第55話 下水道を征け
透が向かった先は、ネイシス教会だ。
「まさか一発でたどり着くとは……」
ここに来るのに半日近くを要した前回と比べると、かなりスムーズにたどり着けた。
この教会を覆っていた、人避けの加護のようななにかが、現在停止しているのだ。
教会の中から、多くの気配を感じた。
透はゆっくりと教会に歩み寄る。
そっと扉を開くと、前回とほとんど同じ内部が目に入った。
だが、前回とは違い床には沢山の足跡が残っている。
足跡はあるが、人の姿はない。
「ああ、やっぱりか……」
この足跡を見て、透は確信した。
『もうすぐ皆が使うだろうから、隅々まで綺麗にしておくように!』
ネイシスは、運命神だ。
こうなる運命を知り、透たちに〝依頼〟を行ったのだ。
フィンリスが窮地に陥ったとき、フィンリスの住民がこの神殿を使うだろうことを見越して……。
「知ってたなら、初めから教えてくれてもいいのに」
しかし、透に伝えることで未来が変化していた可能性がある。
ネイシスは、だから透に教えなかったのだ。
そう納得させて、透は【魔剣】で床にあるフタを開いた。
「失礼しまーす。みなさん、大丈夫ですか?」
誰かが使ったのだろう≪ライティング≫が灯されているおかげで、透はシェルターの奥まではっきり見渡せた。
地下シェルターには、沢山の人達が身を寄せ合っていた。
その人達が、透がフタを空けたことでギョッとしたが、開いたのが人間だとわかると、あからさまにほっと安堵の息を吐いた。
透が階段を降りると、避難している住民の中から一人、壮年の男性が近づいてきた。
「キミはええと……」
「僕は冒険者の透です」
「トールくん。外は、どうなったんだ?」
「あらかた終わりましたよ。火も消し止めましたし、魔物もほとんど倒しました。あとは、生き残りの魔物が潜んでないか確認するだけですね」
「そうかっ!」
透が外の状況を伝えると、シェルター内にわっと歓喜の声が上がった。
中には抱き合って涙を流している者もいる。
そんな避難してきた人達の合間を縫って、透はとある壁の前に向かった。
そこはなんの変哲もない壁だ。だがうっすらと、壁に数本線が入っているのが見える。
この壁は以前、透が室内を乾燥させた時に、剥落した箇所である。
「すみません、みなさん。地上に上がって頂けますか?」
「ん、どういうことだ? まだ完全に安全が確認されたわけではないのだろう?」
「そうですけど、教会から出なければ大丈夫だと思います」
「し、しかしな……」
「ここはネイシス教会。教会に居る限り、運命神ネイシス様が魔物の襲撃を防いでくれますよ」
特にこの教会は、騒動が起こる前はほとんどの人がたどり着けなかった場所である。
運命を弄れば、魔物が教会にたどり着けなくするくらい造作もないはずだ。
透が説得する傍らで、透は『なに勝手なこと言ってくれちゃってんのよ』と言うような思念を薄ら感じた。
あの白い空間で、ネイシスが文句の一つも垂れているのかもしれないが、そんなこと透には知ったことではない。
透の称号を【ネイシスのしもべ】に強制したのだから、せめて神の意志を騙るくらいの〝対価〟は戴きたいものだ。
透の説得を受け、避難していた住民が地上に移動を始めた。
その住民たちが全員地上に向かったのを確認しに、透は自らフタを閉じる。
「さて――」
透は【魔剣】を顕現させ、壁の前で上段に構えた。
(ネイシス様、すみません。壁を壊します)
『はいはい、いいわよー。あとでちゃんと直してねー』
透はそんな思念が、届いたような気がした。
何故かポテチをついばみながら、手をひらひらさせる彼女(?)の姿が如実に思い浮かんだが、きっと気のせいだろう。
神のお墨付きも頂けたので、透は早速壁に向けて【魔剣】を振り下ろした。
――スッ。
魔剣は音もなく壁を切り裂いた。
その壁に素早く手を当て、壊れぬようにそっと床に置いた。
壁の向こうには前回と同じ、地下水路が広がっている。
その中の空気に触れ、透は確信を得た。
「やっぱり、シルバーウルフはここから入り込んだんだ」
透が感じたのは、空気に混じるシルバーウルフの臭いだ。
通常時の透であれば気づかなかったであろう。だが現在は≪嗅覚強化≫を使用している。
僅かな臭いも、いまの透は逃さない。
しかし、
「おえっ」
≪嗅覚強化≫のせいで、下水の臭さをもろに感じ、透はしばし悶絶した。
酷い臭いだ。鼻が曲がりそうである。
鼻が慣れるまで耐えることしばし。
涙目になった透は、左右に向かう水路を見回し、嗅覚を意識する。
下水の酷い臭いに混じって、シルバーウルフの臭いが漂ってくる。
「こっちか」
一際強く臭いを感じるのは、下水の下流方向だった。
その方に向かい、透は歩き出した。
下水は汚水の流れる水路に、メンテナンス用だろう人が歩ける通路が設置されている。
掌に≪ライティング≫を灯し、前へ足早に進む。
水が流れる音だけが響く下水道をひたすら進むと、透は白い修道服を身に纏った人の姿を発見した。
「ええと、ルカさん?」
「あら、トールさんですの?」
振り返った女性は間違いない、Cランク冒険者のルカだった。
フォルセルスの聖印が刻まれた白い修道服に、腰には短剣が下げられている。
「どうしてルカさんがここに?」
「それはわたくしの台詞ですわ。何故トールさんがここにいらっしゃるんですの?」
「僕は、シルバーウルフの侵入経路で一番怪しいのが下水道だと思ったので、ネイシス教会の地下から入って来ました」
「そうでしたのね。実は……わたくしがフォルセルス教会に戻ったとき、避難していた住民全員がシルバーウルフに殺されておりましたの」
その時の状況を思い出したように、ルカが眉根を寄せて両手でその身を抱いた。
それにより、体のラインが露わになる。
普通の男性ならば目を奪われるだろう魅力的な曲線だったが、透はルカの顔しか見ていなかった。
「教会を調べたところ、地下室に大きな穴が空いていることに気がつきましたの。もしかするとシルバーウルフの侵入経路ではないかと思い、こうして探りに来たんですわ」
「そうだったんですね」
教会内の惨状を想像し、透は眉間に皺を寄せた。
もし透が清掃時に壁を修復していなければ、ネイシス教会でも同じことが起こっていたかもしれない。
「ところでルカさん、一つ尋ねたいことがあるんですけど」
「なんですの?」
「ルカさんから、どうしてシルバーウルフの臭いがするんですか?」
共用井戸にいたときから、ルカからシルバーウルフの臭いを感じていた。
透はそれが、ずっと気になっていた。
その臭いは、戦闘中についたものなのか?
リリィの話から、ルカは常に冒険者に指示を飛ばしていたと透は聞いている。
また、彼女は現在魔物の返り血に濡れていない。
血塗れという二つ名を戴く彼女が、だ。
つまりそれは、魔物と直接戦っていないことを意味している。
シルバーウルフの臭いが体に付着する要因が、彼女にはない。
「女性を臭いとは、酷いですわね。いまは戦時中。どこでどのような臭いが付くかなど、わかりませんわ」
「そうですね。では話題を変えましょう」
透はいつでも動けるよう、重心を僅かに低くして尋ねた。
「ルカさんは、どうして短剣なんて下げてるんですか?」
「……えっ?」
「血塗れのルカと呼ばれる貴女の得物は、メイスだったはずです」
冒険者は武器を大切にする。
それが己の命を預ける道具だからだ。
武器になれているかどうかが、戦闘中の生死を分けることもある。
平時であればいざ知らず、変事であれば得意武器を軽々に変えられない。
なのに、ルカは得意武器のメイスではなく、短剣を腰に下げている。
これから敵が侵入してきたであろう、下水道に踏み込むというのに、だ。
これまで〝メイス一本でのし上がってきた〟冒険者が、変事に突然武器を変更するなど、どう考えてもおかしかった。
「あなたは、一体誰だ?」
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