第37話 教会の大掃除

 現在、ネイシス教会の扉は開け放たれている。また、窓もすべて開放されていた。

 その教会の中に一人、透が佇んでいる。


 教会内にある破損しそうなものは、すべて教会の外に運び出した。

 残っているのは、石で作られた講壇のみだ。


 破損するものがない。

 それをしっかりと確認して、透は魔力を高めた。


「≪エアカッター≫」


 通常であれば、対象を切り裂く風刃を生み出すその魔術を、透は極小の魔力で起動した。

 かつてロックワームを吹き飛ばした時の失敗魔術と同じ要領で、刃部分はなにも切れないよう拡大する。


 その≪エアカッター≫を、透は教会内に展開した。


 ――ゴオォォォォ!!


 風が目まぐるしく教会内を回り埃を舞い上げる。

 その風に、透は指向性を持たせた。


 窓からは新しい空気を取り込み、扉から埃を追い出していく。

 おおよそ一分間。

 透は風魔術で教会内からすべての埃を追い出した。


「――ぷはぁ!!」


 魔術が終わると同時に、透は勢いよく息を吸い込んだ。


 多少は息をしても大丈夫かな? などと考えていた透だったのだが、浮き上がった埃の量を見た途端に、透の思考から呼吸の二文字が消えたのだった。

 もし呼吸なぞしていたら、今頃透は呼吸困難になっていたに違いない。


「すごいぞトール! 埃が外で山になって……ぶふっ!」


 外の状況を報告しに来たエステルが、透の顔を見た途端に吹き出した。


「あはははは! なんだトールその顔は。真っ黒じゃないか!」

「……」


 透は洗濯機よろしく、教会の中央で埃に揉まれた続けた。

 その汚れを幾ばくか吸着してしまったらしい。


 外に避難していて汚れ一つないエステルが恨めしい。


「それでトール。次はどうするのだ?」

「≪給水≫を使おうと思う」

「なるほど。やっと私の出番なのだな!」


 エステルがデッキブラシを両手で握る。

 しかし透は首を振った。


「いや、まずは僕一人でやるよ」


 そう言うと、透は天井に向けて≪給水≫を開始した。


 魔術はイメージによって、様々な形態に変化する。そのことは、魔術を購入した初日に確認している。

 だから今回も、イメージさえ固まっていれば大丈夫だろうと透は考えた。


≪給水≫は飲料水を生み出す生活魔術だ。

 水の精製量は、蛇口程度である。


 しかしその蛇口のイメージを変化させたらどうなるか?


「おおっ!?」


 透の≪給水≫を見たエステルが喫驚した。


 透の手の平から放たれた水は、勢いよく天井まで届いた。

 その水が、天井にこびりついた汚れを次々と落としていく。


「おー。水がかかった場所がすごく綺麗になっているぞ! トール、それは≪ウォーターボール≫か?」

「いや、ただの≪給水≫だよ」

「んっ、≪給水≫? なんで≪給水≫がそんな勢いで飛んでいるのだ?」

「それは、イメージを変えてるからだね」


 透がイメージしたのは、高圧洗浄機だ。

≪給水≫が通常時で蛇口ほどの勢いがあるのなら、出口部分を細くしてやれば水が飛び出す圧力があがる。


 手が届かない場所にも水が届くし、またその圧力で、汚れをねこそぎ落とせる。


 もしこれを《ウォーターボール》でやろうものなら、水圧が高すぎて教会が穴だらけになったに違いない。

 教会を破壊しないために、蛇口程度の水量しか〝出せない〟《給水》である必要があったのだ。


 とはいえ、水が届く距離には限界があるし、少し気を抜くと水圧が下がり汚れがちっとも落ちなくなる。


 透は慎重に、天井の汚れを落としていく。


「凄い、面白いように綺麗に――ひゃっ!?」


 汚れを落とす作業を眺めていたエステルが、悲鳴を上げて教会の外に飛び出した。

 天井から、汚れをたっぷり含んだ水が滴ってきたからだ。


 その点、透は先ほどからずぶ濡れだ。

 埃くさい水に塗れても、集中力を一切乱さず汚れを落とし続けている。


(……面白い)


 透は魔術で汚れを落とす作業が、面白かった。

 魔術を使った場所とそれ以外とで、違いがハッキリわかるのが現われるのが良い。


『綺麗にしている!』という実感とともに、『残った黒ずみを全て撲滅してやる!』というやる気が湧き上がる。


 多少の時間はかかったが、透は天井・壁・床共に高圧の≪給水≫で汚れをすべて落としきった。


「……ずぶ濡れではないかトール」


 濡れ鼠状態になった透を見て、エステルが苦笑を浮かべた。

 彼女は相変わらず綺麗で、汚れ一つない。


 彼女の姿を見ていると『少し汚してやろうか?』などという邪な思いが透の胸に去来する。


 透は邪念を廃し、己に≪給水≫をかける。

 その水で汚れを落とし、≪乾燥≫で水分を飛ばした。


「ふぅ。スッキリした」


 石けん類がないため髪の毛がゴワゴワになるが、埃や汚水で汚れた状態よりは何倍もましだ。


 己を乾燥させた後、透は教会全体を見回した。

 ここに来た時とは比べものにならぬほど、教会は綺麗になった。


 元々壁の色が白かったことも、講壇の奥に聖印が描かれていたことも、清掃を終えた今ならはっきりとわかる。


「うんうん。素晴らしい」


 己の清掃の腕に満足する透の横で、エステルが首を傾げた。


「なあ、トール。トールは先ほどから≪給水≫を使って教会を綺麗にしていたのだよな?」

「そうだけど、どうしたの?」

「いや、それにしては、水が少ないと思ったのだが……」


 水が少ない。

 エステルの言葉を聞いて、透は自らの足下を見た。


 床にはまだ、一定量の水が溜まっている。透が≪給水≫を使って清掃したのだから、当然だ。

 ここから透は≪乾燥≫を用いて教会内から水分を飛ばす予定だったのだが。


「……確かに、少ないね」


 透が生み出した水の量と、実際に教会の床に広がる水の量が、一致しない。

 水は教会からほとんど外に出ていない。それは教会の外に溢れた水の跡から明らかだった。


「――おっ?」


 じっと床の水を見ていると、透はその水が流れていることに気がついた。

 その流れを追うと、講壇と床の間に小さな隙間があるのを発見した。


 それはまるで日本の家屋にある『床下収納』のように、四角い隙間だった。

 どこかに〝取っ手〟がないか探すも、見つからない。


 仕方なく、透は【魔剣】を顕現させる。

 どうか壊れませんようにと祈ながら、その隙間に差し込み【魔剣】を倒した。


 すると、床がスッと持ち上がった。

 床に手をかけ、一気に解放する。


 床の中には、階段があった。

 かなり急な階段だ。

 階段の向こうは完全な闇に包まれていて、奥になにがあるのか伺えない。


 その階段は、全体が水に濡れていた。

 透が≪給水≫で出した水のほとんどが、この階段を伝って下に落ちていったのだ。


「これは、なんだろう? もしかして宝物庫!?」

「残念だがトール。これは避難所だな。ネイシス教会だけでなく、他の教会にも地下避難所は設置されているぞ」

「なんだ……避難所か」


 お宝発見かと思ったのに。

 エステルの言葉で透はしゅんとした。


「そう落ち込むな。教会は一般市民にとっての最後の砦だ。大火事や変事があった場合、市民は教会に集い、地下避難所に身を寄せるのだ」

「なるほどね」


 エステルの説明で、透はやっと〝すべての教会が石造り〟である意味を理解した。


 石材は温度変化に強い。フィンリスが大火に見舞われても、石作りの教会に逃げ込めば、大火をやり過ごせる。

 また木造よりも堅牢であるため、革命や敵襲などがあった場合も、石造りの建物は破壊されにくい。


 重要な建物を堅牢にしているのは、見栄や権威のためでなく、住民保護のためだったのだ。


「でもさ、ネイシス教会に避難所があっても、誰もたどり着けないんじゃない?」

「それは……たぶん、大丈夫なのだ。たぶん」


 エステルはひどく曖昧に答えた。

 本音では大丈夫と言い切りたいのだろうが、誰も訪れた形跡のないこの教会の様子を見て、言い切れなかったのだ。


 さておき、地下避難所である。


「この地下室も綺麗にしないとダメだよね?」

「おそらくは、そうだな」


 清掃任務は、ネイシス教会を綺麗にすることだ。

 地下室がネイシス教会の一部である以上、綺麗にしなければ依頼は完遂しない。


 透は手の平に≪ライティング≫を灯し、地下室に降り立った。


 天井は低いが、体育館ほどのスペースがあった。

 これならば、避難してきた市民を沢山収容出来る。


 広い以外、なにも見つからない。

 お宝が眠っていそうな箱はないし、収納スペースもない。


 なにかはあるかも? と考えていた透は、殺風景な地下室に落胆のため息を吐いた。


 地下は、地上とは違いあまり埃が積もっていない。

 そのかわり、湿度が高いのかコケが繁殖していた。


「これなら≪エアカッター≫の掃除は必要ないかな」


 透は≪ライティング≫をいくつか設置し、≪給水≫の高圧洗浄で天井や壁のコケや汚れを落として行く。

 しかし、ここで困った事態が発生した。


「……足下が水浸しだな」


 水の逃げ場がないため、透のスネあたりまで水が溜まっている。

 排水溝が設置されてないため、水の行き場がないのだ。


「これ、水攻めとかされたら一発だよなあ……。教会が吹き飛ばされたら、雨水だけで命が危ないかもしれないし」


 安全策が片手落ちだ。

 かといって、透の言う状況に陥ったら、もう詰みだ。

 そこから生存する方法など、考えるだけ無駄なのだ。


 さておき、いまは清掃である。

 腕を組んでしばし悩んだ透は、物は試しと両手を水に浸けた。


「入れ!」


 透が念じると、


「――おっ!?」


 透の手に向かい、汚水がずずず……と音を立てて取り込まれていく。


 透が行っているのは、<異空庫>への水の収納だ。

 受付嬢のマリィに脅されてから、透はあまり<異空庫>を活用していなかったが、なるほどこういう使い方もあるのかと透は感心した。


 地下に溜まった水は、すべて<異空庫>に収納してしまえた。

 水を収納しても、まだ限界を感じない。


「<異空庫Lv4>って、結構な広さなのかな? 具体的にどれくらいのスペースがある、というのがわかれば色々捗るのになあ。……まあ、広さはおいおい調べるしかないか」


 水を吸収した後、透はすぐに床の清掃を開始する。

 床のコケを落とし、残った水を再度吸収する。

 その後、地下室全体に≪乾燥≫の魔術を使用した。


 その時だった。

 ――ガラッ。


「ぬわっ!?」

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