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「もう、ロズウェル祭りだね」
公民館の入り口に飾られた笹飾りを見て、マスタードが言った。彼女の言葉を聞いて、私はドキリとした。やらなければと思っていたことを、忘れていたことに気づいたからだ。
この時期になると、いろいろなところでUFOを表現した紙細工をつけた笹の葉が飾られているのを目にするようになる。国内で三本の指に数えられるくらい大規模なロズウェル祭りが開かれるうちの市では、特にその数が多かった。
彼女と出会ってからは、毎年一緒にロズウェル祭りに足を運んでいた。駅前のアーケードにつるされた巨大なUFOの飾りを、いつも初めて見たかのように目を丸くして眺める彼女の様子は、私にとって夏の風物詩となっていた。
毎年この時期は憂鬱だった。マスタードとロズウェル祭りへ行くことはとても楽しかった。でも、彼女を誘うまでに、私は勝手に目の前に高い壁を作ってしまう。断られたらどうしよう、という不安は私の中で雪玉のように膨れていく。
彼女が私の前で、ロズウェル祭りの笹飾りに触れるということは、一緒に祭りへ行くことが嫌ではないという意思の表れだろう。だけど私は確信が持てなかった。もし断られたらどうしよう、と私はいつも不安になってしまう。だからこの時期は気が重かった。
「本当だ、きれいだね」
私は言葉が継げなかった。毎年のことなのに、いつもどうやって彼女をロズウェル祭りに誘っていたか覚えていない。もし今年、変な誘い方をして彼女の気を損ねたらどうしようか、と私は勝手に不安がってしまう。彼女がそんな気難しい人ではないとわかっているのに。
「もう始まってるかな。中、入ろう」
結局、私は怖気づいてしまった。及び腰になって、話を強引に切り替えた。
「そうだね。どれくらい人いるのかな」
彼女はそう言って、笹飾りへの注目を止めた。講が二階で開かれていると知ると、彼女は脇に抱えていたゼリーの箱を持ち直した。持ち手のない大きな箱を持ってここまで歩くのにも、彼女は相当難儀していたように見えた。反対に私は、ガムのボトルを片手で握って持てたので、彼女よりずっと移動しやすかった。
二階の和室が講の会場だった。私たちが入るころには、もう二十人近い人たちが和室にいた。私たちが最年少の参加者のようで、ほとんどが六十代以上の人たちばかりだった。三、四十代くらいの参加者は六人いて、彼らは会社のレクリエーション活動として参加しているようだった。彼らは皆、何人かのグループで参加していて、私たちが来た時にはすでにおのおのが話すなり、ボードゲームをするなりをしていた。テレビが一台、部屋の奥に置かれており、集まって番組を見ているグループもあった。
私から誘っておいて、無責任極まりないが、ここで集まって徹夜をする以上のことはわからなかった。しかし、知らされていた開始の時刻になっても、集まった全員で何かをするということはなかった。
「もう、食べていいの?」
マスタードがゼリーの詰め合わせの箱を前にして、目を輝かせてそう言った。私は周りを見渡した。開始時刻は過ぎていたが、それ以前と大した変化はなかった。一応何人かの人は、それぞれが持ってきた七色菓子を開けて食べているようだった。
「いいんじゃない、かな」
私はそう言った。
七色菓子を持ってくるようにと言われていたが、私が見た限り厳密に七種類のお菓子を持って来ている人は少ないようだった。五、六種類の味が入ったアソートの飴やチューイングガムを持って来ている人が大半だった。マスタードのように、大きな箱詰めのものを持って来ている人はおらず、彼女が包装をペリペリと破く音で気づいた周りの人々は信じられないとでもいうように、彼女を凝視していた。
「ねえ、きいちゃん」
彼女は、ゼリーの蓋を開けて、こぼれそうになった液を啜りながら言った。
「なんでまた、庚申講なんかに?」
誘った私が対して庚申講に関する知識もない状態でここに来たので、彼女も疑問に思うのは当然ではあった。だからこそ、答えるのは少し恥ずかしかった。
「最近庚申講がバズってたから、私も行きたいなって思ったの」
K-meというSNSでは庚申講関連の投稿がここ数週間で目立つようになっていた。私は特にK-meでアンドウというユーザーの、庚申講で他愛もない話をし続けるという動画を見て興味を持ち始めた。
「ああ、そんなこともあったね」
意を決して本当のところを伝えたが、意外にも彼女の反応は素っ気ないものだった。私が勝手に、ネットの流行に流されることに過度に恥じらいを感じているだけなのかもしれないと、気づいた。
「あ、見て。小田原矮星くんも庚申待ちしてるよ」
彼女はゼリーから少し顔を上げていた。彼女の視線は、壁際のテレビに注がれていた。放送されていたワイドショーでは、ロズウェル祭り特集なのか、次クールのドラマの番宣なのか、俳優の小田原矮星が深夜に友人らと談笑している映像が流れていた。
「矮星くんも庚申講なんかに参加するんだね」
私は驚いていた。参加しておいて失礼だが、公民館でお年寄りばかりが集まって開かれることからして庚申講は彼のような全国的な人気を博し、様々なメディアで活躍している人が参加するほどの行事ではないと思っていた。私は彼の熱烈なファンではないが、彼が私たちと同様に庚申講に参加しているのを見て、嫌な気持ちはしなかった。画面の向こうでしか見ることができない、雲の上の存在であった彼と同じことをしていることを知って、むしろ嬉しかった。
「サイコロ持ってくればよかったね」
しばらくしておもむろにマスタードがそうつぶやいた。
「え、なんでサイコロだけ?」
あまりにも突然すぎて、彼女が行っていることがよくわからなかった。彼女は、ゼリーを含んだ口を動かしながら、黙ってテレビの方を指さした。
「でました!悔しかった話、『クヤバナ』!」
テレビの向こうで司会者の男性が、一抱えのサイコロの目を読み上げていた。観覧の客も彼に続いて、『クヤバナ』と声をそろえて繰り返した。
「ええ、悔しいかった話ですかあ」
サイコロを投げたと思わしき女性が、それを聞いて困ったように言った。
「サカモトさんはもう大女優さんですから、そうそう誰かに負けるなんてことはないと思うんですけど」
「そんなことないですよ。そう、悔しかったと言えば、この前友人と焼き肉に……」
司会者が席に戻ると、サカモトと呼ばれたその女性が、話を始めた。司会者の適当な頻度の相槌や、彼女の話を受けて発する的確な一言で、観覧の客のみならず、この部屋でテレビを見ていた人も、つい笑い声をあげていた。
「これ、終了してなかったっけ?」
以前私はこの番組を機会があるたびに見ていたが、一度盛大な最終回特別放送と銘打った長い特番を見て以降は一度も見ていなかったような気がしていた。
「レギュラー放送は終わったよ。これは隔月の特番。庚申の晩にやってる」
「もっと前から知りたかったな。よく見てたんだよねこの番組」
私は思わず口を滑らせてしまった。あの番組はレギュラー放送されていた際には平日の昼間に放送されていた。このことを知られて彼女は、私をどのような目で見るかと想像するだけで、足元が崩れていくような怖さを感じた。
しかしそんな心配は杞憂に終わり、彼女は素っ気ない態度で相槌を打っただけだった。すぐに彼女の意識は開けたばかりのゼリーに移ってしまった。それからも、そのことについて触れない彼女を見て、私は安心できた。
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