第26話 あの空間は誰のせい?
「トールぅ?」
「ひぅ!?」
「マリィと、なにがあったのだ?」
「ちょ、ちょっと……」
「ちょっと?」
「あ、あとで教えるよ」
エステルが発する謎の圧に怯えながら、透はマリィとのやりとりについて後ほど詳しく教えようと、固く心に誓った。
「さて、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ。この前受けた依頼の報告に来たのだ」
「了解いたしました。では場所を移しましょう。あちらの小部屋にお願いします」
訓練場に向かう通路の横に、扉のある部屋があった。そこで、情報の共有が行われるのだろう。透はエステルを見送る。
しかし、
「トール」
「んっ?」
エステルが振り返り、透を目で招いた。今回の依頼はエステルが一人で受けたものだ。透は彼女を助けたが、依頼には無関係だ。報告の場に居る必要はない。
だが、エステルは来いと言っている。
三日間遭難していたことや、ロックワームと戦闘になったことを、透の口からも証言してほしいのか。
(……仕方ない)
透は彼女の意を受け、共に小部屋に向かった。
小部屋は、大人六人がギリギリ入れる程度のものだった。中にはテーブルと、堅いソファが並んでいる。
透がソファに座ると、ソファがみちっと不平の声を上げた。
(わお。超高反発……)
ソファには優しさの欠片もなかった。
透がお尻の位置を調整していると、隣にエステルが座った。
ふわり、甘い香りが透の鼻孔をくぐり抜ける。三日間体を洗っていないはずなのに、エステルは良い匂いを纏っていた。
その匂いに、透はエステルを強く意識してしまった。
日本で三十二歳。エアルガルドに来てから魂はそのままに、体が若返った。中も外も枯れも衰えもしていない、健康優良児である。
いくら普段は意識しないといえ、年頃の若い女性の良い匂いには、さすがに反応してしまう。
「……? どうしたのだトール」
「いや、なんでもないよ」
エステルがこてんと首を傾げた。そこには男を籠絡しようなどという〝色〟は微塵も見られない。純粋そのものである。
透は平行思考全てを用いて念仏を唱え、邪な感情を脳から追い出した。
「大変お待たせいたしました。……トールさんもご一緒ですか?」
「ああ。トールも情報を握っているからな」
「了解いたしました。それでは報告をお願いします」
「シルバーウルフ頻出についてだが――」
エステルが調査過程で入手した情報をマリィに伝えた。
それはフィンリスに向かう途中で、透が彼女から聞いた内容と同じだ。
エステルの話を聞きながら、マリィが紙にペンを走らせる。
ロックワームと共に、クイーンロックワームが出現したという話になったとき、これまで平静を保っていたマリィの顔に驚愕が浮かんだ。
「クイーンロックワーム……。これは、すぐにでもギルド内に情報共有しないとっ」
「それは大丈夫だぞ。クイーンロックワームについては、既に討伐済みなのだ」
「えっ? クイーンロックワームを、ですか? あれは討伐ランクCで、冒険者ランクC以上のパーティで討伐する魔物ですよ?」
「そうなのだがな。トール。魔石を出してくれ」
腰を浮かせたマリィを宥めつつ、エステルが透に指示を出す。
指示を受けて、透はクイーンロックワームの魔石を<異空庫>から取り出した。
「これが証拠だ。確認してほしい」
「お預かり致します。……たしかに、Dランクのものと比べるとかなり大きいですね。他に、討伐を証明出来るものはありますか?」
「いいや。本体の状態が悪くて、なにも持って来なかったのだ」
「そう、ですか」
「不味かったか?」
「いえ、魔石があれば持ち主の魔物は大体わかりますので、大丈夫です。こちら、鑑定させて頂いても?」
「ああ」
「それでは、後ほど鑑定させて頂きます。それで……」
マリィが一旦言葉を止め、二人を伺うような視線を向ける。
「クイーンロックワームですが、もしかして、お二人で討伐されたのですか?」
「いいや、トール一人で倒してしまったぞ」
「ええっ!?」
マリィが喫驚した。
そこまで驚くことだろうか? 透は僅かに首を傾げた。
「それは、本当ですか?」
「ええ、本当です」
「けど、相手はCランクの魔物ですよ? それも、外皮が硬いことで有名なクイーンロックワームです。参考までに、どうやって倒されたか、方法を伺っても?」
「うーん。方法って言われても……剣と魔術を使って普通に倒したとしか」
「…………ふつう?」
マリィの表情がガチンと固まった。
透にとっては、普通に戦ったつもりである。もちろん、簡単に倒せたとは微塵も思っていない。
だが、絡め手を用いたわけではないので、普通という以上説明のしようがない。
「あっ、外皮を傷付けて、そこに≪ファイアボール≫を撃ちました」
「えー、うん、はい。傷口への火魔術使用は、効果的にダメージを与えられる方法ですね」
マリィの表情から、どんどん魂が抜けていく。
「マリィ。トールはこれが普通なのだぞ」
「そう、なんですね。……おかしいな、私が知ってる迷い人と違う」
「それは私も同意見なのだ」
マリィとエステルが、まるで長年生き別れになっていた姉妹が再会したかのように、ぐっとお互いの手を握った。
「ええと……、ごめん。どうして二人はそんな感じになってるの?」
「まずだな、剣術が使えて、攻撃魔術も使える人間は、エアルガルドに数える程しかいないのだ」
「そうなんだ?」
「攻撃魔術が使えるならば、大抵は魔術師になる。魔術があれば遠くから一方的に攻撃出来るのだから、わざわざ危険な魔物の懐に飛び込まねばならない剣術を修めようという者はいないのだ」
「……なるほど」
「他には……そうだな、レベルが10以上離れた相手と戦っても勝利はない。これは一般論だが、冒険者にとっての常識でもあるのだ。といっても、能力や相性によってはこの限りではないのだが、苦戦は強いられる。
ちなみに魔物のレベルだが、一番下のEランクが大体レベル5から10。Dランクが10から20と言われている。Cランクになると20から40だったな」
エステルが目でマリィを見た。
その視線を受けて、マリィが引き継いだ。
「はい。捕捉しますと、魔物のレベルはあくまで私どものギルドで長年積み重ねた経験をもとに算出された推定値です。Cランクの魔物のレベル幅が大きいのは、Dランク以下と比べて任務の幅がそれだけ広いためとお考えください。
今回討伐されましたロックワームはDランクのレベル15。クイーンはレベル30と推定されております」
「迷い人がレベル30のクイーンと戦っても、エアルガルドの常識では〝絶対に〟手も足も出ないのだ」
エステルは『絶対に』の部分をことさら強調した。
(絶対……ってほどでもないと思うんだけどなあ)
透は自らのレベルを思い出しながら、小首を傾げた。
レベル差がありすぎると勝てない理屈はわかる。レベルアップによってステータスの上昇が起こるためだ。
ステータスはスキルボードでも確認出来ないが、レベルアップによるステータスの上昇は確実に発生している。それは、透もレベルアップ後に跳躍で崖を登り切ったことで実感した。
「レベルって、みんな確認出来るの?」
「ん? ああ、そういえばその説明はしてなかったのだったな。教会に行けば、自分の今のレベルとスキルが確認出来るぞ」
「へぇ、そうなんだ」
スキルボードの画面に似たなにかが、教会にもあるのだろうと推測出来る。
エアルガルドに向かう透に、神様がスキルボードを授けてくれたのだ。
スキルボードのある世界に、レベルやスキルを確認する術が複数あっても不思議ではない。
「ちなみに、エステルはレベルいくつ?」
「それは秘密だ。トールは女性に体重やスリーサイズを聞くのか?」
「うん。聞いちゃいけないことだけはわかったよ」
自らのレベルやスキルは、体重やスリーサイズと同様の|秘密事項(プライバシー)であるようだ。
透は隠すほどのものではないと感じるが、それは育った環境が違うせいだ。日本でも一昔前まで、芸能人の住所が週刊誌に掲載されていた。
育った環境が同じでも、時代が変わればプライバシーも変化する。プライバシーとは、そういうものなのだ。
「少し脱線してしまいましたね。トールさんがおかしいという話はこれまでにして――」
「そんな話してたっけ!?」
透が慌てて尋ねるが、マリィはにっこり笑顔を浮かべるだけで透の言を封じ込めた。
彼女の笑顔には、反論を決して許さぬパワーが秘められていた。
「シルバーウルフの出現率増加について、ロックワームが原因という結論で問題ないと思われます。他に調査の過程で不審なものを見た覚えはありますか?」
「特には……いや、あった。フィンリスの森の浅い部分が、拓かれていたぞ!」
「拓かれていた……?」
「ああ」
エステルは頷き、僅かに身を乗り出した。
「森の中にぽっかりと、家が4軒くらい建てられる空間が広がっていたのだ。切り倒された木は、空間の隅に山積みにされていた。切り株の切り口は鋭利で、とても普通の斧で切り倒したようには見えなかった。
あれはどこかの国軍の精鋭部隊が、拠点用にと極秘裏に切り開いたのではないかと思うのだが……」
「だとすれば、厄介ですね。もしかすると、フィンリスに軍事行動を起こす前触れかもしれません。ギルドの方で再度調査致します。この情報については、決して他言しないようお願いします」
「わかった」
二人の話を聞きながら、透は額に脂汗を浮かべていた。
(なんか、僕が【魔剣】の切れ味確認で木を切り倒しただけの場所が、とてつもない勘違いされてるんですけど!?)
「トール? どうしたのだ。汗が凄いぞ?」
「い、いや……なんでもない、ヨ?」
「あの空間について、なにか気になることがあるのか?」
「あ、あれは普通に、木こりがノリで切り倒しただけじゃないかナーって思うんだけど。軍事行動とか、極秘行動とか、そんなのは全然関係ないと思うナー!」
「「……」」
脂汗を流す透を見る二人の瞳が、据わった。
――ああ、コイツの仕業か、と。
「……コホン。それでは話を戻しますね」
「戻しましょう、戻しましょう!」
「「……」」
閑話休題を大歓迎した透に、二人の鋭い視線が突き刺さった。
二人から受ける無言のプレッシャーに、透は口を噤んでプルプルと震えるのだった。
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