その1-02

* * *



「あら、どうしたの?」


 もう、そろそろ朝礼が終わる頃だろうと時間を見計らっていた男子生徒の前に保健医が戻って来た。


 全校生徒が集合する朝礼で、全教員も参加しているであろう事実から、女生徒を運んできた男子生徒は勝手に保健室に入っていた。やはり、誰もいなくて、それで、衝立の後ろのベッドに勝手に女生徒を寝かせて行った。


 運んでいる間も、寝かせている間も、全く起きる様子がなくて、つん、と確かめるように男子生徒が顔に触れても、そこに寝かせた女生徒は気を失ったままだった。どうやら、気を失ってから、そのまま眠りに入ったようでもある。


「ええ、まあ――貧血の女生徒を運んできまして」

「貧血? ――どこ?」


 きょろっと、保健医がその場を見渡すが、話題の相手は見当たらない。


「ベッドに寝かせてあります」

「あら、そうなの?」


 それで、保健医が白い布が掛かっている敷居を抜けて、スタスタと向こうに歩いて行った。

 一応、男子生徒もその保健医の後をついて行く。


「この生徒?」

「ええ、そうです」

「寝てるんじゃない?」

「そう見えますね」


 そうね、と言いながら、一応、保健医もシーツの下の腕を取り上げて脈を計ってみるようだった。


「いつから、ここにいるの?」

「朝礼が終わる少し前です」

「そう。――なんだか、起きそうにもないから、もう帰っていいわよ。次の授業が始まるでしょう?」

「そうですね」

「後は、わたしが見てるしね。もう、帰っていいわよ。ご苦労さん」


 年のいった保健医に促されて、役目終了となった男子生徒は、失礼します、と言い残して、その保健室を後にした。


 ゆっくりと教室に戻りだす男子生徒の周囲にも、朝礼を終えて戻って来た生徒達が忙しく前後を歩いていた。

 それに混じって長い廊下を抜けて行き、自分の教室に戻り出す。3学年の教室は全て一階に設けられているので、移動もさほど面倒なものではない。


 同じ流れの一同が教室の前でクラスに戻って行ったり、前の列が次のクラスに戻って行ったりと、男子生徒が自分のクラスに戻ってきた時には、ほぼ全員が戻って来ていたようで、すでに机に座り次の授業の用意をしたり、10分休憩の間にトイレに行ったりと、まだざわついているままだった。


れん、どこに行ってたんだ?」


 自分の席に戻りかけて、すぐ二席前の一人が廉と呼ばれる男子生徒の前にやってきた。

 くりくりとした瞳が印象的で、小柄ではあるが活発そうな面立ちが明るくて、いつも表情がころころと変わる少年である。


 その名を、菊川龍之介りゅうのすけ、と言う。


「ちょっと、ヤボ用で」

「ヤボ用? どんな?」


 うん? と少し笑った廉は自分の席に戻って行き、まず椅子に座り直していく。


「朝礼にはいたんだろう? 一緒に並んだもんな」

「そうだね」

「だったら、朝礼を抜け出したのか?」

「まあ、そういうことになるね」


「なんで? なにかあったのか?」

「大したことじゃないよ」

「確かに、女生徒を連れ出して朝礼をサボるくらいは、大したことじゃないさ」


 廉の後ろから会話に混ざって来た二人組みが、廉のすぐ横の机に寄りかかるように立った。


「女生徒を連れ出した? 廉が? どの女生徒? なんで? 朝礼の時に?」

「龍ちゃん、質問ばかりで、答える暇がないんだけど」


 溜め息がちに、龍之介のすぐ隣にいる男子生徒が龍之介の頭をなだめるようにした。


「あっ、ごめん。だって、廉が朝礼抜け出した、って言うから」

「そうだな。女生徒を連れて、颯爽と消えて行ったのは見えたけど」

「女生徒?誰?」

「さあ」


 二人組みが揃って肩をすくめるようにするので、龍之介の眼差しがまた廉に戻された。


「さあ」


 廉までも同じように肩をすくめてみせるのである。


「知らないの? 知らないのに、一緒に抜け出したって?」

「抜け出したんじゃなくて、気分が悪そうだったから、保健室まで連れて行っただけだよ」

「そうなのか? ――なーんだ。廉が女生徒と一緒に抜け出すなんて、誰かと思っちゃったぜ」

「別に、刺激のあるような話でもなんでもないんだけどね」

「なーんだ。そうだったのか」


 残念、と明らかに言いたげなその顔が、少し口を尖らせていく。


 くすっと、少し笑った廉は隣の二人に視線を向けて、

「随分、目がいいようで」

「まあ、それくらいは」

「そうそう。壇上からだったら、結構、何でも見えるしな」

「でも、全然、反省してる様子がないな」

「ああ、でも、一応、保健室に行ったという理由があるから」


 飄々とそんなことを口にする廉に、二人はちょっとだけ口元を上げていた。


 龍之介の隣にいる男子生徒は、この学校の生徒会長を務める大曽根おおそねつかさである。その隣は、副会長を務める井柳院いりゅういん一真かずまだった。


 大抵、高校程度の生徒会など大した用を成さないものが多いのだが、ここ私立暁星ぎょうせい学園では、生徒会がかなりの実権を与えられていて、生徒に関する事柄はほぼ生徒会が運営していると言っても過言ではなかった。


 超進学校のトップに立ち、これだけの人数をまとめ、その運営を任されている生徒会の一員になることは、これからの将来にも箔が付き、有名高校である暁星学園の歴代の生徒会の会員は成績優秀、品行方正の名でも知られている為、将来お偉方になるであろう生徒達にとっては、もってこいのエリート育成所だった。


 この二人、歴代の生徒会人員に負けず劣らずで、東大をストレートで合格し、後には、代議士にでもなるであろうと予想されているくらいである。

 互いに否定する所を見せない限りでは、あながちこの噂も間違ってはいないのだろう。トップに立つことを生きがいとしているような性格が、全てを物語っていた。やはり、昇りきるなら、最後まで昇りつめなければいけない。


 日本のトップに立って。


「見かけない生徒だったような」

「確かにな」


 大曽根と井柳院が揃って、納得がいかない、と言ったような表情をしてみせる。


「なんで?」


 もちろん、龍之介は不思議そうにその二人を見上げる。


「この時期に転入生というのは、滅多にあることじゃない。編入してきたにしては、そう言った噂も聞かなかったような」


 ふむ、と少しだけそっちを向いて一人で考え出してしまった大曽根を見て、龍之介がちょっと顔をしかめるようにした。


「おいおい、また、「これは探っておかなきゃ」とか考えてるんじゃないよな」

「それは、人聞きの悪い。探る――なんて、物言いが悪いな」

「ただの確認、って言うことになるな、この場合は」

「確認ね、確認」


 しらーっと、龍之介の冷めた目が二人に向けられるが、二人はにこやかにその笑みも崩さず、

「龍ちゃん、どうしていつも俺達のことを悪者みたいな言い方するのかな」

「大曽根は裏で絶対何かしてそうな顔だけど、俺はいたって真面目な生徒なのにな」

「それはひどいな」

「その万人面ばんにんづらが怪しい」


 わざわざ指を指して、指摘する井柳院に大曽根の冷たい眼差しが返される。

 いつものことなので、その二人を無視して、龍之介が廉に向いていた。


「その――女生徒、どうしたんだ? 具合悪かったん?」

「うーん、そうみたいだね。その後は、眠ってしまったようだけど」

「ええ? ただ単に眠かっただけじゃないのか?ずっこいなぁ。俺だって朝寝したいのに」


「龍ちゃん、そうやって物事を決め付ける傾向はよくないな。事情を知ってから、断言した方がいいぞ」

「だってな」

「まあ、菊川はなんでも興味があるだろうけど、次は数学だし。準備した方がいいだろう? そっち二列は今日の課題組みじゃないのか?」


 げっ、とそれを思い出したらしく、龍之介の顔が一気に引きつっていった。


 課題組みに当たった列の生徒は、授業の前半に黒板に上がって出された問題を解かなくてはならない。クラス全員の前で復習をさせられる羽目になるのだが、自身で復習をしていないとすぐにバレてしまう方法だけに、気を抜いていられない特訓である。


 げげぇっ、と更に龍之介の顔が引きつっていき、龍之介は大慌てで自分の机に戻り出した。


 くすっと、その背中を見送っていた二人も自分の席に戻り出してていく。


 廉の列も含めて課題組みになっている為、それぞれに席に戻り出して行く友人を見やりながら、廉も少々溜め息をこぼしていたのだった。


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