カヌレ

タコ君

カヌレ


 カヌレ。

 カヌレ・ド・ボルドー。


 これを読んでくれている諸氏が、果たしてこの洋菓子の事を知っているかは存じ上げないけれど、私は先日それを初めて口にした。すこし、焦げ目の苦味があるかりっとした外側、しっとりとした内側、煩くない、程よく五臓六腑が喜ぶ甘味。下品さの欠片もないその素直な味に舌鼓を打った。まだ冷凍庫に2個残っているので、この文を書き終えたらハチミツ味かチョコレート味どちらかを柔らかくしてから頂こうと思う。


 先日、というと。世間はバレンタインデーだった、諸氏は如何お過ごしだったろうか?想い人に何かしら施したか、施されたか、己に己で施してやったか、あるいは。別にそれをとやかく言うつもりは無いけれど、私が悶々としている理由はその日である事にあるため、一応尋ねておきたく。

 私のカヌレは、予定の合わなかった母親がバレンタイン前日に寄越してくれたものだ。その日は、それを頬張って、静かに眠ったのを覚えている。


 以下に記すのは、カヌレを食した翌日の朝方、つまりバレンタインの朝の夢である。



 自分の布団で寝息を立てていたハズの私だったけれど、なぜか自宅の和室で目が覚めた。この寒い時期に、布団も被らずに、暖房の無い部屋で寝ていたらしいという事実に、純粋に驚いた。

 夢なんて云うものに正気や常識を持ち出すのも違うような気がするけれど、私は基本的に自分の布団以外で寝ることは無い。この時点で違和感以外の何者でも私にとっては無いのだけれど、夢は例外的な物事で完成されたものという事を忘れてはいけない。

 しかし、自室では無いにしろ家の中だ。直ぐに寝床に行けば寝れられるし、どうも外は晴れ晴れとしていて昼のようだった。起きていても良い。そう思って上体を起こした。

 なんとなくだが、現実世界の私はここで寝返りか何かをしたのだと思う。この妙な夢が覚めた時、身体中を這い回る得体の知れぬ寒気に襲われた。それは勿論夢のせいでもあるし、いつの間にか布団がズレにズレて、私を暖める仕事を放棄していたからでもあろう。全く、私は昔から寝相が悪いと言ったらこの上ない。

 起こした我が上体を見て、またもや違和感に襲われた。私はお気に入りのシャツを着ていた。これは出先にしか着た試しが無い。下半身は紺のジーンズだ。コイツも出先に着ていく物だ。ちょっと出掛ける時の私服というようなヤツだ。人と会う時にこれを着ていれば取り敢えずハズレは無いだろう、と私が勝手に思っている物だ。故にというか、私はファッションセンスの欠片も無い男なのだけれど。

 そんな事を考えていると、遠くからなにやら話し声が聞こえてきた。女性の声が1、2。二人が話しているらしい。片方は母親の声だった。若干余所行きの声だった。少なくとも私や私の妹などと会話する時の声では無い。もう片方は誰だろうか、何処かで聞いたことのある声だった。暫く聴いてはいない気もした。具体的な数字は引き出せないけれど、ざっと一年は聴いていないと見積もっても大袈裟では無いだろう。

 暫くして、私の目にしっかりとその姿が映る。私がそちらに目線を投げたから、なのだけれど。声の正体は同級生だった。私の家に何の用事だったのかは知らないけれど、帰ろうとしているらしい。荷物を纏めて玄関に向かっていっている。一体全体何がどうしたせいで家に来たのかとか、何をしていたのか、というか同級生の客人ならお前は何で寝ていたんだとか、色々と言ってやりたいが……これは夢だ。この時の夢の中の私は、これを夢だと気付いていないのが、今の私からすると歯痒いが……。

 彼女の説明を一応しておく。彼女=私の同級生。外見の説明もしようかと思ったのだが、何をどう言っても失礼になりかねないので取り敢えず「可愛い」とだけに留めておく。いつから仲が良いんだったか、そもそも我々は仲が良いのか?……とりあえず、正直、もう覚えていないが、最低でも6年くらいの縁はあったハズだ。私は卒業アルバムやらを見返すのがすこぶる嫌いなので、私が覚えていようとしていない記憶に分類されてしまったソレは風化してしまったらしい。まあ、今必要な縁だけあればいいのだし。

 そんな彼女は、私の母に別れを告げた。母はそのまま台所の方に行った。何かしらの片付けでもするんだろう、こうして客人が来ていたのだし。

 その場に残ったのは、私と彼女の二人。夢の私は「どうせすぐ帰るのだろう」とでも思ったらしく、上体を起こして壁にもたれて座ったまま、何かしらを告げた。せいぜい私の事だから、気品の欠片も無く「じゃあな」とでも言ったのだろう。ここらは何故か三人称的な夢だった覚えがある。定点カメラになった意識の私が、夢の中で生きている私を見ている。冷静になると、なんとも気味の悪い話だ。

 ところで、その彼女は帰る様子が無い。というか私に寄ってきている。座り込んでいる私にわざわざ用事などあるものか?

「手出して?」

「わかった。ほい。」

「はいよろしくっ」

 みたいなやり取りをして、ゴミ捨てを無理矢理押し付けられるのを夢でもやるのだろうか?あれは本当にくだらない、一周回って夢でならやってやってもいい位だ。

 そのような事を考えていたら、

 いや、

 正直考えるような暇は無かったか?

 私は、急に耳に熱い何かを吹き掛けられた。


好きだぞ


 その言葉は消えるのが早かった。まるでチョコレートだ。甘く、蕩けるような、その何か。

私は耳を疑った。「はぁ!?」とも「え……?」とも言えなかった私は、

「じゃあお邪魔しました!」

と、今度こそ帰ろうとしている彼女の肩を引こうとした。走り出すように立ち上がって、左手を伸ばして、すこし乱暴かもしれないけれど、強く引いて、真意を問おうとした。彼女の垂らした大きすぎる釣り針とエサを引こうとして、私は……。



 以上が、釣られることも、スカされることも、そしてこっぴどく放置される事も能わず、答えの無いまま水泡に帰した私の夢の記し書きである。このように文に起こす作業中に私が無様にもこの夢を見せてきた憎く且つ温い布団でのたうち回ったのは言うまでも無いだろう。


 この夢を自己分析するのは、ハッキリ言って死をも懇願したくなるような生き地獄へと自ら踏み入れるようなものだが、やらない訳にも私の気が落ち着かないので、自分の心を含め、見つめ直す事くらいはしようと思う。さあ私、更にのたうち回る用意はいいか。


 どうやら私の準備は出来たようなので始める。

 まず、何故こんな夢を見たのだろうか?これは答えが出ているも同然だろう。

「私が好きな相手」に「好き」だと返されたい。

 これに尽きる。これは隠そうとしても無駄だ、何故って本心だからである。こうなってしまったらもうそうだと認めざるを得ない。それに元々、どう決着を着けるべきかで悩んでいただけであり、自分の中の感情の輪郭は理解している。理解しているが故に、この夢に殺されそうになっていると言ってもいい。

 バレンタイン当日にこんな夢を見たのも理由は同じだろう。義理でも何でも、最悪決着が着くのならマシュマロでも良いのだから、彼女からの何かしらが欲しかったのだろう。夢を作ったのは夢の神とかそんなんではなくて私なので、深層心理の私は、それはそれはとんでもないモノを欲しているが。

 しかし、何故私の耳に、吹き掛けるように、呟いて言ったのか。広告だらけでマトモに読めたもんじゃないまとめサイトの『告白される夢の意味とは?』的なサイトにも、囁かれる告白の夢の意味は載っていなかった。

 夢とは深層心理の写し鏡である、という論を借りるのであれば、私が彼女の事を囁くようなヤツだと思っている事になるのだろうか?大事な事をこそっと囁くような卑怯なヤツだと思っているか、というと違うような気がするし、大々的に言うのに恥じらいがある感情だということを表しているのなら納得といえば納得だし、ただ私が囁かれたいのだろうかと問われれば、寧ろ好きな人に耳元で好意を囁かれるのが嫌いな者はいるのか?という事を私は問い返してしまう。結局答えはわからないけれど、やはり私はどこかでそれを欲しているという説が有力そうだ。あぁ、少し、自分の話に気持ち悪さを感じてしまった。もう止めていいだろうか?というか、誰か代わりに分析しておいて欲しい。夢をデータ化して、夢分析センターみたいなところに送れる夢のような未来は来ないものか。己の長所と短所を見つめ直し、面接の練習をした時のウン十倍、苦しい今をどうにかしたい。


これを読んでくれている諸氏のどれだけが、果たしてこの夢の子細の先を望んでいるかは存じ上げないけれど、私は誰よりそれを求めている。それが、悩み無くスッキリと溶けていく口当たりなのか、ドロリとした終わり、目も当てられぬ、我が五臓六腑が朽ち果てた姿か。どちらかの欠片もないかもしれない見えぬ行き先か。まだそれは一つとしてわからないけれど、願わくはこの文を書き終えたら頂こうと思っていたカヌレのように、しっとりと静かに甘いことを望んでいる。


どうにかしたいと、動いて良いのか。

それすらもわからない。

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