2-9 秋の雫と頑固者と

 どれくらい唇を合わせていただろうか。

 唇を離して見下ろせば、不愉快だと言い出しそうな顔が睨みつけてきた。だが、その顔は耳まで赤く染まっている。


「なぁ、俺にしとけ」


 それは何年も、何度も繰り返してきた告白。


「あんたみたいな女たらし、お断りよ」

「俺はいつだってお前一筋だろうが」

「嘘つき! 絶対、お断り!」


 ふんっとそっぽを向くサリーの髪に指を差し込み撫でれば、そのかさついた唇が尖って不満を表した。


「愛翔、素直になれよ」

「その名前で呼ばないで!」

「俺が呼ばないで、誰が呼ぶんだよ」


 涙の跡を指でこすると、血色の良くなった頬が膨らむ。


(化粧したお綺麗なサリーじゃなくても、泣き崩れるまで抱き潰す自信あるのにな)


 どうして伝わらないのかと疑問に思いながら、そのすね顔を見る。うっすらと無精ひげが出てるのさえ可愛いと思っているあたり、この恋心は重症なんだろう。

 そんなことを考えていると可笑しさが込みあがり、モーリスは小さく噴き出した。


「ぶっさいく」

「ほんっと、失礼」


 モーリスの胸を押して体を起こしたサリーは彼を一睨みする。だが、罵詈雑言ばりぞうごんを飛ばすことはなく、ややあって、彼の左腕にそっと指を伸ばした。そこは丁度、包帯が巻かれている辺り。

 どうしたのかと優しく尋ねれば、サリーの両手はモーリスの固い背中に回された。

 胸元で、柔らかなピンクブロンドの髪が揺れる。


「明日から、ちゃんと歩けるから。ちゃんと、サリーになるから」

「愛翔のままで良いぞ」

「いや。サリーに戻る」


 ぐりぐりと頭が胸に押し付けられ、モーリスはやれやれとばかりにその髪を撫でる。

 胸元がしっとりと濡れていく熱を感じながら乱れた髪をほぐし、ふと窓に視線を向けた。

 薄暗さが増した空は、今にも泣き出しそうな曇天だ。せめて青空なら少しは気が晴れるものの。

 モーリスは震えるサリーの背中を撫でながら、あと何度、こうして涙に付き合うのだろうかと、ぼんやり考えていた。

 空気を読まない空から、ぽつんっと雫が落ちてきた。瞬く間に、窓が濡れていった。


(あー……少尉ちゃんに何て報告するかな)

 

 にわかに、雨と一緒に降ってきた現実問題が脳裏をかすめた。

 彼女は今も心配して小さな胸を痛めているだろう。どうすれば、安心させられるのか。サリーを見ながら考えていたモーリスは妙案を思いつき、にんまりと口元を緩めた。


「とりあえず、俺と付き合うことにしとこうか」

「──は?」


 サリーの声音が一段低くなった。


「いや、少将ちゃんへの報告な。恋人たる俺が慰めておいたから大丈夫だよ、みたいに軽く言えば、安心するかと思って」

「絶対無理!」

「なんで。俺もフリーだし、支障はないだろ」

「だから! そう簡単にハイ次ってのはなしって言ったでしょ!?」

「じゃぁ、時間が空けば良いってことだな。一週間か? 十日?」

「そうじゃなくって!」


 涙でぬれた顔を上げたサリーは、悪びれる様子のないモーリスの顔を見て、まるで酸欠状態の金魚のように口をぱくつかせた。


「一ヵ月か? 十年以上、好きだって言い続けてるんだ、そのくらい待つよ」

「あー、もう! あんたって本当に……」


 真っ赤な顔をして、言葉を失ったサリーは、再び頭突きをするようにモーリスの胸に額を額を押し付けた。それを受け止め、モーリスは窓の外を見る。

 冷たい雨が静かな音をたて、色付いた葉を濡らしていた。


(俺にしておけば良いのに)


 小さく声に出していたのだろうか。

 サリーはぴくりと肩を震わせたが、モーリスの胸に寄り添ったまま何も答えなかった。

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