Ver.1.0
@furontachuanqi
綺麗な首飾り
第1話
あれは!?
イオアンは耳を澄ました。
暗い地下水路のどこからか、くぐもった大勢の人の声が聞こえてくる。
まるで、亡霊の木霊のような――。
イオアンはゆっくりと振り向いた。
いま、イオアンは地下水路を進む小舟の上にいる。
船首側に置かれた木箱の上に、後ろを向いて腰かけ、つまり、船の進む方向に背を向けて座っている。
よって、振り向くということは、真っ暗な地下水路の先を見るということになる。
船の先は――。
やはり暗闇だった。
地下水路は暗闇に消えている。
そして、いまでも亡霊のような声は微かに聞こえていた。
船の舳先にぶら下がった角灯が水面を照らしているが、その灯りが届く範囲はわずかでしかない。あとすべて暗闇だ。イオアンは、世界から切り離されているような感覚に陥った。
イオアンは自分の声が震えていないか意識しながら声をかけた。
「何だ、あれは?」
耳を澄ましたイオアンが振り向いた。
「何って、何です?」
竿を操っているドワーフの若者が無邪気に訊き返す。
「
「空耳でしょう」
若者は笑い飛ばした。
「地下水路は、変なふうに音が響くんですよ」
「そうじゃない。あれは何か意味をもった言葉だ。大勢の亡霊が
だが、若者が舟を進めると、うねる波のように、何度も高くなったり低くなったりする声はだんだん遠ざかり、やがて、聞こえなくなった。
「――確かに人の声だった」
イオアンは、首を傾げた。
再び前を向いたが、気分は落ち着かない。
イオアンは、小さな平底船の、船首側に置かれた木箱に腰かけている。
舟の
水路のトンネルは小さな街道ぐらいの幅があり、アーチ状の天井も高い。馬車が一台通れそうなほどだ。これだけしっかりしたトンネルを、よく造ったものだと、イオアンは古代の土木技術に関心していたが、それでも真っ暗な閉鎖空間にいるのが、不気味なことには変わりはない。
地下水路の空気は、夏だというのにひんやりとして湿っぽかった。空気が流れているのは感じるが、それでもやはり重たく
水路の両側には人が歩ける通路があり、そこをかさかさと、小さな生き物が動いている音がする。それ以外に聞こえるのは、古い舟が軋む音、後ろのホウルが水路に竿を差し込むときの、ちゃぽんという音だけだった。あの亡霊の呻き声のようなものが聞こえるまでは――。
水はゆっくりと流れており、何もしなくても舟は進むのだろうが、舟の後側に立ったホウルが、長い竿を水路に突き刺して、前に進めたり、端に寄らないように調整している。
気味の悪い声は聞こえなくなったが、角灯が照らしている暗い水面の下に、何が潜んでいるかわかったものではない、もし、その何かが水の中から、跳び上がるように襲ってきたりしたら、まず犠牲になるのは、舟の前側に座っているイオアンだ。
できれば、もう少し後ろのほうに――。
イオアンは振り返ったが、後ろで立っているホウルとのあいだには、荷物がぎっしりと積まれている。
石灰と砂利が詰まっている麻袋、大小の材木の束、シャベルやつるはしのような道具、書類が納められている濡れないように密封された木箱、そして、なぜ必要なのか分からない槍や剣や防具の山――。
これらのせいで、舟の上は足の踏み場もないほどで、そこに、イオアンが座る余地などない。それに舟のバランスを取るためにも、前に座っていてくれと、強くホウルに言われている。
目指す場所に到着するまで、我慢するしかない。
それまで、どれぐらい時間がかかるのかは、地下水路に関してまったく無知であるイオアンには見当もつかない。できるだけ早く、明るいところに辿りつくのを祈るしかなかった――。
この日、トルレシオン師から、暁の盗賊団に対する待伏せが失敗したらしいと聞いたイオアンは、サディア公妃との謁見が終ると、白亜宮にある水道局に向かった。昼過ぎだったので、カルハースたちとの話し合う夜まで、まだ時間がある。
水道局が、白亜宮のどこにあるか知らなかったので、迷ったあげく出会った役人に尋ねると、一階の北西側にある一室だという。
イオアンは水道局の部屋に辿りついた。
窓のない部屋で、四方の壁には、工事に必要だと思われる道具や材料や図面が詰まった棚が置かれている。棚に囲まれて机が並べられ、水道局の者たちが、ランプに照らされた図面を囲みながら話し込んでいた。
部屋に現れたイオアンに気づくと、エルフの若い役人が応対した。
イオアンが名乗ると、セウ家という名前に一応敬意は示したが、イオアンがオウグウス・セウの息子だとは気づいてないようだった。
アルケタと違って、滅多に表に出ないから、イオアンの存在を知らない者は多い。セウ一族には、イオアンの家系以外にもいくつか支流があるので、そこの出身の誰かだと思ったのだろう。
むしろ好都合である。
イオアンが水道局を訪ねた理由は、ダマリが囚われている牢獄塔の地下牢が、もともとは地下水路の施設だと、獄吏長が話していたので、地下牢に繋がる地下水路の経路を調べるためだった。
何なら、目の前の役人には、この訪問をすぐに忘れて欲しいぐらいだ。
イオアンが目的をぼかして曖昧に伝えると、役人は不審そうな顔をしながらも、いま、その件について具体的な説明ができる者は外に出ていて、ここにはいないとぶっきら棒に答えた。おそらく図面も、その者が持っていったはずだから、ここに存在しない。
イオアンは食い下がった。
「では、その者はいつ戻るんだ?」
「さあ」
役人は肩を竦めた。
「急な工事が発生して、臨時の支所に常駐しているんです。その工事が終わるまで、ここには戻ることはないでしょうね」
役人の回答に落胆し、部屋を出たイオアンは、白亜宮の廊下で、後ろから追いかけてきた若いドワーフの男に腕を掴まれた。
「俺はホウルって言います」
怪訝な顔をしたイオアンに、若者はそう名乗った。
「支所まで、俺なら案内できますよ」
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