第02話 あべこべな世界

 目が覚めてから、三日が経った。


 三日間様々な検査が行われた。検査の結果、体には特に異常は見られず、ただ記憶の齟齬があるのがわかった。


 まず第一に、自分が33歳という記憶。たしかに、33年間の記憶がある。


 大学を卒業して、それからとある中小企業に就職した事。恋人はいなかったけど、好きな菓子作りや料理を日々練習し充実した生活を送っていたこと。


 そして、最期は通り魔に刺された。日野原先生は、寝ている間の夢を現実だったと認識して、記憶の代替となっているのではないかと言っていた。


 実際に調べてもらった事実によると、僕が通っていたはずの大学は存在していない。勤務した会社も実在していなかった。僕の記憶では、十七年前には確かに大学は存在していたはずだが。その後、閉校したという話も聞いていない。


 つまり、僕の記憶が夢だったのではないかという疑惑が強まった。


 しかし、あれは想像の類では絶対に無いと思う。実際に体験してきて、見聞きし、確実に感覚があった。その記憶を、僕は覚えている。




 第二に困ったことは、常識が通用しないこと。


 例えば、日本の総理大臣を知らない。僕の記憶にある総理大臣の名前を上げてみたが、誰ひとり該当する方はいなかった。逆に、女性が総理大臣をしていると聞いてびっくりした。


 過去の偉人も全く分からないし、日本史、世界史共に関しても全く分からなかった。その中の人物の多くは女性だったことで、またびっくりした。


 かと思えば、会話の言葉には特に問題はないし、計算も普通に解くことができた。むしろ、高校一年生で学んだ以上の事や、大学へ入学可能なまでの学力があることがわかった。


 僕はもちろん、覚えている記憶の中で大学に通っていた。なので、問題を解くことが可能なことは当然だと思えるた。だけど、家で倒れる前の佐藤優さとうゆうは、特別勉強ができていたわけじゃない。こうなる前に予習をしていたと考えても、大学へ入学可能な学力は不自然に思われたらしい。




 第三に困っことは、価値観が違うということ。


 男性が極端に少ない、ということを聞いて知った。割合で言えば、男性は全人口の二割程度しか居ないらしい。


 僕の記憶では、男女比率はそれほど大きくはなかったはずである。男性が少ないため、男性はとても大事にされるという事も聞いた。例えば、男性保護法というものがあるらしく、国が法律で男性を守るらしい。


 考えてみると、病室をひとりで使っていることに今更気づいた。しかも、トイレにお風呂付きという豪華さ。


 僕のイメージでは、病院の病室というものは部屋に何台かのベットを置き、ピンクのカーテンなどで簡単に仕切って、部屋を何人かで共有するんじゃないかと思った。


 それに、ニュースでも病室が足りなくて受け入れ拒否なんて事も聞いた覚えがある。ひとりで広い病室を使うなんて、重症の患者か、金持ちか。


 日野原先生は記憶喪失と診断した。佐藤優が倒れた際に、何らかのきっかけで記憶を喪失。


 一週間目が覚めない間に、夢の中で記憶が形成され、それが今の佐藤優の記憶の代わりとなったのではないか、という仮説を説明された。


 このような事は過去に類を見ない症状で、以前の記憶が戻るかどうかの判断は難しくて治療法は、以前の生活を知り、過ごしているうちに自然に戻ってくることを祈るしか無いことを、とても申し訳なさそうに教えてくれた。



***



 僕は、三日間で様々な事を考えた。確かに通り魔に刺されて死んだこと。起きると16歳に戻っていたこと。自分の知識と今の常識に大きな齟齬があることなどなど……。


 ベットの中で考える。


(僕はあの時確かに刺されて死んだんだと思う。何故か学生時代に戻ってしまっていた。映画や小説にあるような所謂逆行というやつかもしれない。信じられないなぁ)


 自分は死んだのだろうか、何故学生時代に戻ったのか、突然元に戻ることもあるかもしれない。気になること、わからないことは多々あったが、それよりもこれから先どうすべきかを深く考えた。


(学生時代に戻ったということは、あの時をやり直せるのかな。もっと積極的に友達との交流を取るべきだ。)


 高校で出来た友達。大学を卒業してから、入社してだんだんと疎遠になっていった。最後は、全く連絡を取らなくなった何人かの友人の顔を浮かべながらそう思った。


(菓子作りを勉強してパティシエにもなりたい。)


 大学三年生の秋に食べたモンブランのケーキに衝撃を受け、菓子作りを始めた日を思い出した。


 色々な探究心を持って、様々な菓子作りに挑戦して楽しい日々を過ごしたりもした。パティシエになりたいと考えた事もあったが、就職活動も始めており時期が少し遅すぎること。


 勉強していくには、親に更に負担と心配を掛けてしまうと考え、諦めてしまったこと。


 それからはあくまでも、趣味の範囲で楽しむことにした。


 会社のみんなには好評で、女っぽい趣味だとからかわれたりもしたが、それ以上に美味しいと言って食べてくれることに喜びを感じていたことも思い出した。


(あわよくば、彼女を作りたい。)


 仕事に趣味に、充実した生活を送っていたと胸を張って言えるが、やはり愛する人が居ないのは寂しいことに思えた。


 通っていた料理教室では、40歳を超えたお姉さま方ばかり。仕事では、あまり女の人と関わりがなかったり、既に婚約している人たちばかりだったり。


 機会がなかったのは、自分が積極的に行かなかったことにも大きな原因があるだろうともわかっていた。


 ちらっと壁にかけてある時計を見ると既に23時を過ぎていた。消灯時間から2時間も経ったことになる。


(兎にも角にも、明日の退院に向けて今日はもう寝よう。休んでから、また考える)


 明日からの生活を想像しながら、安らかに眠りについた。

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