第35話 正義の力

 太陽の匂いがする。

 フォルセルス教会に入った透がまず思ったのは、そんなことだった。


 フォルセルス教会は外壁と同様に、内壁も真っ白に染められていた。

 まるで自称神のいた空間に戻ってきたように思えて、透の背筋が僅かに伸びた。


 フォルセルス教会の一番奥。

 天窓から差し込む光の中に、一人の女性が佇んでいた。


 その女性を見た瞬間、透の皮膚が粟だった。


(この人……すごく強い)


 白い空間と同様に、白い僧衣と白い素肌。

 女性は青い瞳で透たちを眺め、口を開いた。


「正義神フォルセルス様を知らぬ子らに、正義の力のなんたるかを教えて差し上げますわ」


 厳かな声が教会に反響した。

 透は、まるで神が降臨したかのような圧を彼女から感じた。


 彼女はおもむろに、手をかざした。

 手の平を下に向けた状態で、ゆっくりと腕を持ち上げる。


 すると、講壇に設置された朗読台から、ひらりと紙が浮かび上がった。

 彼女は紙に一切、手を触れていない。


 紙が眼前まで上がると、彼女はその紙を掴み、言った。


「正義の力ですわ」

「いや違うよね!?」


 ハンドパワーだった。

 透のツッコミに、しかし女性はめげなかった。


 綺麗な弧を描く眉を僅かに顰め、言う。


「……まだ、正義の力を信じてはいただけませんのね。ならばもっと正義の力をお見せいたしますわ」


 そう言うと、女性は僧衣のポケットに手を突っ込み、中から銀色のスプーンを取りだした。

 そのスプーンを見えるようにかざした後、掌の上で中央をゆっくりとこすり始める。


「正義の力が、キテますわ」


 彼女がこすると、スプーンが徐々に変形した。

 変形したスプーンを掲げ、女性は言う。


「正義の力ですわ」

「絶対違うからね!?」


 突っ込む透をすり抜けて、エステルが講壇に走った。

 彼女はキラキラした眼差しで、朗読台越しにスプーンを観察している。

 彼女のポニーテールが、千切れんばかりに揺れていた。


「す、凄いのだトール! スプーンが曲がったぞっ!」

「スプーンくらい、エステルだって手で曲げられるでしょ」

「むっ? たしかに、言われてみればそうだな……」

「……まだ、正義の力を信用いただけないのですね。よろしいですわ。これならばいかがです?」


 女性がスプーンを数度強く横に振り、エステルの目の前にかざした。


「と……トールッ! スプーンが捻れたぞっ!!」

「正義の力ですわっ」


 目の前に反応の良い観客がいるためか。

 女性が透に向かい、ドヤッ? という顔をした。


「トールトール! 正義の力は凄いのだな!」

「いや、エステル。それはスプーンを振ったときに、別のスプーンと入れ替えただけだからね……」

「なん……だとッ!?」


 透のネタばらしで、エステルが絶望の表情を浮かべた。


(ああー、そっか。エステルは初めて手品を見たのか)


 透がハンドパワーをみたところで一切反応しないのは、それを日本で見たことがあるからだ。

 対してエステルが喜んでいるのは、ハンドパワーを初めて見るから。


 そんな彼女に、いきなり種をばらすのは少々残酷である。


 種をバラされた本人はというと、先ほどまでの余裕の表情が剥がれ落ちていた。

 目元がヒクヒクと震えている。


「これは、わたくしの正義の力が試されているのですね。よろしいですわ。ならばわたくしのとっておきを、披露いたしますわっ!」


 そう言って、女性は機敏な動きで腕まくりをした。

 ゆっくりと手と手をくっつけ、ニヒルに笑った。


「さあ、秘技〝親指瞬間移動〟をとくとご覧あ――」

「あ、結構です」


 技名から、下らない匂いがプンプンする。

 透は即座に彼女を止めた。


 両手を前に付き出した態勢で停止した女性が、僅かに口角を上げた。


「ふっ、正義の力に畏れをなしましたのね」

「いや……ああ、うん、もうそれでいいですよ」

「では、この紙に必要事項を記入して入信を――」

「しません」


 言葉を遮ると、今度こそ女性はぷくりと頬を丸め、ふくれ面になった。


 透の<察知>スキルは、女性の実力をおおまかに把握していた。

 彼女は強い。ギルドの訓練官オーグルと同等かそれ以上の実力を備えている。


 そんな彼女が次にどのような行動を起こすか考えると、腰が引けそうになる。

 それでも透は意を決して尋ねた。


「ネイシス教会の場所についてご存じですか?」

「……はあ。あいにくと、ネイシス教会の場所はわたしも存じ上げませんわ」


 女性は大きく首を振る。

 その様子から、透は彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。




「……手がかりなしか」


 フォルセルス教会を辞去したあと、透は大きく肩を落とした。

 まさかすべての教会をまわって手がかりなしとは考えもしなかった。


 おまけに、アグニ神殿で「フォルセルス教会なら」と言われていた。

 上がった分だけ、落胆は大きい。


「あとは、アマノメヒト神の教会?」

「いや、アマノメヒトは教会がないのだ」

「えっ、もしかして1柱だけ仲間はずれ?」

「いやいや、そうではないぞ」


 透の言葉に、エステルが苦笑を浮かべた。


「アマノメヒトは自然神。神は自然の中のどこにでもいる。教会を建てて祀るのではなく、自然全体に祈りを捧げよ、というのが教義なのだ。だから、アマノメヒトは教会を持たないのだぞ」

「へぇー」


 考え方が日本のアニミズムに近い。

 透はアマノメヒトに親近感を感じ、興味が湧いた。


(もし聖地があったら、一度は足を運んでみたいなあ……)


「それはそうと、気を落とすのはまだ早いぞトール」

「そうは言うけどさ……」

「近道に繋がる手がかりが得られなかっただけではないか。失敗したわけじゃないのだから、ここからは基本通り、地道に探せば良いだけだぞっ」

「……ああ、うん、そうだね」


 近道に繋がる手がかりが得られなかっただけ。

 失敗はしていない。


 そんなエステルのポジティブな考えに触れ、透はやる気を取り戻した。

 その時、一本の細い道が透の目にふと留まった。


「じゃあ、エステル。まずはあそこの裏道から探そう」

「了解だ」


 なにか考えがあったわけではない。

 まずは手近なところから。その程度の気持ちで、透は細い道に向かった。


 道を進むと、すぐに一軒の建物があらわれた。

 それは周りを塀で囲われた、灰色の建物だった。


 建物は天井が低く、また豪奢な飾りもない。

 フィンリスを訪れる前ならば、透はこれがただの民家だと思っただろう。


 しかし建物は木造ではなく石造だった。

 つまり、ただの民家ではない。


 入口の扉の上に、印が掘られている。


「あれは――ネイシスの聖印ではないかっ!」

「ということは……」


 この建物が、ネイシス教会ということか。

 透は建物をまじまじと眺める。


「なんというか、やけにあっさり見つかったね」

「そうだな。だが、ネイシスは運命神なのだ。神がもたらした運命が、私たちを導いてくれたのだろうな」


 いったいこれまでの頑張りはなんだったんだ?

 ここまで来るのに、肉体的には頑張ってないが、精神的にはずいぶんとくたびれてしまったように透は思う。


 これが運命だというのなら、もっと前に教会まで導いて欲しかった。


「ひとまず入るぞ」

「そうだね。今日中に終わらせないと、明日また来れるとは限らないし……」


 逆に、掃除が終わるまで教会から出られない、という可能性もある。

 来た道は一本だったのに、帰りは分かれ道が沢山あって、しかもどの道を通っても元の場所に戻ってくる。

 これが神の差配なら、それくらいのことはやってのけそうだ。


「ごめんくださーい」


 透が扉を引くと、ギギィと甲高く木が軋んだ。


 扉の向こうには、誰もいなかった。

 降り積もった埃が分厚い層になっている。


 そのどこにも、人の足跡がない。

 しばらくの間、ここに誰も訪れていないのだ。

 教会はまるで、フィンリスそのものに忘れ去られたかのようだった。


「ネイシス教会って、無人なんだね」

「そうみたいだな」

「もしかして、信者ゼロ人?」

「……その可能性はあるな」


 運命がなければ教会に訪れることが出来ないのだから、他の教会のように信者はなかなか増えていかない。


 透は埃の上にあらたな足跡を付けながら、講壇に向かった。

 教会には長椅子と講壇、そして朗読台しかない。


 ステンドグラスもないし、飾りものもない。

 かなり質素な教会だった。


 建物には埃の匂いが充満している。これまでの教会とは違い、深呼吸したくなる空気ではなかった。


「……この清掃の依頼を出したのって、誰なんだろう?」

「おそらく神ではないか?」

「いや、冗談じゃなくて」

「冗談ではないぞ? 普通ではないが、希にあるのだ」

「んん?」


 透が首を傾げると、エステルが得心したように手をぽんと叩いた。


「そういえば、トールの世界は神に見捨てられたのだったな」

「その言い方には賛同出来ないけど……」


 神が直接世界に手を下した事実がない、という意味ではその通りだ。

 透は渋々頷いた。


「この世界はな、トール。神が実在するのだ」

「えっ? ……お伽噺とか聖書の中だけじゃなくて?」

「ああ。実際に降臨することもあるし、司祭にお告げを下すこともあるぞ。つい最近だとここ、ユステル王国の戴冠式に、正義神フォルセルスが降臨されたという話を聞いたことがある」

「へぇー!」


 神が降臨するなど、地球ではまず考えられない現象だ。


(降臨するとどういう状態になるんだろう? 生きてるうちに、一度は見て見たいなあ)


「さて、トール。そろそろ掃除を始めるぞ」

「そうだね。ああ、その前に――」


 透は講壇の前で姿勢を正し、祈る。

 正しい祈り方が判らなかったため、神道流の二礼二拍手一礼を行った。


(心を込めて掃除させて頂きます)


 透が祈った、次の瞬間だった。


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