釋尼悦豫(しゃくじえつよ)との思い出

@sondonko

愉快な釋尼悦豫

釋尼悦豫と書いて、しゃくじえつよ、と読む。

一昨年92歳で亡くなった、うちのばーさんの戒名である。

喪主である母曰く「ケチったら短くなっちゃった」というばーさんの戒名だが

4文字で覚えやすく、個人的には気に入った。

折角の戒名なので積極的に使っていこうという方針になった。


ばーさんが死んで悲しいので、ばーさんとの思い出を書こうと思う。

釋尼悦豫は、強烈なばーさんであった。

若い頃ギャンブルで借金ばかり作る旦那と離婚し

保険の営業一本で母と叔母を大学まで出した。

定年後はパートタイムになったものの80歳になるまで、生命保険を売り続けた。

顧客継続率で全国3位を取ったこともあるらしい。

全国3位なのに賞状だけで金一封も貰えなかった、と悪態をついていた。


ばーさんといえば、富山の水である。

悦豫の信じるその穴の谷霊水と呼ばれる水は

富山のどこかで採れる天然水なのだが

悦豫曰く、この水を飲むとアトピーも喘息も癌も簡単に治ってしまうらしい。

毎年、この水を何十リットルも採取し、莫大な送料を払って家に持ち込んだ。

我々は、何かというとこの怪しげな霊水を摂取するよう

また時には顔や身体に噴霧するよう悦豫から強要された。

家族や孫は誰一人水の効能を信じていなかったが

水を否定すると悦豫は烈火の如く怒り始めて手がつけられなくなるので

面倒くさくて言いなりとなり、水を飲んだり身体に塗ったりしていた。

因みに母は子供の頃からずっと喘息持ちだが良くも悪くもなっていない。

しかし、悦豫はまぁまぁ長生きしたと思うので、もしかしたら

水のおかげだったのかもしれない。


ばーさんといえは、えんのうさまである。

えんのうさまというのは悦豫の推しである。(新興宗教の、神様らしい。)

悦豫は、えんのうさま推し活を始めてから

人生が全てうまくいくようになった。と言っていた。

孫から見ると、どのへんがうまくいっているのかはよくわからなかったけど。

とにかく、そんな恩のあるえんのうさまだから

米を炊いたら、一番最初にえんのうさまにお供えしなければならない。

悦豫は足が悪いのに、何故か2階に自室を構えていたため

2階へ上がるのが億劫だったのだろう

いつもえんのうさまにご飯をお供えする役目を孫に命じていた。

我々は夕方、BSこどもアニメ劇場で上映されるキャプテン翼に夢中だったため

このお供え儀式を大変面倒くさく、苦々しく思っており

「えんのうふざけんな」と、えんのうさまを呼び捨てにしてディスっていた。

それを聞くと悦豫は「あんたらなんかえんのうさまのバチが当たればいい!!」

と真っ赤な顔でブチギレていた。

こちとら、キャプテン翼を邪魔された挙句バチまで当てられて、いい迷惑である。

一度、悦豫が「私はえんのうさまにあんたらの分までお布施している」

などと言い出したので、孫みんな、流石に新興宗教への献金は行き過ぎだと思い

いくらお布施したのか、と問いただしたところ

「一人当たり300円」という回答であった。

なかなかリーズナブルで、えんのうさまは意外に良心的な神様なのだと

少し、えんのうさまの事が好きになった。


ばーさんは料理が下手だった。

私が小学校の高学年になる頃、60歳で定年を迎え、パートタイム勤務となった悦豫は

教員として忙しく働く両親に代わって、夕食の準備担当となった。

これはある意味誉め言葉なのだが、女手一つで母と叔母を大学に行かせた悦豫は

一家の大黒柱として、責務を果たすべく、仕事に邁進していたが故

決して家事が得意とは言えなかった。

それがある日突然、夕食担当である。

だし汁べちゃべちゃのおから

キャベツの芯をふんだんに使った、土臭い野菜オムレツ

おぼろ昆布にお湯を注いだだけの自称「スープ」(味がしない)

悦豫の繰り出す謎のクリエイティビティに孫たちは困惑するばかりである。

ペディグリーチャムのような何かが食卓を席巻する日もあった。

孫の一人が「ばーさんの作った飯がペディグリーチャム」とTwitterで呟き

せっかく作ってもらった飯をなんということかと炎上するかと思いきや

「思った以上にペディグリーチャム」と同調のリプライが付く、それが悦豫飯。

悦豫飯は食事という概念を超越した、極上のエンターテイメントなのである。


しかし、悦豫のポテサラだけは旨かった。

大量の芋を、一度に蒸して、塩コショウと一緒につぶし

涼しい顔でマヨネーズを約1本混ぜ込むのである。

そう、悦豫はとにかくカロリーを気にしなかった。

カロリーを気にしない飯というのは、総じて旨いものだ。

通常旨いポテトサラダに必要な要素とは、ほくほく甘いじゃがいもであり

ほどよく塩もみした歯切れのよいきゅうりであり

すべてをまろやかに包み込むゆで卵であり、多ければ多いほどとりあえず評価されるハムである。

しかし、悦豫のポテサラは違う。

ポテトサラダの真髄とは。更に踏み込めば、料理の真髄とは何か。

それは、カロリーだ。

カロリーを気にしないことだ。

悦豫は、富山の水を常飲しているため、健康に対し絶大な自信を持っていた。

が故に、気にしないのである。

そう、常人が健康を維持する上で最も気に掛けるであろう、カロリーを…。

悦豫のポテサラで育った我々孫たちは、世に蔓延する通常のポテトサラダでは満足できない身体になってしまった。

おかげで、漏れなく全員肥満体形かと思いきや

孫5名の中で、悦豫、そして母のふくよかな体形を継承しているのは

私だけである。

大変遺憾である。


ばーさんといえば、タオルである。

年末年始、保険のおばちゃんからお年賀の粗品として

タオルを貰った経験のある人は少なくないであろうと推測する。

悦豫も、多分に漏れずタオルを配りまくる癖があった。

件のタオルは、その年の干支と保険会社のロゴを有しただけの

デザイン性としては何のひねりもないタオルである。

保険に加入している顧客に配るべきそのタオルを

大量に発注した挙句、なぜか孫に積極的に配る悦豫の姿勢は

孫としても理解に苦しむ部分があった。

先日、大学の同級生に、会話の流れで「ばーさん死んだよ」と伝えたところ

「え、おばーちゃんなくなったの!?泊まりに行ったときタオルとかくれて世話になったから悲しいわ!」と返信を貰った。

もはや、保険とも血筋とも全く関連のない、目的のわからないタオル贈呈儀式は

一方で、悦豫のアイデンティティでもあったのだと、感慨深く悦豫を思ったものだ。

ちなみに、このタオルは新品の状態では水を吸わず使いにくいのだが

ひとたび洗濯を施すと、途端にとてつもない吸収力を発揮し

銭湯で脱衣所に移動する際床を濡らさぬ様、体表の水分を余すところなく取り込む際や

気軽に使える雑巾としてはその性能を如何なく発揮するので

たくさんほしいわけではないけれども、少しはほしいと思わせる不思議な魅力のあるタオルなのであった。

今でもあのタオルの、洗濯後「パリパリガサガサ」感を懐かしく思う。


ばーさんといえば、蟹である。

悦豫は大変食欲の旺盛な老人であった。

私がアメリカのお土産に買ってきたチョコレート一袋や

サガミでテイクアウトした手羽先10本が、

悦豫の食欲の前では忽然と姿を消すのである。

状況証拠から犯人は悦豫一人しか思い当たらないのだが

「さっき、菜津子と洋美が持って行ったよ」と孫に罪をかぶせる始末である。

とにかく老人とはにわかに信じがたい、豪胆な食欲の持ち主であった。

そんな悦豫が、何より愛した食べ物が、蟹である。

悦豫は、蟹を目の前にすると、我を忘れてむしゃぶりつく。

とても90過ぎた老人とは思えない速さで次々と平らげる。

悦豫が亡くなる1年前の冬、福井までせいこ蟹を食べに行った。

年寄りだから、足も悪いしトイレも近いし遠出は出来ないと言っていたのに

蟹を食べに行くと聞いた途端そんなしおらしいセリフは引っ込んで

車での長旅にウッキウキでついてきた。


たっぷりとした蟹の身を、ふっくら甘辛く炊きこまれた飯の上に

さくさくと歯切れよく、得も言われぬうまみがまろやかな内子の

たっぷり詰まったせいこ蟹が

これでもかとずっしりと盛られた丼。


悦豫はそれを、変わらぬ食欲でむしゃむしゃと貪るのであった。


コースの量が多く、食べきれない分を持ち帰りにさせてもらったが

夜、ホテルで更にその残った蟹をまたむしゃむしゃ食べていた。

働き盛りの孫や孫婿、やんちゃ盛りのひ孫ですら、腹いっぱいで次々にドロップアウトしていく中

齢90オーバーの悦豫が元気に、嬉しそうに残り物の蟹を食する姿を目の当たりにし

「あぁ、この人には一生敵わない…」と痛感したものである。


雨が降っても槍が降っても変わらぬその食欲が

亡くなる何ヶ月か前から徐々に衰えていった。

家族は「あのばーさんの食欲が衰えるとは、大変だ。本当にいよいよだ。」と覚悟した。

事実、食欲と共に悦豫の命の灯は小さくなっていった。

悦豫が、モロゾフの桃ゼリーもあまり食べたくないと言っている。と、

施設の看護婦さん伝いに聞いて、とても悲しかった。

モロゾフに絶大な信頼感を寄せていたはずの悦豫が、モロゾフを食べられないのである。


蟹を届けてあげたいと思った。


そうこう思っているうちにばーさんは亡くなった。


葬式で、棺桶に蟹を入れてあげようと孫同士で話し合っていたら

母に「あんたらっ!おばあちゃんで遊ぶのやめなさい!」と怒られた。

私たちは真剣に蟹を入れてあげたいと思っていたのだ。

でも、焼蟹の香ばしいかおりが充満する火葬場を想像して

ニヤニヤしたかと聞かれたら、やっぱりニヤついたことは否定できないので

母の怒りは、もっともである。

仕方ないので、よく悦豫が大量に自室に隠し持っていたボンタンアメを

49日の法要に悦豫の祭壇に供えた。


ばーさん、天国で、ボンタンアメも蟹もチョコレートも手羽先も

好きなだけ食べておくれよ。


他にも、犬嫌い悦豫の飼い犬に対する無慈悲な扱いや

職業柄つい孫の病気(=保険金)をつい喜んでしまうピュアな笑顔、

孫のダメージジーンズを「貧乏な服装」と罵り、勝手に縫おうとするお節介な一面。

思い出せば思い出すほど、悦豫を好きになる。

悦豫との楽しい思い出は尽きることは、ない。


これからも、釋尼悦豫の思い出と共に

私たちは生きていく。

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