1-2 つれない幼馴染と黄昏の空

 モーリスとサリーを乗せた装甲飛竜アルマ・ドラゴンは生い茂る“あおの森”上空を旋回すると、アサゴ基地に向けてその大きな翼を羽ばたかせた。

 眼下に広がるのは、どこまでも続く広大な森だ。それは荒廃した旧市街の上に数百年かけて生い茂ったと伝えられている。


 高度な科学技術で発展したと言われる旧世界は、自然界に淘汰とうたされた。

 突如として現れた大自然の化身──聖痕サケルを持つ獣・ベスティアに世界の英知が破れ、各国の指導者、英雄は瞬く間に失われた。生き残った人々は住む場所を追われ、荒廃した大陸の各地で息を潜めるようにして命を繋げたという。それは、まさに終焉と言う名にふさわしい時代だっただろう。


 肩を寄せあいながら、しぶとくもあらがう人類を神は哀れんだのだろうか。


 朱い翼をもつ神が降り立ち、聖痕を持つ獣に打ち勝つための力となる魔法マギアを授けたとされるのは、現代いまからさかのぼること一千年前のこと。

 突如として世界にのさばった異形の獣──魔物は、聖痕を持つ獣の力により変化を遂げた生物だということが分かったのも、丁度その頃だった。

 滅びに抗う力を得た人類は国の再興を続けながら、今日こんにちも魔物と戦い続けている。


 広大な森を眺めると、幼い日々に習った人類の滅びの歴史が脳裏をよぎる。それは、モーリスが軍人だからだろう。民間人であれば、樹海をその目にすることなどまずない。

 モーリスは熱を持つ腕にちらりと視線を落とすと、黄昏ゆく空を見上げた。

 地平線が朱く染まっていた。


(大昔の人間は、この茜色をどんな思いで眺めたんだろうな)


 つい半時ほど前には青かった空は薄暗くなっている。基地に辿り着く頃には、その色は深い藍色一色と変わっていることだろう。

 冷たい風が顔を撫で、通り抜けていく。


 装甲飛竜の背の上は、飛竜の持つ魔精から生み出される見えない壁で覆われている。とは言え、夏も過ぎた夕暮れの上空は酷く冷ややかだ。

 考えたところで分かりもしない過去のことに思いを馳せるなんて、柄にもないことをしている。そう気づいたモーリスは小さなため息をこぼした。


(それもこれも、この場の空気がよくないからだよなぁ)


 血に汚れた腕が洗浄を施される様を、黙って見ていたモーリスは、罵詈雑言ばりぞうごんの嵐を覚悟していた。

 いつものサリーであれば「鍛錬たんれんが足りないからよ」とか「あたしの手をわずらわせないで」と、綺麗な鳶色とびいろの瞳を細め、冷ややかに突き刺すようなことを言ってきただろう。


 そんな様子を脳裏に浮かべながら、モーリスは覚悟していた。しかし、一向に罵声ばせいは飛んでこなかった。


(怒ってるのか? 撤退の指示は適切だったと思うが。被害も最小限だった訳だし──)


 無言が続く空気に耐えかね、モーリスは視線を逸らして茜色の空に目を向けると口を開いた。


「なぁ、候補生に重傷者は出ていないんだよな?」


 包帯を巻いていた白い指がぴくりと動き、一瞬、止まったように見えた。だが、何事もなかったようにサリーは再び手を動かす。


「あんたがおとりになったおかげでね」

「それは良かった」

「……あんたがえさになってたら、何人かドロップアウトしたでしょうね」

「魔物の腹で最期を迎えるつもりはない」


 勝手に殺すなよとモーリスが笑い飛ばせば、サリーは小さくため息をついて視線を逸らす。

 二人の間を、再び冷えた風が吹き抜けた。

 その風が、バカを言い合う空気を巻き上げてしまったのだろうか。再び沈黙が居座り続けることになった。


 風の唸る音を聴き、モーリスは遠ざかる森を再びちらりと見る。

 広大な森を見下ろすたびに、塀に囲われた街で読み書き歴史を学んだことを思い出す。そんな軍人も少なくないだろう。

 生き残るための学びの時が、どれほど幸せだったことか。


(もう、二十年近く前のことだけどな)

 

 ちらりとサリーに視線を向け、懐かしい首都での日々を思い出す。

 読み書き、歴史を学んでいた初等科時代、制服が可愛くないと言って怒っていたサリーは小さくて可愛かった。今ではその磨かれた肉体美を惜しげもなく魅せる全身黒のボンテージスーツを好んで着るようになったが、手入れの行き届いた髪は、幼い頃と変わらず柔らかだ。違うと言えば、彼の好きなピンクに染め上げられているところか。


 無意識に手を伸ばしたモーリスは、サリーが反応して身をすくめるのに気付いた。

 髪に触れる直前で、手が止まった。


「何よ? 怪我人は大人しくしてなさい」

「いや、髪に葉っぱがついてるぞ」

 

 モーリスの指を払ったサリーは、髪についた小さな葉をつまむと顔を逸らした。そして、何事もなかったような顔で、応急処置に使った道具をポーチにしまう。その姿に、モーリスは幼かった彼の姿を重ねて笑った。

 悪ガキと喧嘩をして、膝を擦りむいた幼い日が脳裏に浮かんだ。


「さっきから何なの?」

「いや……昔も、手当てしてもらったな、って思い出してさ」

「いつの頃の話よ」

「八歳くらいか?」

「……よく覚えてるわね。そんな昔のこと」

「そりゃ、お前との思い出だからな」

 

 もしも魔物の腹の中で死ぬことがあるなら、最期に思い出すのはあの幼き日々なのかもしれない。そう考えながらサリーを見つめていると、彼は少し眉を吊り上げた。


(相変わらず、つれないな)

 

 ため息がこぼれそうになり、モーリスは口元を手で隠す。

 生まれた日も、産院までも同じで家族同然に育ったと言うのに、どうしてこうもつれないのか。その答えに心当たりがない訳ではなかったが、暮れゆく空を眺めながら──

 

「つれねぇな」

 

 ついついひとちたモーリスは、背を向けたサリーの背中に笑みを向けた。

 ややあって、アサゴの街が小さく見えてきた。

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