劣等人の魔剣使い【WEB版】

萩鵜アキ

1章 エアルガルドに転移する

第1話 プロローグ

 20万部突破!

 本作【劣等人の魔剣使い】小説・漫画1~3巻が講談社より好評発売中!


 今日は4話まで。明日以降は毎日更新。


※本編は書籍版と一部内容が異なります。何卒ご了承ください。



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 |水梳透(みなすきとおる)が穴に落ちたのは突然のことだった。

 仕事でくたびれた体を引きずるように夜道を歩いていた透は、突如浮遊感を覚えた。

 疲れが溜まって腰が砕けたのかと思った。慌てて足を踏ん張るも地面がない。


「えっ? な――ッ!?」


 足がぴんと突っ張った。横隔膜を押し上げる浮遊感が持続する。

 そこから10秒経って、ようやく透は異変に気がついた。

 瞼を開いているのに、辺りは真っ暗だった。相変わらず浮遊感は続いている。


 落ちた。


 透がそのことに気がつくとほぼ同時に、視界を真っ白な光が満たした。


 ぽん、という冗談のような音とともに透は腰から地面にぶつかった。

 落下時間の割に、衝撃はまったくなかった。


「えっ、えぇえ……?」


 状況が飲み込めない透は、しばし尻餅をついた形で辺りを見回した。


 辺り一面、何もない。

 ビルも家も道路も電柱もない。

 すべてが白一色の空間が広がっていた。


「な、なんだここは……?」

「あれぇ? なんでここに人間がいるのよ」


 突如背後から声が聞こえた。その声に、透はびくっと肩を振るわせた。

 振り返ると、白い空間の中に見目麗しい女性がいた。


 その女性は、白い貫頭衣のようなものを着ていた。

 長い髪の毛は透き通るほどの金色だが、顔立ちは外国人よりも日本人的だ。

 ただ深紫の瞳は、日本人ではまずお目にかかれない色である。


「貴女は、誰?」

「ふぅん、アンタには女性に見えるのね」

「えっ?」


 透は慌てた。もしかして綺麗な男性だっただろうかと。そんな内心を読み取ったか、女性は苦笑して、


「違うわよ。人によって見え方が変わるのよ。しばらく前に来た男は、アタシを男だと思ってたみたいだったし」

「男には全然見えないですけど……」

「なんかオーマイゴッド、ジーザス・ハレルヤ・エーイメンだかってしきりに口ずさんでたわ。たぶんその男は、男が考える神に見えたんでしょうね」


 そう言うと、女性は袋に入ったポテチを取り出し、ポリポリと食べ始めた。


(……一体そのポテチはどこから出した?)


 透には彼女がポテチ袋を持っていたようには決して見えなかった。まるで手品のようである。


「説明すると、アタシは神よ」

「あーはい、そうですか」


 途端に透は彼女の言葉を聞く気が失せた。

 自分を神だと言う奴に陸(ろく)な人間はいない。


「地球の人間――特に日本人ってみんな似たような反応をするわよね。神をなんだと思ってるのかしら?」

「史上最高の詐欺師」

「……どうやらアタシは一度、日本人を再教育しなくちゃいけないみたいね」


 女性は目元をヒクヒクさせた。


「ところで、ここはどこですか? なんか僕、道を歩いてたら落ちたような気がするんですけど」


「それで正解よ。アンタは落ちたの。アンタが落ちてきたのは次元の裂け目よ」

「次元の裂け目?」

「ええ。裂け目はごく希に、地球上のどこかにランダムで出現するバグね。どれだけプログラムを弄っても消えないのよねぇ。アンタはその裂け目から落下していま、ここにいる。ここまでは大丈夫かしら?」

「……う、うん。まあ、はい」


 透は彼女の話が信じられなかった。

 だが信じようが信じまいが透は現在、己の理解を超えた場所にいる。


 これが夢であればと思ったが、頬をつねると痛みを感じた。

 先ほど落下して尻餅をついたときは、一切痛みがなかったというのにだ。


 否も応もない。無理にでも信じるしかない。


「とりあえず、明日も仕事があるから元の場所に戻りたいんですけど」

「それは無理よ」

「どうして」

「戻るならあそこだけど――」


 女性は上を指さした。そこには微かだが、白い天井の中に小さな黒い点が見えた。

 距離感がまるで掴めないが、その黒い穴に向かって進めば、元の場所に戻れるのだろう。

 だが、そこに行く方法は不明だ。


「――アンタ空飛べる?」

「無理ですけど……」

「じゃあ諦めて」


 どうやら、穴に入るには飛ぶ必要があるらしい。

 なんとも原始的な解決方法だ。


「いやいやいや! まだやりかけの仕事が残ってるんです。明日も進めないと、納期に間に合わない。あなたは神様なんですよね? だったら僕を神様パワーかなにかで元の世界に戻してくださいよ」

「戻しても良いんだけど……」


 女性はポリポリとポテチを食べながら、透の頭からつま先までじっと眺めた。


「その姿で戻っても仕事は出来ないわよ」

「……どういう意味ですか?」

「いまのアンタは、魂だけの存在になってるのよ」

「へっ?」


「まさか次元の裂け目に落ちても、普通の人間の肉体が形を保てているって思ってるの? 人間の肉体は三次元よ。三次元の存在である限り、二次元にも四次元にも行けないじゃない」

「そんな……」

「まあそんな顔をしないの。どうせアンタが持ってる仕事なんて、他の誰でも出来る仕事なんでしょう? アンタが来ないとわかったら、きっと誰かが問題なく引き継ぐわよ」

「ぐっ……」


 この自称神。的確に痛いところを突いて来おる。

 透自身、そのことは重々承知している。だが面と向かって言われると、己の存在の軽さに心が砕けそうになった。


「それで……僕はどうなるんですか」

「それじゃあ、その話を進めましょうか」


 彼女はポテチ袋を消し去りパンッと手を叩いた。

 すると真っ白だった床が、一斉に色を変えた。


 まるで床一面が巨大なモニターになったように、床には白と緑と青の模様がゆっくりと流れていた。


「アンタには二つの選択肢があるわ。一つはこのまま消える。なんの苦労もせず、なんの痛みも感じずにあの世へ行けるわよ」

「はあ。あの世ってあるんですね」

「ないわよ」

「じゃあ何故言った!?」


「二つ目は――」彼女は透の問いを無視して続けた。「この星に移住することよ」


 星――白と緑と青の模様は、星の映像だった。

 それに気づき、透はじっと星を見下ろした。


「上から落ちてきた魂を再び上に戻すのは難しいわ。けど、下に降ろすことなら簡単なのよ。アンタはいま肉体を持たないけど、アタシなら丁度良い体に入れてあげられる」

「丁度良い体、ですか」

「そう。魂が抜けたてほやほやの体よ」

「それって、もしかして遺体?」

「そうとも言うわね」

「えぇえ……」


「そんな嫌な顔しないの。アタシでも、新しい体を一から作るのは大変なのよ? 馬鹿みたいにリソースをつぎ込まなきゃいけないし、そのせいで知らない場所にバグが出来るかもしれないんだから」


「まだ生まれてない赤ん坊に移してもらうことは出来ないんですか?」

「そのためには、赤ん坊の魂を抜かなきゃいけないわよ。赤ん坊だって、魂を持ってるんだから。生まれてくるはずだった魂を消し去ってまで、アンタは赤ん坊に乗り移りたいの?」

「いや、それは……」

「それに、赤ん坊に乗り移ったら、アンタはその精神年齢(とし)でママからオッパイを貰わなきゃいけないわよ? そういう趣味があるならアタシは別に手を貸しても――」

「いいえ結構です!」


 そのような言われ方をすれば、誰しもNOと答えるに決まっている。

 中にはそういう特殊な趣味を持つ者もいるかもしれないが、透は違う。


「それじゃあ決まりね。いまからアンタを死た――丁度良い体に送り込むわね!」


 いま死体って言おうとしたかこいつ。

 透はじっと女を睨めつけた。


「ところで、僕は向こうの世界のことを何一つ知らないんですけど、生きて行けるんでしょうか?」


 国が変わると言語が変わる。

 希に言葉はなくともボディランゲージのみで会話出来る人はいる。だが異世界人と言語なしのコミュニケーションが取れるほど、透はコミュ力が高くない。


 また生活様式の変化も大きいと想像に易い。

 地球で最も恵まれた生活環境を持つ日本でぬくぬく育った透が、それ以外の地域に前知識なしで放り込まれても、生きて行ける自信はなかった。


「その辺りはアタシに任せて。これまで次元の裂け目に落ちた人も、アタシのフォローを受けて別世界に移住したから」

「他にも移住してるんですね」

「ええ。天寿を全うした人もいるし、途中で……」

「途中で?」

「……うん。アンタなら天寿を全う出来るハズだから安心して!」


 女性は誤魔化すように声を張り上げた。


(途中で一体なにが起こったんだよ……)


 安心してと言われても、透は不安しか感じない。


「――と、言ってる間に準備が整ったみたいよ」

「早いですね」

「いったい一日に、世界中で何人が死ぬと思ってるのよ」

「……それもそうですね」


 地球では1秒間に1,8人が死亡していると言われている。

 こうして話している間にも、何人もの人が死んでいるのだ。

 透が降りるのに最適な体など、すぐに〝生まれる〟というものだ。


「じゃあ向こうに行く前に、これを上げるわ」


 そう言って、女性は透にA4サイズの透明な板を差しだした。アクリル板のような見た目のそれを手に取った瞬間、パッと光を放ち板が消えた。


「えっ、あれ? 消えた?」

「いま渡したのはスキルボードよ。……スキルボードって言って通じるわよね?」

「大体は」


 透は頷いた。

 人並みにゲームを嗜む透は、スキルボードがなんなのか大体把握出来た。

 ようは、本来人間には操作できない潜在能力を、自由に変更出来るシステム、あるいはデバイスだ。


「どうして消えたんですか?」

「それはアンタの魂に結びついたから。向こうの世界に行ったら使えるようになるわよ。地球でマトモに生きたなら、使えないってことはないだろうから」

「えっ? 使えないこともあるんですか!?」

「うん、まあ、アンタは真面目そうだし、大丈夫だと思うわよ?」


 真面目なら大丈夫?

 透は首を傾げる。


 不真面目だったら、なにかペナルティがあるのだろうか。

 心に手を当てて、過去の自分を思い浮かべる。不真面目だった記憶ばかりが蘇って、透は背中にダラダラと冷たい汗が流れた。


「それを上手く使って、長生きしするのよ。それじゃあ移動させるわね」

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ尋ねたいことが――」

「大丈夫よ。これが今生の別れにはならないから。条件を満たせば、アタシはいつだって会ってあげるわよ。んじゃ、頑張ってねー」


 女性は笑顔を浮かべ、手を前に差しだした。

 手の平に白い光が集中した。

 それは瞬く間に、透の視界を覆い尽くした。


「沢山――を送ってね」


 そんな声を最後に、透の意識は途切れたのだった。


          ○


 人間を送った後、神は「ふぅ」とゆっくり息を吐いた。

 魂だけとはいえ、現世に介入するのはなかなか骨が折れる。それでも、この場に落ちてきた魂を、新たな道に送り出すのは神の務めだった。


 務め……いや、楽しみか。


「今回の人間はどうやって生きるのかしらねぇ」


 神は今回、スキルボードにこっそり仕掛けを施していた。

 スキルボードは人間を送った星『エアルガルド』で生きるための補助システムだが、〝正しく使えば〟過剰な力が得られる。


 といっても、十全に使えた者はいまのところ一人もいない。


 まず、スキルボードが使えなかった人間が全体の半分を占めている。

 スキルボードが使えないのは、元の世界で徳を積み重ねて来なかったためだ。


 因果応報。

 怠惰な人間に、神は力を与えない。


 次に、スキルボードが使えた者でも、ほぼ全員が〝必須技能〟を取得しなかった。

 取得したくても出来なかった者と、取得出来たけれどしなかった者の両方が居る。


 いま送り込んだ魂はどうか。


「まー、あの子ならスキルボードの使用は問題ないでしょう。あとは、絶対に必要なスキルに気づくかどうかねー」


 もし必須技能に気づけたら、彼は人類史上かつて無い力を手にすることになるだろう。


 その力を持った時、あの人間はどう変化するか?

 マトモでいられるか、あるいは狂気に侵されるか……。


 彼がどう動くか? 神はいまから楽しみで仕方がない。

 だが、それよりも楽しみにしているのがあった。


 彼女が仕掛けた力を、彼が使った際に送られてくるモノである。


「沢山送って欲しいなあ」


 神はそれ――人間にはポテチに見えていた――を取り出し、ゆっくりと口に運ぶのだった。

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