第03話 帰宅
病院を退院することになった。
香織さん(こう呼ぶように言われた)が退院の手続きをしている間に、帰宅のために着替えるよう、家から持ってきた服装を渡された。
白い長シャツに、ファーの付いた茶色のコート、……ロングスカート。
(これを履かないといけないのか)
病院の男性看護師がみんなスカートを履いているのを見て、男性がスカートを履くのは日常的なものなのかと予想しいた。もしかしたら僕も履かないといけないかもしれないと覚悟していたが、思いの外早くその機会が来た。
ロングスカートを持ち、憎々しげに睨む。女物の服装には少しトラウマがあって、履くのを躊躇する。
トラウマの理由は、大学二年生時の学園祭だ。同じゼミの友人達がいつの間にか、イベントの一つである女装コンテストに勝手に参加登録されていた。キャンセルする期限も過ぎていて、参加せざるを得ない状況になっていた。
しかたがないので、その友人達が用意した白いワンピースを身にまとい参加した。
他の参加者たちは、むしろ笑いを取る事を目的にしたようなへんてこなメイクに、似合わないウィッグ、奇抜な女物の服装だったために笑いを取っていた。
だが、そんな中で僕は、女顔で真っ白なワンピースがよく似合っていた。自分一人だけ、場違いにも観客からの自分に向けられる「可愛い」の声に戸惑いつつなんとかイベントの雰囲気を壊さないように、笑顔を作って耐えた。
イベント終了後に、着替えるため着替え用の控え室へ戻る途中、向かいから歩いてくる女の子の集団の中に同じゼミの気になる子がいるのを見つけた。
祭りの高揚感と、面倒なイベントから解放された瞬間だったので変に興奮していたのだろう。その時、僕は思い切って彼女たちに声をかけた。
「あ、もしかして、さっきのイベント、見てくれていた?」
「……」
「えっと」
「……」
しかし、無視されてしまい横を通り過ぎていった。その途中に聞こえてきた言葉。
「男のくせによくあんな格好できるよね」
そう小声で囁き合うのが、妙にはっきりと耳に届いた。あまりにもショックな気分で何も言えず、女の子の集団が歩き去っていく背中を眺めることしか出来なかった。
今では、そんなこともあったなぁというくらいの思い出の一つだし、この世界だと男がスカートを履くというのは当たり前なようで、別に何の問題ないみたい。
だけど、やっぱり意識的には女装になるので抵抗があった。
さすがに今はいているパジャマでは帰れないので、えいやっと覚悟を決め香織さんが持ってきた服を着た。カバンには下着やパジャマ、タオルや洗面具を詰めていると香織さんが病室へ戻ってきた。
「おかえりなさい。手続きは済んだ?」
「ええ。終わったわよ、ゆうくん」
僕の身につけた服装を確認した香織さん。
「後は、これもかぶったら完璧ね」
そう言いながら、ベットの上に置いてあったつばの広い黒い帽子を、僕にかぶせて微笑んだ。荷物を入れたカバンを持とうとすると、香織さんに奪われた。
「荷物は私が持つわ」
本当なら男が持ちべきだろうけど、入院していた僕を気遣ってくれたんだろうな。だから、香織さんの思いやりに素直に甘えることにした。
病院のエントランスを通って、外へと繋がる自動ドアを通った。
記憶的には三日ぶり、肉体的には十日ぶりの外だ。筋肉がちょっと衰えたのかな、それとも元の肉体がそうだったのか、病室からここまでの距離を歩いただけで僅かに疲れを感じた。
3月に入ったばかりだからまだ少し肌寒いな。立ち止まって空を見ると、雲ひとつ無い快晴だった。
「タクシーを呼んであるから、それに乗って帰りましょう」
香織さんの後をついていき、止まってあるタクシーの後部座席に乗せられる。
タクシーのドライバーは、当然のように女性だった。女性が働くのが当たり前だと聞いていたが、記憶の影響で女性のドライバーというものは珍しいと感じてしまう。
香織さんの告げる行き先にあれっと思う。
(何処かに寄って帰るのかな)
ぼーっと走る車の窓の外を眺めること15分程。タクシーが住宅街に入って行くと、香織さんはドライバーに何度か道を指示する。
「あっ、ここです。ありがとうございました」
「では、2880円になります」
見知らぬ一軒家の前に止まると、タクシーを降りることになった。周りを見回してみたが、記憶に全くない場所だった。どこだろう、ここ。
「さぁ、中に入りましょう」
鉄の門扉を開け、中へと入る香織さんを見て、あぁそうかと合点がいく。
(住んでいる土地が違うなんて、こんなところにも記憶の齟齬があるのか)
記憶の中では、団地の一室に住んでいたはずだが、今は一軒家に住んでるらしい。
家の壁は、真新しく見えた。見た目には新築して間もないくらいの綺麗さで、家を建ててからそんなに時間が経ってないかもしれない。2階建てのようで、かなり大きな家だった。僕の記憶とは違うな。こんな立派な家じゃなかった。
香織さんは、ジーパンのポケットからキーケースを取り出しすと、中の一つの鍵を扉の鍵穴に挿して玄関を開けた。
玄関で靴を脱いで、香織さんの後に黙ってついていく。扉を一つ開けて、中に入るとダイニングルームだった。
「疲れたでしょう。ちょっと座ってて」
「あ、はい」
テーブルに座るようにと言われ、そのとおりに座った。
香織さんは肩に掛けていたカバンを床に置くと台所に行く。座った席からも台所の様子が見える構造だった。
棚からコップを2つ出してきて、冷蔵庫からは2リットルのお茶のペットボトルを取り出しコップに注ぐ。それを持って、テーブルに戻ってきた。
「どうぞ、ゆうくん」
「ありがとう」
香織さんは僕の向かいの席に座った。
「このお家はわかる?」
記憶の確認をしてくる香織さん。僕は、首を横に振った。
「ごめんなさい、わからないです」
申し訳なくなって、俯いてしまった。
「だ、だいじょうぶよ!これから思い出していけるわ」
気をかなり使わせているようで、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、更に俯いてしまう。
「ゆうくんの部屋は、階段を上がって一番奥の部屋」
「うん」
「それから一階の、向かいが私の部屋」
言うと、入ってきた扉を指さす。
「そして、2階にはハルちゃんや、サキちゃんにサアヤちゃん。そしてアオイちゃんが二階の部屋ね」
「ちょ、ちょっと待って」
今まで、香織さんが何度か言っている名前だが誰だか分からず、とうとう聞いた。先ほどから、気になっていたことだ。
「ハルさんやサキさん、って誰?」
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