第38話 武具店に行きたい!

 急速乾燥に耐えきれなかったか。地下室の壁の一部が、音を立てて剥落した。

 透はその破損に、僅かに飛び上がった。


(やばいやばい。どうしよう!? 教会を壊しちゃった!!)


 透はおろおろとする。

 剥落したのは、壁の一部だけだ。他の部分には、破損どころかひび割れすら入っていない。


 透はその剥落箇所にそっと近づく。

 剥落しているのは、五十センチ四方ほどの壁の一部だ。

 壁は五センチ程度と薄い。その壁の向こう側は、木の板が格子状に張られていた。


「……んん? 奥になにかある」


 恐る恐る、透は木の板の向こう側をのぞき込んだ。

 壁の向こうは真っ暗な空間だった。


 透の耳に、水が流れる小さな音が届いた。

 透は手の平に灯した≪ライティング≫を、壁の奥に向けた。


「んー、下水道、かな?」


 壁の向こうには、水が流れる道が広がっていた。

 流れる水はとても綺麗とは言いがたい。その水が流れる脇に、ひと一人が通れるだろう路があった。


 ゆっくりとではあるが、どぶ臭さが地下室に流れ込んできている。

 このままでは、折角清掃した地下室がどぶ臭くなってしまう。


 透は慌てて剥落した石を元の位置に戻し、土魔術で隙間を埋めた。


「すごく適当な修繕だけど……。大丈夫かな?」


 試しに拳でノックするが、再度剥落する様子は感じられない。


「トールぅ。こっちは終わったぞっ。そちらはどうなのだ?」

「こ、こっちも終わったよ」

「なら、そろそろ上がってくるのだ。もうだいぶ日が傾いているぞ」

「了解」


 エステルに急かされて、透は地上へと戻っていく。

 再び内壁が剥落しないことを祈って……。


          ○


 透が地下から上がってくると、がらんどうだった教会に、長椅子や朗読台が戻っていることに気がついた。


 それらは埃や汚れを丁寧に拭き取られ、綺麗に磨かれていた。


「どうだトール。私の仕事もなかなかだろう?」

「うん。すごく綺麗になったね。これならネイシス様も気に入ってくれると思う」

「ああ、そうだな。ところで……」


 エステルが一度言葉を切り、困った表情を浮かべ、胸当てから一枚の紙を取り出した。


「依頼のクリアなのだが、誰にサインを貰えばいいのだ?」

「……あっ」


 そこで透も気がついた。


 今回の依頼では、依頼が達成された場合は依頼主からサインを貰わなくてはならない。

 しかしネイシス教会には誰もいない。


 折角働いたのに、このままでは依頼が永遠にクリア出来ない。

 困った透だったが、ふとエステルが持っている紙の異変に気がついた。


「ねえエステル。その印、最初から入ってた?」

「ん、印? ――これは、聖印!」


 依頼主がサインを書く欄は、本来空白のはずだ。

 しかし現在、そこにはネイシス教のマークである聖印が浮かび上がっていた。


「一体いつの間に……」

「これは、すごいぞトール! やはり今回の依頼は、神が出した依頼だったのだな!」


 エステルがぴょんと飛び跳ねた。

 その後頭部では、ブンブンとポニーテールが揺れる。


「じゃあ、これで依頼はクリアかな?」

「そうだな」


 透とエステルは頷き合い、軽くハイタッチした。


 1日で、金貨1枚。

 いろいろあったが、これで依頼は無事クリアだ。


 透は最後にエステルと共に、ネイシスに祈りを捧げた。


(それじゃあまた。おじゃましました)


 それだけで済ませようとして、折角神様がいるならばと、透は祈り直す。


(どうか、僕らが平穏無事に生きられますように……)


 その願いが聞き届けられたかどうか。

 神ならざる透にはわからない。


 けれど祈りは心に、ささやかな救いをもたらすことを、透は知っている。



 ギルドへの帰還の途中。透はふと今朝のことを思い出し尋ねた。


「そういえばエステル。今朝、なにか用事があるようなことを言ってたけど、あれはなに?」

「あー、それなのだがな」


 エステルは頬を指先でかきながら、恥じるように言った。


「実は、武具店に行きたいのだ」

「あっ、それなら僕も見に行きたいな」


 ずいぶんと先延ばしにしてしまったが、透は防具を揃えようと考えていた。


 現在の透は、【魔剣】という切れ味の良い武器を持っている。

 だが、防具は一切ない。

 そのことで、エステルや衛兵に突っ込まれたこともあった。


 冒険者として生活するのなら、冒険者らしい格好をする必要がある。

 サラリーマンがスーツにネクタイを締めるように。


「折角だし、このまま武具店に行こうか」

「いや、しかし依頼の報告はどうするのだ?」

「それなら明日でも良いんじゃない? すぐに報告しなきゃ失敗になるわけじゃないしね」

「それもそうだな」


 こうして二人は目的地をギルドから、武具販売店へと変更した。


 エステルに連れられて訪れたのは、こぢんまりとしたお店だった。

 店舗の入口上部には看板が掲げられていた。

 武具のマークと、『シモン』とだけ書かれている。


 扉を開くと、お店の中にずらりと武具が並んでいた。


「おおお!!」


(こういうのが見たかったんだよ、こういうのが!!)


 並んだ武具の数々を見て、透は血が沸き立った。


 男の子は武具が好きだ。

 修学旅行に行っても、観光に無関係な木刀や、『伝説の武器』っぽいアクセサリーを購入する者が現われるほどに。


 日本では32歳を数え、立派な大人となった透ではあるが、武具がずらりと並んだ店内の魅力には抗えない。


 透は素早い足取りで店内に入り、じっくりと武具を眺めていく。


 入って右側は武器コーナーだった。大剣や小剣、斧や弓などが綺麗に陳列されている。

 その反対側は、防具のコーナーだ。フルプレートやハーフプレート、皮から鉄に至るまで様々な防具が並んでいる。


 その武具を見ながら、『これは!』と思うものを手に取り、値札を見て『まあやっぱり高いよね』と苦笑しながら棚に戻す。

 やっていることはデパートでの商品物色と変わらないが、アイテムがまるで違う。


 食い入るように武具を見ている透の耳に、突如低い声が届いた。


          ○


「誰だ。こんな時間に」

「これはシモン殿。勝手に店に入って済まない。今日は武具を見繕いに来たのだ」


 シモンと呼ばれた小柄な男は、ふんと鼻を鳴らしてカウンター横にある椅子にどかりと座った。


 その男は、透に比べて30センチ以上も低かった。

 だが、身長の低さとは裏腹に、腕に付いた筋肉は透の三倍以上はありそうだ。


 沢山の皺が刻まれた顔には、ふさふさの髭が蓄えられている。


(この人、もしかしてドワーフかな?)


 透がシモンをまじまじ見つめていると、


「オレになんか用か?」

「い、いえ、すみません」


 シモンにギロリと睨まれ、透は身を縮こまらせた。


 彼の声は、まるで地鳴りのように低く重い。

 またその眉間に深い皺が刻まれているため、透は彼を怒らせてしまったのでは? と不安になる。


 そのシモンはというと、


(なんでぃこの男……。とんでもねぇ化物じゃねぇか!?)


 内心酷く怯えていた。


 シモンは武具職人として約100年間、武具制作に没頭してきた。

 エルフに次ぐ長寿種のドワーフということもあり、武具制作を極めるための時間は山ほどあった。


 シモンの店は『フィンリスいちの高品質』で有名だった。

 だが、シモンは他店と比べた品質の順位などに興味はない。


 他店と販売競争をするつもりはないし、自分の武具を沢山売ろうなどと思ったこともない。

(そのせいでシモンは過去、たびたび資金不足に喘ぐことになったのだが……)


 興味があるのは、己が考える最高の武具を作ることだけ。

 彼が最高を求めて制作した結果、『フィンリスいちの高品質』という名声が勝手に付いてきたのだった。


 それでもここ数年は、若かりし頃に抱いていた『己が考える最高の武具を作る!』という荒々しいほどの熱情が冷め始めたのを、シモンは薄ら感じ取っていた。


 このままただの鍛冶師として普通に武具を打ち、生きて行けるだけのお金を手にし、フィンリスに骨を埋めても良いのではないか……と。


 年のせいか。はたまた長い間、フィンリスに腰を据えたせいか。

 若い頃では考えられないほど、現在のシモンは腑抜けていた。


 さておき、そのシモンの店には、質の良い武具を求めに様々な客がやってくる。

 武具に目端が利くように、客を見ていれば大体の実力が判ってくる。


 例えばポニーテールをゆさゆさ揺らす少女はどうか?

 シモンの目で観察すれば、彼女は現在、並以上の実力があるとわかる。


 そして彼女は、しっかり砥石で磨いてやると切れ味を増す名剣のような、職人をウズウズさせるなにかを持っている。

 鍛えれば間違いなく、一級品になるだろう才覚を備えているに違いない。


 では、目の前にいる少年はどうだ?


(なんだかよくわからねぇが、とにかくヤベェ……!)


 それとなく少年を伺うが、実力の底も、その片鱗すら伺えない。


 シモンは辛うじて、彼が恐ろしく強いことだけは判った。

 ふけば飛びそうなほど細い体なのに、地面に突き刺さった杭のように、彼の重心は微動だにしない。


 そして見れば見るほど、まるで深い渓谷に身を乗り出した時のような、引きずり込まれてしまうのではないか? という空恐ろしさを少年から感じた。


 あるいは少年は、人間に化けたドラゴンではないか……と。


 肝が完全に冷えてしまったシモンは、少年を視界に収めることすら出来なくなってしまった。

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