しばらくチョコは食べれない
向井みの
しばらくチョコは食べれない
🍫余計な一言
きたる2月14日バレンタインデーについて、私は何も思うところがない。ちょっと前のクリスマスは嫌だった。イベントの国内における定着度とか、規模の大きさの違いなのか、クリスマスは「彼氏がいなかろうと、忙しかろうと、何か楽しいことをしなくてはいけない」という焦燥にかられて居心地が悪かった。対して、バレンタインデーは私の心中で存在感が薄いイベントだった。生まれてこのかた彼氏など出来たことが無いし、出来るように努力する必要もないと思っている大学生に、チョコはいらない。ポテチの方が美味しいじゃん。
「ねぇあんた、大学は?」
大学入学と同時に姉と暮らし始めたアパートは狭かった。私が呑気にこたつに刺さっていると、身支度を整えた姉が邪魔そうに跨いでいく。
「とっくに春休みっすよ。始まりは3月」
「ああそう、私タカと会って来るから。帰り何時かわかんないからご飯は各自でね」
「はーい」
姉はコートとマフラーで身を包み、足早に出て行った。彼女は本日生理二日目、仕事が休みで良かったとさっきまで寝ていたのに。「タカ」というのは姉の彼氏、私も会ったことのあるナイスガイだ。しかし体調不調を押してまでデートしたい相手なのか。「今日生理でお腹痛いから」の一言が言えない相手だとすると、あんまり対等なお付き合いじゃないのかな。妹はほんの少し心配しているよ。しかし姉がタカさんと付き合っていて幸せそうなのも事実。恋愛経験のない妹が口を出すのは憚られる。第一、人の恋愛に口をはさむのは面倒くさい。
大学の春休みがこんなに暇だと思っていなかった。私は以前こたつに刺さったままスマホをいじり続ける。今見ているのは各種SNS、皆何してんの?
『あと少しでバレンタイン。今から彼にあげるチョコのレシピを検索中♡』
『バレンタインとかマジ普通の平日だわwこんなんお菓子メーカーの陰謀っしょ』
『バレンタインどうしよ~(汗かいてる絵文字)お菓子作り苦手だから買っちゃおうかなぁ(ぴえんの絵文字)』
『はあ。。職場のバレンタインの風習無くなんないかな。人数分チョコ用意すんのだるすぎ』
ふむ。バレンタイン一週間前のこの時期、世の中は二つに分類される。「バレンタイン好き好き派」と「バレンタイン滅べ派」の二つだ。SNSに溢れるバレンタインへの生々しい感情を眺めながら、ヒヒヒと笑った。私にゃ関係ないもんね。
結局、姉が帰ってきたのは深夜だった。疲れた顔でコートを脱いでいる。お風呂沸かしといたよ。
「お腹痛いのにこんな遅くまで、大丈夫なん?」
「え?ああ・・大丈夫。最近彼と微妙な感じでさ、誘い断りずらいんだよね」
「ふーん・・」
正直スマホゲームに夢中だった。我ながら最低だと思う。姉なりに不安をこぼしているというのに。
「そろそろバレンタインじゃん。チョコ渡せば喜ばれるんじゃない?」
この発言も、ゲームに気を取られながらほとんど考えずにしたのだ。姉がぴしりと固まったのを感じた。見ていなくても、その場の空気が凍ったのは肌で感じられるものらしい。見ると、姉は脱いだコートを手にしたまま静止していた。眉間にしわが寄っている。ヤバイ、なんか悪いこと言ったかな私。
「お風呂入って来る」
コートを投げ捨ててお風呂場に向かう姉の声は、完全に怒っていた。
🍫当日
暇すぎて短期でバイトを始めた。バレンタインの当日チョコを売りに売る販売員のバイトだ。そうか、短期バイトという時間の使い方があるのか。あやうく新学期までこたつで過ごすところだったのを、友人のアヤちゃんが一緒にやろうと誘ってくれたのである。
バレンタイン当日の忙しさたるや、トイレに行く暇もないほどだった。売れども売れども、チョコもお客も尽きない。どいつもこいつも当日買いにくんじゃねえよ!事前に買っとけよ!
「なーちゃん、ハイこれ」
誘ってくれたアヤちゃんも必死の形相でチョコを手渡してくる。レジを担当する私と、お客が選んだチョコを梱包するアヤちゃんのコンビで働いている。なーちゃんとは、私のことである。レジは四つの窓口を設け、それぞれに長蛇の列ができていた。目の前のお客とお金の対応に追われる私の隣で、アヤちゃんがあっと声を上げた。何、なんかミスった?
「ユキちゃんだ」
アヤちゃんが呟いたのは、紛れもなく私の姉の名前だった。というのも、アヤちゃんは私たち姉妹と、姉の彼氏タカさんまでも含めた三人共通の知り合いなのである。私たち姉妹の幼馴染。姉とタカさんは元々高校の同級生で、アヤちゃんは同じ高校の二年後輩。
「え、マジで?」
思わず手を止めて姉の姿を探す。本当だ、私が担当するレジの、隣の隣の行列に姉が並んでいる。私はバレないように首を縮めた。先週の一件以来、私たち姉妹は気まずい空気のままでいる。姉がなんで怒ってるのかもわからないまま、謝るのも変じゃないか。
「結局渡すことにしたんだ・・」
アヤちゃんがまた呟いた。
「ちょっと何してんの。急いでるのよ!」
お客の声が飛んでくる。私たちは背筋を伸ばして姉への興味をかなぐり捨て、仕事に戻った。
帰ってきて、風呂にも入らずこたつに潜り込む。とてつもない疲労だ。ちくしょう、私も「バレンタイン滅べ派」になっちまいそうだぜ。姉はまだ帰ってきていない。バレンタインだし、帰りは明日になるかもなと思っていたところで、玄関が開く音がした。
「おかえりー」
姉は先週に輪をかけて疲れた顔をしていた。返事もせずに、ずんずんこっちに歩いてくる。
「これ、あんたにあげる」
こたつに、音を立ててチョコの箱が置かれた。さっきまで私が売りに売っていたチョコだ。
「え、なんで」
姉は何も言わずに、自室に引っ込んでしまった。様子から考えるに、家族用のチョコを買っておいてくれたってわけじゃなさそう。そういえばさっき列に並んでいた時も、姉は楽しそうな顔はしていなかった。迷っているような、イラついているような、浮かない顔だった。
私はこたつに置かれたチョコの箱を見つめる。包装紙はおろか、リボンまでも解かれていない買ったままの姿だ。
🍫聞いたところによると
後日、私はアヤちゃんとファミレスで会う約束をした。バレンタインから数日経って、姉の機嫌は直った様子だが、一応何があったのか知っておきたい。そこで、当日チョコを買いに並ぶ姉を見て「結局渡すことにしたんだぁ」と呟いていたアヤちゃんに事情聴取しようと思い立ったのである。私と違って彼氏持ちのアヤちゃんは、姉の恋愛相談をちょくちょく受けているらしい。今回も絶対何か知ってるでしょ。
「わ~、例のチョコなーちゃんのとこに行ったんだぁ」
私の説明が終わると、アヤちゃんは口元に指を当ててクスクス笑った。あんまり笑っちゃいけないけど、面白くてしょうがないと、表情が物語っている。
「どういうこと?お前さんどこまで知ってんのさ」
「ふふ、教えてあげるけど、ユキちゃんには私が喋ったって言わないでね?」
こうして、アヤちゃんの話が始まった。
「ユキちゃんはさ、バレンタインする気なかったんだって。クリスマスもいつも通りデートするだけだったし、イベントに固執するタイプのカップルじゃないって思い込んでたみたい」
ほう。初耳だが頷ける話だ。姉は以前「バレンタインとかマジめんど~」とこぼしていた。れっきとした「バレンタイン滅べ派」なのである。
「でもね、確かにタカ先輩はイベントに固執するタイプじゃないけど、バレンタインにだけは欲がある人だったみたい。男の人にたまにいるのよね」
「へ、へえ」
恋愛経験のない私には、そう言うほかない。しかし頭の中に構図が出来上がっていた。「バレンタイン滅べ派」の姉と、「バレンタイン好き好き派」のタカさんの間で亀裂が生じていたということか。そりゃ大変だ。
「で、バレンタインの前にちょっとした喧嘩があったの。チョコあげる、あげない。もらう、もらわないで」
アヤちゃんはドリンクバーのホットココアを一口飲んだ。つられて、私もカルピスをゴクゴク飲む。
「バレンタインの日、夜にユキちゃんから電話があったの。あいつ、欲しいって言ってたくせに当日会ってみたら清々しい顔で『チョコ欲しいなんてワガママいってごめんな、気にしないで良いから!』って言いやがったって。ユキちゃんは迷ったけど、結局チョコ買ってたのにねえ?」
当日、列に並んでいた姉の顔を思い浮かべる。あんなに思いつめて用意したチョコは、結局彼に渡されなかったのか。
「でも大丈夫。ユキちゃん、当日こそふれくされて愚痴ってきたけど、今は元通りラブラブだから」
アヤちゃんはスマホを取り出し、画面を私に見せてきた。メッセージアプリのトーク画面、アヤちゃんと姉の数分前のやり取りが表示されている。
『今日も仕事終わりタカとデートなんだ~』
『いーね!実は私も今日デートなの♡』
「ね?」
知らないところで、ことは全て終わっていたということか。私は拍子抜けして座席に背中を預けた。
「というわけで、私これからデートだから。もう行くね、バイバイ♡」
ココアを飲み干し、アヤちゃんは華麗に去っていった。一人残され、ぼうっとしている私のスマホが鳴った。見ると、姉からのメッセージの通知だ。
『仕事終わりタカと会います。夕飯各自で』
家に帰り、例によってこたつに入った。仰向けに寝転び、天井を見つめてしばし考える。「いや、そんなカップル間のナイーブな事情を孕んだチョコを私に渡すな!」
事情を知り、改めて状況を咀嚼した上でまずそう思った。まったく、カップルの痴話げんかに巻き込むんじゃないよ。やれやれ、機嫌悪くされてとんだとばっちりだぜ。
ジュースでも飲もうと身を起こしたところで、脳裏に過去の己の発言が稲妻のごとく思い出された。
「そろそろバレンタインじゃん。チョコ渡せば喜ばれるんじゃない?」
バレンタイン一週間前、彼氏との不安を漏らす姉にスマホ片手に返した私の台詞。そうだ、私はこの発言で軽率に姉の地雷を踏みぬいていたのだ。押し付けられたチョコは、余計な一言を発した私に対する、姉なりの仕返しだったのかもしれない。
冷蔵庫まで足早に向かった。例のチョコは五個入りで、あと一個残っていたのだ。ごめんよ姉、とっとと食っちまうから許してくれ。
残っていたのは真っ黒なハート形のビターチョコレート。私はチョコの苦みを味わいながら、空き箱をゴミ箱の奥へねじ込んだ。
END
しばらくチョコは食べれない 向井みの @mumukai30
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