故に恋とは怖ろしい

蒼己翠

恋とは可変性である

 恋なんて、愛なんて──。

 そんな言葉、もう飽きるほど見聞きしてきましたとも。

 それでも、『なんて』なんて言葉で片づけられるほど、恋とは甘いものではないでしょう?


*


 深夜は心地よい時間帯だ。静かで冷たくて優しい。もっと具体的に言うなら、誰にも邪魔されず、ただ独り自分の世界の殻に閉じこもることができる。外界は既に無音になって久しく、普段はぽつぽつと届く通知に震える携帯も、この時間帯は完全に沈黙したまま、私以上に安らかな様子で眠りについてくれているのだ。

 今の私は、まさしく誰にも邪魔されることなく、望むままに陰鬱な物思いにふけることができるだろう。

 ──いや、正確には通知は来ている。その証拠に、スマホのホーム画面をつければ、LINEが一件届いているという旨の通知が、画面中央に浮かんでいるのが見て取れる。私はその通知を先程から無視し続けているのだ。

 そうして私は先程から、まさしくその通知について思い悩んでいるのだ。

 

*


 私は都市部に位置する某大学に在籍している大学生、本名は伏せる。年齢は二十一、性別はまあ……どちらでもいいからここでは触れないでおこう。別にこの悩みは、私の性別が男であろうと女であろうとそれ以外であろうと、きっと抱いていた悩みなのだから。

 私は既に親元をたっており、今は大学近くの安宿を借りている。私がこうして物思いにふけるようになったのは、きっと一人暮らしを始めたことも原因なのだろう。

 私に趣味は無い、もっと正確に言えば──これが趣味だ、と豪語できる程何かに秀でている訳ではないし、何かを努力したためしもない──となるだろう。嗜む程度に音楽鑑賞や読書、散歩だったり料理だったりはしている。けれども世の中の皆様は私のそれ以上に、そういった分野に秀でていらっしゃるみたいなので、おこがましい発言は控えなきゃならない。

 こんな私だが、数年前からある一人の方にずっと想いを寄せている。その方は私と同じ年齢で、私とは違う大学に通う、私と反対の肉体性別を持つ方である。ここではその方を、形式的に『モナミ』と呼ばせてもらおう。

 モナミさんと出会ったきっかけは共通の友達がいたことだった。その当時私はまだ学生で、己の愚かさに気が付くにはまだ老いが足りない年頃であった。モナミさんの私に対する初印象は、きっとひどいものであったろう。その当時の私の醜態──これは私の風体も、性格も含めての話だが──は、到底筆舌に尽くしがたい有様であったので、ここでは割愛させてもらおう。正直言って、思い出すだけで吐き気がするのだ。

 私はモナミさんと初めて話した時から、モナミさんに仄かな恋慕の情を抱いていた。実はこの時こそ、私が初めて己の心の内に『恋』を見出した時であった。


──恋は盲目、なんてよく言ったもの


 私の心の中で、その恋という名の衝動は次第に力を増していった。それはある種の精神の汚染であり、一月経つ頃には、私は己の衝動に内側を蹂躙されつくしていた。

 やがて私に機会が訪れた。私とモナミさんの共通の友人が、私とモナミさんを含む数名で遊ぼう、と私たちに提案したのだ。訪れた絶好の機会、それを逃す程当時の私は愚鈍ではなかった。


──これ程自分が愚かであればよかったと思うことはないだろう


 告白は、私にとって難しいものではなかった。モナミさんもまた、ある種の自己顕示欲を満たしたい年頃であったのであろうし、私もまたこの溢れんばかりの感情をさっさと吐き出してしまいたかったのだ。

 結果は語るまでもない。無論ここでは割愛するが──告白してから数週間、私がどれだけ想い、悩み、苦しんだかは語るに及ばないだろう。

 さて、ここで事が終わっていれば、事は幾らか単純だったろう。

 不思議なことに、私が玉砕して後も、私とモナミさんの交友は続いた。それどころか、だいたい一月が経つ頃には、私とモナミさんは付き合うことになっていた。

 訳が分からないだろうが、今の私も訳が分からない。さしずめモナミさんが哀れな私に慈悲をかけたか、或いは私がおもちゃとして遊ぶには少しは面白い人間であったか、その二択だろう。

 しかし、それもまた長続きのしない関係であった。私たちが付き合い始めて、次の次の月を迎えるころには、私たちは別れていた。これに関しては、今なら当然だと私は頷ける。例えるなら、私とモナミさんの関係はまるで積木細工で建てたバベルの塔だったのだ。

 当時のモナミさんの心中は測れない。ただその期間を経て、私はどうやら大きな問題を患ってしまったらしい。

 それこそまさに、私のモナミさんに対する『歪んだ恋心』である。


*


 私はモナミさんが憎い。憎くて憎くて仕方がない。私の心を、まるで子どもが手毬で遊ぶが如く弄び、嘲り、最後には棄てた。

 そうして暫く消沈模様の私を遠くから眺めた後、今度はまるで救いの神のように颯爽と現れ、優しく私の肩を抱いた。

 憎まずにいられようか。恨まずにはいられようか。

 今でもモナミさんの顔を見るたびに、私は腹の奥でふつふつとした何かが沸き上がるのを感じざるを得ない。

 その首を締め上げ、殺したいのだ。

 ナイフを心臓に突き刺し、胸から艶やかに垂れていく鮮血を眺めたい。

 私の飲ませた毒薬により、無様に顔を歪ませて、最後には息の根を止めてやる。

 私が、私だけが、モナミさんを殺すのだ。

 

 だが、そんなことできるはずがない。

 法律が、という話ではない。

 私がモナミさんを、愛しているからだ。

 モナミさんは傷ついた私を慰めてくれた。

 まるでひと夜の夢のように、けれでも私は確かにあの時抱かれていた。

 愛する人をこの手で殺せと言うのか?

 ふざけるな、できるはずがない。当然したいとも思わない。

 モナミさんは、この世でただ一人、私を受け入れてくれる人なのだ。


*


 とまあ、こういう訳である。

 私の恋心の『歪み』とはすなわち、あの方モナミさんの処遇を巡って、私の心が乖離を始めていることを指しているのだ。

 

 乖離した二つの心は、両方とも私の本心だ。

 どちらかを否定することは出来ない。

 だが、どちらも肯定することもしたくはない。そんなことをすれば、私は合理化の代償に今よりも更に酷く醜い存在へと変わってしまうだろう。

 いずれは、どちらかを消さねばならない。


*


 この物語は、私がこの心に決着をつけていく過程そのものだ。

 私はこの物語を書き記すことで、やがては私の心に巣食う闇を払うのだ。

 それは恐らく、いずれ誰かの死によって成されるだろう。

 私の死か、あの方モナミさんの死か。

 私があの方モナミさんを殺すが先か、或いは私が私を殺すが先か。

 どっちに転んでも、少なくとも私は死ぬ。

 それが社会的か精神的か、はたまた肉体的かは、今の私には知るべくもないが。




 

 


 

 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

故に恋とは怖ろしい 蒼己翠 @aokimidori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ