4章 神代戦争、再び
第100話 プロローグ
巨大な洞窟の中の崖の下で、少年が倒れていた。
落下の衝撃で割れた頭から、血が止まらない。地面がみるみる赤く染まっていく。
少年にはもう、立ち上がるだけの力すら無かった。血が流れ出て、体がどんどん冷たくなっていく。
少年の目から、ボロボロと涙があふれ出した。
少年を生んだ両親は、まさか自分の息子が将来こんな風に死ぬなど思いもしなかっただろう。しかし、その両親ももうこの世にいない。自分を崖の下に突き落とした三人組に、殺されてしまったのだ。
――誰か、助けて。
少年の口が僅かに動いた。だが、それだけだった。助けを求める声は、微かにも響かなかった。
――死にたくない。
――まだ死にたくない!
もっといろんな経験を重ねたかった。もっといろんな世界を見てみたかった。自分にどんな可能性があるか知りたかった。
友達が欲しかった。温かい家が欲しかった。
おなかいっぱい、食べ物を食べたかった……。
けれどもう、少年には幾ばくの時間も残されていない。
少年の願いは、決して叶わない。
――もう少し。あと少しだけ、生きていたかった。
少年は一筋の涙を流した。
次の瞬間だった。
『アンタの願い、叶えてあげるわ』
少年の目の前に、突如少女が現われた。白い髪の毛に、白い貫頭衣を身に纏った少女だ。
『その代わりアンタの体、貸してくれない?』
――ぼくの体、ですか?
『そうよ』
――ぼくは、生きられるんですか?
『それは無理。だってアンタはもう死んでるもの』
――そう、ですか……。
『落胆しないで。そのまま生き返るのは無理だけど、体だけなら残せるわ』
――どういう意味ですか?
『アンタの体を、別の魂が使うのよ』
――つまり、ぼくは意識はなくって、あるのは体だけ……?
『そうね。けど安心して。アンタの想いは、ちゃんと体が覚えてる。アンタの意思は、この世界に遺るのよ』
そう言って、少女が少年の瞼を優しく下ろした。
『心配しないで。きっと真面目なあの子なら、その体、大切にしてくれるから。だから、ゆっくりお休みなさい』
その言葉とともに、少年――リッドの魂は自らの体から遠のいていったのだった。
○
「うわぁ……」
王都ユステルから家に戻った透は、目の前の惨状に言葉を失った。
ユステルに向かう前は、綺麗に整理整頓されていたリビングが、今では足の踏み場もない。
リビングの床を占領しているのは、大量の紙だ。
「ん、おかえり」
犯人の口調は至って暢気。まるで自覚がない。
「リリィ殿。ここは共用スペースなのだ。こんなに散らかして貰っては困るではないか!」
「んー。後で片付ける」
リリィはこちらを見ずに答えた。
彼女の視線は先ほどから、目の前の紙から離れない。その紙には、床に散らばっているものに書かれた文様と、同じものが描かれていた。
「リリィさん、それは何ですか?」
「魔術書」
「ああ、なるほど」
リリィは以前に、魔術書店を営んでいた。先日起こったモンスターの襲撃によって彼女は店も、商品の魔術書も失ってしまった。
店をすぐに復旧することは難しい。現状のフィンリスは住宅建造の需要が非常に高まっており、どこを探しても手の空いている職人がいないからだ。
なのでリリィはまず、商品――魔術書の製作から始めたようだ。
「僕らが王都に行ってた間、ずっと魔術書を作ってたんですか?」
「ん」
その間、彼女は一度も片付けなかったようだ。
透にも、似たような経験がある。つい作業に熱中してしまって、作業に使った道具をそこかしこに置きっぱなしにしてしまうのだ。
集中が切れて素に戻った透は何度となく、自分の部屋の惨状に心が折れそうになったものだ。
「トールからもリリィ殿に片付けるよう進言するのだ。これでは夕食が食べられないではないか」
「ごはん!?」
キュピン。リリィの目の色が変わった。彼女はすぐさまそこら中に散らばった魔術書を拾い上げていく。
属性ごとに纏めているのだろう、アッという間に紙の束が九つ、テーブルの上に積み上げられた。
「トール。ごはん」
「あ、はい。今から作りますね」
「とびきり美味しいの、よろしく」
「了解です」
リリィの切り替えの早さに苦笑しながら、透はキッチンに向かった。
王都から帰ってきたばかりで、家には肉以外の食材がほとんどない。現在は夕方を過ぎており、馴染みの店はもう閉まっている。
少し探せば、まだ空いている店があるかもしれない。だが透は王都からフィンリスまで、走って帰って来た。手間を掛けようと思えるだけの体力が残っていなかった。
「リリィさんには申し訳ないけど……」
透はオーク肉と、家に残された食材だけで夕食を作ることにした。それでも、美味しい料理を待ち望んでいるリリィの期待を裏切らぬよう、全力で調理を開始する。
出来上がったのは、オーク肉のステーキだ。それを熱した鉄板に載せて配膳する。
鉄板には肉の他にも、加熱したジャガイモとニンジン、玉葱を盛り付けた。ソースは秘伝の塩ダレだ。
「「わあ……!」」
透が作った料理に、エステルとリリィが目を輝かせた。
早く食べさせろと言わんばかりに、ピノがみょんみょんと体を揺らしている。
「それじゃあ――」
すべての配膳が終わったところで、透は手を合わせた。
「「「頂きます!」」」
ステーキを頬張ると、口の中でじゅわっと肉汁が溶け出した。一度噛むと、ほろほろと肉の繊維が解けていく。
よほど透の料理が恋しかったのか、リリィが泣きながらステーキを頬張っている。
宿代をケチったせいか、王都ユステルの飯はとても食べられたものではなかった。だから美味しい料理が恋しかったのは、透も同じだ。
皆が無言で食事を進める。そんな中、リリィがニンジンを鉄板の端に追いやっていく。
「む? リリィ殿、好き嫌いはダメなのだぞ」
「これは根っこ。食べ物じゃない」
「いやいや、食べ物なのだ……」
リリィのかわいらしい詭弁に、エステルが肩を落とす。
微笑ましい光景に笑いをこらえつつ、透は口を開く。
「リリィさん、ニンジンには栄養がたくさん含まれています。食べないと大きくなれませんよ?」
「むぅ…………」
唇を尖らせるリリィだったが、意を決したような顔をして、ニンジンを口に放り込んだ。よほど嫌いなのだろう、ほとんど噛まずに嚥下した。
彼女は目に涙をためながらも、「どうだ」と言わんばかりの表情を浮かべた。
「……食べた。やればできる」
「まだ二つ残ってますよ」
「鬼っ!」
キッとリリィが透を睨む。
だがその視線はすぐに優しく変化した。
「昔、ニンジン食べろって、同じことを言われた」
「へえ。もしかしてご両親ですか?」
「んん、仲間。冒険者パーティ」
「おおっ、リリィ殿のメンバーか。一体どのような方達だったのだ?」
「わたしに大事なことを、教えてくれた」
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