思いつつも、アロンは彼女の指示に従う他なさそうだった。
(まともに動ける前衛が……どこにもいませんからね)
アロンは剣を鞘からすらりと抜いた。
冒険者時代に使い続けた剣は、手によく馴染む。長くなく、短くもないその剣は、オリハルコンで出来た遺物(レリック)だ。とあるダンジョンをクリアしたときに、宝箱から出たものである。
この剣ならば、悪魔にもダメージが与えられるだろう。
――攻撃がまともに当たれば、の話だが。
(さて、最初から本気で行きますか)
相手は悪魔だ。様子見などしていては、すぐに死んでしまう。アロンは自らに《身体強化》《抵抗強化》の魔術をかける。
同時に【神眼】を用いて、相手のステータスを探る。
○ステータス
名前:የኮከብ መናፍስት
レベル:89 種族:悪魔
位階:Ⅷ
○基礎
【身体強化】【魔力強化】【自然回復】
【STA増加】
○技術
〈体術Lv7〉
〈精神汚染Lv7〉
○弱点:光
「あ……ははは……これは、見なきゃよかった」
高すぎる悪魔のステータスに、アロンの顔がひきつった。これが神の試練だというのなら、なんて過酷な相手だろう。
レベルが八十九と恐ろしく高く、基礎スキルが六つもある。おまけに技術スキルはレベル七。
(最低だ……)
戦う前から、心が折れそうになる。だがアロンは奥歯を噛んでぐっとこらえる。
【神眼】で得られた情報は、なにも悪いものばかりではない。
「リリィさん。相手は体術と精神汚染を使ってきます。特に精神汚染には注意してください!」
「んっ」
アロンの忠告を受け、リリィが素早く抵抗魔術を発動した。
その手際はなめらかで、とても冒険者としてのブランクがあるようには見えなかった。
「あともう一つ。悪魔は――光が弱点です」
「……っ!」
それだけでアロンの意図を十二分にくみ取ったのだろう。リリィの瞳に強い意志の光が点った。
(さて、どう戦いましょうかねえ……)
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