第32話 割の良い仕事を発見するも……

「そろそろ依頼をこなそう」


 透がエステルにそう切り出したのは、美味しくもない朝食を食べている時だった。


 丁度黒パンをスープに浸していたエステルは、その姿勢のまま首を傾げた。

 ポニーテールが『なにを当然のことを?』とでも言いたげに揺れた。


「僕らの当面の目標として、朝練が出来る家を借りることを挙げたよね。依頼をクリアしてお金を稼がないと、いつまで経っても家が借りられない。とはいえ、Eランクの仕事じゃ借家を維持出来るほどの稼ぎが得られないから――」

「なるほど。まずはランクアップを目指すのだな!」

「その通り」


 エステルの回答に、透は鷹揚に頷いた。


 透はエアルガルドの家賃相場を知らないが、一軒家を借りるとなると、相当稼がなければならないだろうと考えている。


「ゴブリン討伐が1口40ガルド。これだと、ちょっと厳しいよね」

「そうだな。家賃と生活費だけでなく、依頼の準備にもお金は出て行くからな」


 家賃は給料の3割がベスト。

 これが透が暮らしていた、日本の常識だった。


 これがエアルガルドにも当てはまるなら、Eランク冒険者の稼ぎでは不安が生じる。


 そこで、ランクアップである。

 Dランクになれば、Eランクよりも割の良い仕事が請け負える。

 借家をしても金銭的な余地が生れる。


 ランクアップによる依頼の難易度上昇に、透は不安がないわけではない。

 だが先日倒したロックワームはDランクの魔物だ。


 Dランクが平均してロックワーム程度ならば、問題なく討伐出来るだろうと透は考えた。


「というわけで、依頼を見に行こう」

「わかった。ところでトール、ギルドに行ったあとは暇か?」

「うーん。すぐに依頼を引き受けなきゃ暇だけど……なにかあるの?」

「ああ。ちょっと、寄りたいところがあってな。付き合って欲しいのだ」

「わかった。じゃあ、ギルドで依頼を見繕った後で」


 透は美味しくない黒パンと塩スープを、胃に流し込むのだった。


          ○


 朝食を終えたあと、透らはすぐにギルドを訪れた。


 先日、受付部門のチーフであるフィリップが、冒険者を意図的に依頼失敗に導いていた不正が明るみになった。

 そのことで、フィンリスで活動する多くの冒険者は、ギルドに対して不信感を募らせている。


 そのせいだろう。仕事を受注するには最適な時間であるというのに、ギルドの受付ホールには冒険者の姿がなかった。


 寂しいホールを移動して、透はEランクの掲示板をチェックする。

 すると、


「ん……? 報酬が、金貨1枚?」


 クリア報酬が金貨一枚という依頼が、透の目に留まった。

 Eランクの依頼としては破格も良いところだ。


「トール、どうしたのだ?」

「いや、この依頼なんだけど」

「き、金貨一枚!?」


 その報酬に、冒険に慣れたエステルさえも目を剥いた。


「これは、裏があるのではないか?」

「うーん」


 いまはギルドの不正が明るみになったばかりだ。

 Eランクの依頼でこれほど多くの報酬となると、エステルのように裏を疑うのも当然だ。


 しかし透は逆に、裏はないんじゃないかと考えた。


「でもさ、今のタイミングで、こんな判りやすい依頼を出すかな?」

「ん、どういうことだトール?」

「きっと、低ランクの依頼でここまで報酬をはずめば、誰だって怪しむよね。もし裏があるなら、こうやって判りやすく仕込むことはないんじゃないかな」

「そうかもしれないがなあ」

「僕なら、こんな判りやすく『怪しんでください!』って依頼は出さないよ。普通の依頼と同じ条件でセッティングする」


 ひとまず受けるかどうかは棚上げして、透は依頼内容をチェックする。


【急募】大清掃任務【Eランク】

・内容:ネイシス教会の清掃任務です

    ネイシス教会の中をすべて綺麗に掃除してください。

・クリア条件・期間:依頼人から聖印を貰うまで

・報酬:金貨1枚

・失敗条件:なし

・失敗違約金:なし


 依頼内容的に、なにかを仕込む余地はなさそうだ。

 戦闘依頼ではないので、途中で命を落とす危険はない。また、失敗の条件も自分からリタイアを申告した場合に限られる。


「エステル。この聖印って何?」

「聖印は、神を表す印のことだぞ。エアルガルドには全部で6柱の神がいるが、それぞれの聖印があるのだ」

「へぇー」


 つまりの|玉璽(ぎょくじ)や家紋みたいなものかなと、透は聖印を理解した。


「しかし、このクリア条件は不安なのだ……」

「たしかに。これだと延々こき使われる可能性があるね」


 とはいえ、この金額は魅力だ。

 なんとなく「怪しい」というだけで諦めたくはなかった。


「ちょっと聞いてみようか」


 そう言うと透は依頼用紙を掴み、受付に向かって歩き出した。

 受付には透の冒険者登録時に世話になった、マリィが居た。


 彼女は透が自分の所に向かってくるとみるや、にこっと満面の笑みを浮かべた。


「……トールぅ?」

(ひえっ!)


 透の視野角ギリギリラインに、ぬんっと無表情のエステルが滑り込んだ。

 完全にホラーである。透の心臓がバクバクと胸を打つ。


「お早うございますトールさん、エステルさん」

「お早うございますマリィさん」

「お早う、マリィ」

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ちょっと依頼について聞きたいことがあるんですが」


 透が依頼用紙を差し出す。

 その紙を見たマリィが、呆けたようにぱちりと瞬きをした。


「この依頼ですけど、どうしてこれほど報酬が破格なんですか?」

「……申し訳ありませんトールさん。この依頼、どちらからお持ちになられたんですか?」

「掲示板からですけど」


 そう言って、透は目でEランク用の掲示板を指した。

 だがマリィはまだぴんと来ていない様子だ。


「トールさん。申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか?」

「えっ、あ、はい」


 そう言うと、マリィはカウンターの後ろにある棚に向かった。

 棚には依頼に関わるものだろう資料が大量に収められている。

 棚から数冊抜き取り、ぱらぱらと眺めたマリィが再びカウンターに戻って来た。だがその表情はやや曇っている。


「お待たせいたしました。大清掃任務の報酬についてですが、金貨1枚で間違いありませんでした」

「……どうしたのだマリィ?」

「それが……。私は受付嬢としてすべての依頼を頭に叩き込んでいるのですが、この依頼についてだけまったく記憶にないんです」

「偽造か?」

「依頼主の名前がなかったので、その可能性も考えました。ですが、依頼主から依頼を受理する時にギルドが発行する契約書があり、また報酬も既に支払われておりました」


 正式な手続きを踏んで掲示板にも掲載された。

 だが、マリィは知らないと言う。


 この現象に、エステルが唇を突き出した。


「トール。やはりこの依頼は危険だ。これもフィリップの置き土産かもしれないぞ」

「……」


 エステルの言葉に、マリィが沈鬱な顔になった。

 ここ数日、エステルと同じような理屈で依頼を拒否する者が後を絶たないのだ。


 しかしトールは頭を振った。


「いや、これを受けようよ」

「トール。私の話を聞いていたのか?」

「うん。ギルドとしては正式な手続きを踏んで依頼を発行したんですよね?」

「書面上は、そうですね」

「ほらトール、やはり怪しいぞ?」

「で、ですが、報酬についても既にギルドに収められておりますから、ただ働きはありません!」


 エステルの嫌疑に、マリィが必死になって弁解する。

 その二人を眺めて、透は口を開く。


「エステルの意見はわかるよ。でも、一応報酬は用意されてるみたいだし、やれるだけやってみようよ」

「……何故トールはそこまでこの依頼にこだわるのだ? 依頼なら他のものでも良いではないか」

「だってこの依頼、面白そうでしょ」


 エステルの疑問に、透は屈託なく笑って答えた。


 受付嬢が知らない依頼。

 依頼主の名前がわからなければ、いつ掲示されたのかもわからない。

 だが依頼は正式な手続きを踏んでおり、依頼料の支払いも済んでいる。


 まるでミステリーだ。

 その状況に、透は強く興味を惹かれた。


「もしこれが討伐依頼なら辞めようと思ったけど、命がかかる依頼だとは思わないしね。おまけに依頼失敗のデメリットもない」

「たしかに、そうかもしれないが……」


 エステルがまだ渋っているが、透は既にこの依頼を受けることを決めていた。

 デメリットなしで、金貨1枚もの報酬にチャレンジ出来るのだ。引き受けないなどもったいない。


「それでエステル、マリィさん。このネイシス教会ってどこにあるの?」

「「…………」」


 透の質問に、二人が黙り込んだ。

 まるで『そんなことも知らずに依頼を受けるつもりだったのか?』と言うような視線が透に突き刺さる。


「……トール。ネイシス教会はフィンリスの〝どこかにある〟教会だ」

「そうですね。フィンリスのどこかにはあると〝言われている〟教会ですね」

「えっ、なにそれどういうこと?」

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