第52話 フィンリスを救え!

 フレアライト・ダンジョンを出てフィンリスに向かっていた透は、前方から黒煙が立ち上っていることに気がついた。


「ねえエステル。フィンリスって狼煙を上げる?」

「狼煙があるかどうかはわからないが、あれはおそらく狼煙ではないと思うぞ」

「そうなの?」

「狼煙にしては、煙が多すぎる」


 エステルの指摘の通り、上空に昇る煙の量があまりに多すぎる。

 狼煙ではないとなると、考えられるもので可能性が高いのが火災だ。


(フィンリスは木造住宅が多いし、結構密集してたから大変かもしれないなあ)


 そんな事を考えながら、透はさして緊張感を抱かぬままフィンリスに向かって歩く。

 透は冒険者であって、消防士ではない。


 餅は餅屋。

 フィンリスにも消防士はいるはずで、もし火災が起こっているならその人に任せるのが一番である。


 だが、フィンリスの外壁が見えてくると、透は自らの考えを一変させた。


 フィンリスの外壁外に出ている住民の数が、異様に多い。

 それに、外に出ている人達の雰囲気が、まるで戦時下のようだった。


 中には血だらけで倒れている者や、地面に仰向けに寝た人の胸の上で泣いている者も居た。

 ある者は呆然と壁を眺め、またある者は手を合せて空を拝んでいる。


 これはただ事ではない。

 そう思った透はエステルとともに、フィンリスへと走った。


「一体、なにがあったんですか?」


 フィンリスの外壁に近づいた透は、近くに居た住民に尋ねた。


「魔物だ。魔物が、突然フィンリスの中に現われたんだ!」

「魔物!?」

「そんな馬鹿なッ! 魔物が入り込むなんて、一体門番は何をしていたのだ?!」

「そ、それが、違うみたいなんだ。たぶん、魔物は外から来てない」

「じゃあ一体どこから来たというのだ? 魔物が入り込むのなら、フィンリスの門からではないか」


 エステルが住民に、疑わしげな視線を向けた。


 フィンリスは魔物の襲撃を防ぐために、分厚く高い外壁で囲われている。

 もし魔物が襲撃しようとしても、外壁からは入り込めない。


 となると、魔物がフィンリスの中に入り込むためには門を通るしかない、と考えるエステルは非常に正しい。


 しかし透は彼女を窘める。


「たぶんだけど、この人の言うことは間違ってないと思うよ」

「どうしてだ?」

「それは、沢山の人が門の外に出てるからだね」


 もし外から中に魔物が侵入したのであれば、門の外に逃げるのは危険である。

 何故ならまだ中に入りきらない魔物が、外で待機しているかもしれないからだ。


 また門を使って魔物が侵入したのなら、門から逃げるタイミングで魔物の襲撃を受けているはずである。


 しかし多くの住民は外に出て、またさして周囲を警戒している様子はない。

 このことから外には魔物がいない、または魔物は門から入ってきたわけではないと考えられる。


「だとするなら魔物はどこから来たのだ……」

「エステル。それよりいまは、魔物だよ」

「――っ! そうだな。行こう、トール!」

「うん!」


 抜剣したエステルと共に、透はフィンリスの門を全速力でくぐった。


 門の向こうは、まさに地獄絵図だった。

 喉元を噛み千切られた人、手足を失った人、真っ黒く焼け焦げた人、人、人……。


 逃げ遅れたのだろう、手を前に伸ばしながら絶命している人の姿を見て、透は【魔剣】を握る手に自然と力がこもった。


 その時、


「トール……ッ!」


 シルバーウルフを発見したエステルが声を上げた。


 シルバーウルフは倒れた遺体を貪っていた。

 エステルの声に反応し、赤く染まった顔を上げた。

 次の瞬間だった。


 シルバーウルフの首が、音も無く落ちた。


「……と、トール」


 気がついたらトールがエステルの傍を離れ、シルバーウルフの首を落としていた。

 エステルは、彼の動きを目で追えなかった。


 現在エステルは、トールの強引なレベリングのおかげもあって、レベル30に手が届いたところだった。

 またゴブリンを相手に剣を振るい続けたため、<剣術>が中上級であるLv3に達した。


 ステータスだけならば、Cランク冒険者として活動出来るレベルだ。

 にも関わらず、トールの動きはそんなエステルが見失うほどのものだった。


 ぞっとするような気配に、エステルの背筋が震えた。

 彼は、本当にトールだろうか?


 彼は膝を付き、シルバーウルフに貪られていた人に頭を垂れた。

 ちらり見える横顔は、間違いなくトールだ。


 しかし普段とはまるで違う。

 これまでエステルが見たことのない表情だった。


「エステル」

「な、なんだ?」

「僕らじゃ力不足かもしれないけど、この街を……フィンリスを救おう」

「……ああ!」


 トールの雰囲気を恐ろしく思った反面、エステルは場違いながらも『トールはシルバーウルフが切れるのだな』と思った。


 トールが斬る相手が、やっとエステルに理解出来た。

 彼は伊達や酔狂で魔物を倒しているのではない。


〝人に仇成す相手かどうか〟

 そこで、きっちり線引きしているのだ。


「かなりの数の魔物がフィンリスに入り込んでるみたいだね」

「魔物はシルバーウルフだけだろうか?」

「たぶん。この数だと纏まって動くよりも、バラバラに動いた方が良いかもしれない」

「……そう、だな」


 シルバーウルフはエステルにとって、圧倒的格下の相手だ。

 しかしこのような状況で、自分は十全に力を振るうことが出来るだろうか?

 そんな不安が、エステルに逡巡を生んだ。


 しかしトールはそれすらお見通しだと言わんばかりに笑みを浮かべた。


「エステルなら大丈夫だよ」


 丁度開いた心の隙間に、トールの言葉がするりと染みこんだ。

 その言葉が熱を生み、胸がぽかぽかと暖まる。


 一瞬にして気合が満ち満ちたエステルは、力いっぱい頷いた。


「それじゃあ、行こう!」

「ああ!」

「あっ、一応火事が発生してるみたいだし、魔術を掛けておくね」

「ん、魔術?」


 透が軽く指を振ると、エステルはふわりと風を感じた。

 その風は、エステルの周りをぐるぐると回っている。


 これまで建物が燃える臭いを感じていたが、透が魔術を使った途端に、煙臭さがなくなった。


「これは……風の障壁!?」


 中級風魔術に、矢や魔術を妨げるものがある。

 一定時間対象者の周囲で風が回り、攻撃を弾く魔術だ。


 まさかトールはそれを使ったのか?

 エステルは驚愕に目を見開いた。


 トールはリリィの店で、初級の魔術書を購入した。

 それから中級の魔術書を購入したという話は聞いていない。


 普通であれば、魔術書なしに新たな魔術は使えない。

 だが、彼は中級と思しき魔術を使用した。


「と、トール、その魔術は一体――」

「それじゃあエステル。また後で!」

「ああ、おい!」


 エステルが尋ねる前に、トールはフィンリスの街の中へと、恐るべき速度で走り去っていった。

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