応援コメント

『 GUILT:罪悪感 』」への応援コメント

  • 私は、罪を犯した、というのは誰もが生きている上で抱えている問題だと思うのよ。

    もちろん、道徳的、慣習的、道義的、法的に、その軽重はいろいろあるけど、その人がその罪をどのくらいに感じてるかによって、その罪がその身を苛む重さが変わるのよね。

    人殺しだって、戦争で殺し合う事もあるし、憎くて仕方なく殺す事もあるし、どうしようも無い悪人と思って殺す事もある。

    問題は、それをどう感じるかだと思うのよね。
    例えば、ありんこを沢山殺してしまい罪に感じる人もいるし、カタツムリを千匹殺しても殺し足りないと思ってる人もいるし。

    その行為より感じ方で、心身を苛むくらいに罪の意識を感じるわけよね。

    他人から見たら大した事で無いようでも、当人にはそうじゃない、そんな事例は沢山あるからね。

    で、そんな時、どのするのか?
    もう許してあげてっていう許しを与えるのがキリスト教とかの宗教にはある。
    なので、宗教に縋るのもひとつの方法。
    自分で解決出来る人ばかりじゃないからね。

    で、もうひとつは、きょんちゃんの言う通り、罪は罪として認め、心の隅に置き、しかし、前を見つめる事。
    出来る償いはして、誠意を示すしか無い。
    それで少しは心の負担は軽くはなる。
    でも、これだけでは拭い去れない罪悪感もある。
    そんな場合、私は、忘れるか、時間が解決するかしか無いと思う。

    時間が経つと、だんだんと人間は都合の良いように記憶が改竄され、精神の安定を図ろうと脳が勝手にするのよ。
    それと、私は、結局忘れても良いという許しが人間には必要なのかもと思う。

    もちろん、罪な事をしたという過去の反省と償いはした上で、よ。

    その過去は完全には忘れられないかもしれないけど、それでも、その事で心の平安を乱されない程度には薄く伸ばしても良いと思うわけ。
    そういう意味で、忘却というのは、生きる手段だから。

    しかし、それらを全て赦すという宗教の言葉は、悩む人には有り難いわけよね。
    私は、統一教会の問題で、宗教についてをもっと日本人は考えるべきだと思うのよ。
    宗教は、何故存在するのか?
    お葬式の為、って答える日本人が多いと思うのよ。
    もう、仏教の金儲け主義の弊害だよね笑(๑˃̵ᴗ˂̵)




    作者からの返信

    カタツムリ大量虐殺!!!

    わたしね、ここだけ話。
    車庫でゴキブリ見てこないだ足で踏んでやっつけたよ。バン!って。


    私は無宗教。
    でも、神さまの存在は知ってる^ ^

    そして神さまは常に自分のそばにいる!そう、思ってる\(//∇//)\