いつかの魔女へと遺すもの

キノハタ

プロローグ それはいつかの始まりの記憶

 ある小さな国の小さな町。


 そこには魔女という生き物がいる。


 人よりも遥かに長く生きて、超常の力が扱える。


 残忍で、狡猾、人を人と思わず、火炙りにしなければ死にもしない。


 曲がった鼻に、響くような高笑い、黒猫を使い魔にして、箒に乗って空を飛び、夜闇の中、黒装束に身を包む。


 そんな伝説が子どもたちの間にまだ残っているそんな頃。


 少女は小さな路地で迷っていた。


 おかしいな。おかしいな。


 だってそこはいつも通りがかっている、路地に見つけた、ただの隙間。


 数秒駆け抜ければ抜けてしまうはずの些細な道。


 それなのに、少女がいつまで走っても道はどこまでも終わらない。


 慌てて引き返そうとしても、なんでか周りは壁だらけで、どこを見渡しても出口がない。


 何度も何度も曲がり角を回るけど、いつまでたっても向こう側にはついてくれない。


 おかしいよ。おかしいよ。


 家、一軒分だけの隙間なのに。どこにだって通じている、そんなちっちゃな隙間なのに。


 逸る呼吸が抑えられない、しまいに足が崩れて泣きそうになってしまう。


 育ての親の神官の名前を呼んだ。友達の名前を呼んだ。


 ただ見上げる空からは誰の応えも帰ってこなくて。


 彼女は独り、小さな路地の傍で座り込んだ。


 疲れたな。


 しんどいな。


 もう、帰れないのかな。


 変な道に入っちゃったからかな。


 今日、朝ごはん残したから、神様がバチを与えたのかな。


 もう、誰とも会えないのかな。


 そうやって、零れる涙もいい加減に、枯れかけたそんな頃に。


 パチンと一つ音が鳴った。


 音に誘われて、少女は涙に濡れた顔を上げる。


 すると、翠色の影が少女の前にたなびいていた。




 そうして少女は魔女に出会った。




 路地裏の小さな隙間、本当は魔女だけが使える魔法の抜け道。


 その中で、その魔女は、透き通るようなみどりに染まった髪をなびかせて、少女にそっと笑いかけた。


 魔女は、伝説通りの真っ黒な装束に身を包んでいた。でも伝説と違って若く綺麗な顔に透き通るような眼鏡をつけていた。


 そして、少女に優しくそっと微笑みかけた。


 「おや、抜け道に迷い子とは珍しい。『人除けの魔法』を張ってあったはずなんだが、『笑顔』にもならないし魔法の効きが悪い子なのかな?」


 少女の額が、魔女の細長い指でとんと小突かれる。


 それから唇に指をあてて、秘密語るみたいに魔女はそっと微笑みかけた。


 「帰り道はこっちだよ。途中までは送ってあげるから、そのまま歩いて帰りなさい。道を抜けたら、


 少女はどこかぼーっとしながら、魔女に手を取られるままにそっと歩き始めた。

 

 魔女はその様子をどこか満足そうに眺めながら、優しい笑みでそっと頭を撫でていた。



 少女と魔女の出会いはここで終わる。



 魔女が少女に掛けたのは『忘却の魔法』。


 翡翠の魔女と呼ばれる彼女が得意とする、心を操るそんな魔法。


 触れたものから記憶を奪い、魔女の近くにいるだけでやがてぼんやりと魔女のことを忘れていく。


 この術を使って、彼女は生まれてから何年も何年も、教会の追手から逃れてきた。


 少女が路地から出る最後の一歩、魔女はその背中をそっと押した。


 もう二度とあどけない少女がこんな場所を訪れないように。


 その後、少しだけ微笑んだ。何気ない邂逅を喜ぶように。


 魔女の抜け道が人知れず閉じていく。


 『人除けの魔法』によって通りがかる人は誰一人として、そこに眼を向けない。


 そうして少女は独り、路地の手前に取り残された。


 振り返っても、そこには何の変哲もない路地の隙間があるだけで。


 もう魔女のことなど、記憶から抜け落ちている―――




























 —————はずだった。










 「……魔女?」



 私と魔女の出会いはここから始まった。

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