プロローグ
あなたが憎いと。
あなたさえ、いなければ、と。
そうして、悪魔を呼んだ──
※
「お前は、自分が何をしたのか、わかっているのか」
父の硬質な声。顔も上げられず、アリシアはただ、震えることしかできなかった。
「このマクシミリアン家は由緒正しい家柄。その家系が途絶えれば、我が国がどうなるか。出来損ないのお前にとて、その程度のことは考えられるだろう」
「……そのために、どこの馬の骨かもわからないエミリーを跡継ぎにするのですか? ただ、
「エミリーは私の子だ」
そう、父は言った。
「以前、我が屋敷に勤めていたメイドがいた。あれと私は、間違いを犯したのだ。たった一夜、たった一度の過ちを」
何度も聞いた言葉。けれど、受け入れられるはずもない。ただ一度の夜だからと言って、情を傾けたはずのメイドの名を、父は一度も口にしなかった。
「しばらくそこで、頭を冷やせ。私は、城に釈明をしに行かなければ……」
父が出ていく。重い戸が閉まる。そうして部屋に残ったのは、何もかもをなくした、アリシアだけ。
「……真っ先に出る言の葉が、あの子へのものでなく、王家へのものなのですね」
エミリー。利発な子。明るくて、優しくて。いつも、自分のことより、アリシアのことを優先させた。けれど、その全てが。
「ええ。私も、お父様と同じ。あんな子、どうだっていいわ。どうなったって……」
いっそ、同じように、見下してくれれば。そうすれば諦めがついたものを。
「エミリー、ねえ、聞こえていて? 私などを信じるから、こうなるのよ。愚かなエミリー。かわいそうに……」
部屋の隅。先ほどから、全く動かない、黒い影。それが今のエミリーだ。あの笑みも、あの小柄な姿も。見る影もなく、ちっぽけで、どうしようもなく、醜くなって。
「エミリー……」
そうなって初めて、妹への情を抱くなんて。アリシアは己のいびつさに、ただ、ほほ笑んだ。手を伸ばして、変わり果てた妹の頬に触れる。
「こうなってしまえば私と同じ。いいえ。唯一、あなたしかいなかった。お父様のお眼鏡にかなった子は」
そう。孤児院の多くいる子供たちは、みな平民の出だ。にもかかわらず、魔術を扱える。アリシアはずっと疑っているけれど、本当はそれこそ、父の子である確かな証拠になりうるものだ。出来損ないのアリシアより、よほど。
「ア……」
可憐な声も、かすれ、しゃがれていて。
「なあに、私への恨み言? いいわ、聞いてあげる」
節くれだった手に、手を重ねて。アリシアは、初めて、妹に優しい言葉をかけた。
「コれ、デ、sアws?」
「──え? なんて言ったの、よく聞こえなかったわ……」
アリシアは、エミリーを見つめた。魔に生気を吸い取られ、変わってしまった娘。もはや言葉も、満足に扱えない。それでもその顔は、確かに以前の妹と同じように、笑んだ。
「 i d i l c l c?」
人の言葉には聞こえない。その、はずなのに。アリシアには確かに、エミリーの言いたいことが、わかった気がした。いつも聞いていた、その言葉。
────
「……嘘」
アリシアは、その手を振り払って後ずさった。化け物となり果てた娘は、それに何も反応を返さず、ただ佇む。
「ねえ、待って、待ちなさい、あなた……」
妹は何も答えない。最後の言葉。人である、証。それが、拾い育てて、愛した父に向けてのものでないなんて。
「
明るくて、優しくて。そう。いつも、いつだって、笑っていた。アリシアがどんな嫌がらせをしても、その顔が曇ることはなかった。
──姉さま。
一度も、名を呼ばなかった。こうなるまで、妹として認めることもしなかった。この家で、どこにも居場所がないアリシアの、ただ一人の味方だったのに。
────姉さま。
もうその言葉を聞くことはない、なんて。彼女の記憶がある限り、そんなことは不可能で。
──────姉さま。
「エミリー」
答えはない。その代わり。部屋の隅にいる異形の存在が、こちらを見た。
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