勇者ハルア、魔王に挑む〜問題用務員、校舎支配事件〜

『午後1時、正面玄関に来い』



 簡素な文章が並んだ手紙に導かれ、ハルア・アナスタシスはヴァラール魔法学院の正面玄関までやってきた。


 手を伸ばしても届かない高い天井に、何枚もの絵画が壁に飾られている。階段が壁沿いにぐるりと巡らされ、見上げるほど巨大な扉が閂によって閉ざされて侵入者を阻んでいる。1日で生徒が何度も行き交う場所だ。ハルアも何度も見慣れたものである。

 その正面玄関に知らないものが置かれていた。石で作られた台座である。台座には薄青の剣が突き刺さっており、どこか神々しい雰囲気に満ちていた。


 薄青の剣には、柄頭に雪の結晶があしらわれている。氷で作られているのかと恐る恐る触れてみるが、温度は普通の剣だった。



「何これ!?」



 自分自身の声が正面玄関の縦に長い空間へこだまする。


 目の前の剣には大いに興味がある。だが本当に抜いていいものなのか判断がつかない。

 こういう時に上司である銀髪碧眼の魔女がいればいいのだが、生憎彼女の存在はここにいない。それどころか、生徒と1人もすれ違わないのだ。


 ハルアは周囲をぐるりと見渡すと、



「抜いちゃえ!!」



 欲望には抗えなかった。


 ハルアは石の台座に突き刺さった剣を引き抜く。

 剣は呆気なく引っこ抜け、薄青の刀身が晒される。剣は透き通っているようでずっしりと重たく、柄頭にあしらわれた雪の結晶が剣の冷たさを後押ししていた。


 その時、ハルアの足元に青く輝く魔法陣が出現する。複雑な模様が隙間なく描かれた魔法陣は意味が分からず、どんな魔法が発動するのかハルアには判断できなかった。



「ッ!?」



 反射的に薄青の剣を構えるハルアの目の前に、青い燐光を放って人間が出現した。どうやら転移魔法の1種だったらしい。


 ハルアの前に立っているのは、黒髪赤眼の少年だった。真っ黒なワンピースには雪の結晶が刺繍され、フリルがふんだんに縫い付けられた可愛らしい衣装である。ふんわりと広がったスカートの裾から伸びる華奢な足は白い靴下で覆われ、磨き抜かれたストラップ付きの革靴が大理石の床を踏む。

 艶やかな黒い髪をなびかせ、紅玉ルビーの如き瞳を瞬かせる。付け耳でもしているのか、いつもの耳とは違ってエルフのように尖っていた。おとぎ話でよく見かける種族である。


 ゴシック調なワンピースに身を包んだ女装少年は、薄青の剣を構えて唖然と立ち尽くすハルアに向かって笑いかけた。



「よくぞ聖剣を抜いてくれました、勇者よ。さあ、共に学院を救いましょう」


「何してんのショウちゃん!?」



 転移魔法で目の前に現れたのは、ハルアの後輩であるアズマ・ショウだ。いつもはメイド服を身につけている彼だが、今日は何故かハルア好みのゴスロリである。



「あの、ハルさん。これではゲームが成り立たなくなってしまうから……」


「げぇむ!?」


「遊びだ、ごっこ遊び。ハルさんはこれから勇者になって、数々の敵と戦って、魔王様のところまで目指すんだ」


「魔王もいるの!? 凄えね!!」



 可愛い後輩から事情を聞かされ、ハルアは瞳をキラッキラと輝かせた。

 勇者になったという実感は湧かないが、これから数々の敵と戦って、魔王のところまで目指すのか。これはなかなか面白そうなごっこ遊びである。


 ショウはどこか安堵した様子で、



「俺は妖精役だ。勇者であるハルさんの補佐をするぞ」


「そうなの!? オレ馬鹿だからショウちゃんが手伝ってくれると嬉しいな!!」


「一緒に魔王を倒そう、ハルさん」


「うん!!」



 ハルアがショウの提案を元気よく受け入れると、



「はーはっはっはっはっはっ!!」



 上空から高らかな笑い声が降ってきた。


 反射的に顔を上げれば、人間のような何かが次々と行進してくる。恐ろしいほど足並みが揃い、球体関節と鋼色の胴体とつるりとした頭部が特徴的な人形の群れだった。

 一糸乱れぬ統率の取れた動きを見せる人形軍団はハルアとショウを取り囲み、逃がさないとばかりに両腕を広げてくる。進路も退路も絶たれた。


 一体誰がこんなものを仕掛けたのだろうか。せめて後輩のショウだけは守らないと、とハルアは薄青の剣を構えて人形軍団を睨みつける。



「そこまでッスよ、勇者ハルア。魔王様のところには簡単に行かせないッス」


「その声は!?」



 校舎の2階部分から優雅に見下ろしてくるのは、赤い髪と目隠しが特徴的な、まるでおとぎ話の悪役として出てきそうな格好の魔法使いだった。

 副学院長のスカイ・エルクラシスだ。何か知らないけど、副学院長までこのごっこ遊びに付き合ってくれるようだ。


 ハルアの背中に隠れるショウは、



「あ、貴方は魔王四天王の……!!」


「悪の魔法兵器エクスマキナ軍団の団長、スカイ・エルクラシスでーす。アンタらを取り囲んでいるのはボクの手下どもッスよ」



 スカイは「ヒッヒッヒ」と独特の笑いを漏らすと、



「勇者ハルア、アンタなんて魔王様が直々に手を下す前にボクが倒してやるッスよ。雑魚は大人しく寝てろッス」


「気をつけて、ハルさん。四天王のスカイ・エルクラシスは手下の魔法兵器エクスマキナを操って攻撃をしてくるんだ、まずは魔法兵器たちをどうにかしないと……!!」


「任せて、ショウちゃん」



 このごっこ遊び――最高に楽しい予感がする。


 ショウは妖精役で、副学院長のスカイが魔王四天王という敵役である。しかも大量の魔法兵器エクスマキナまで引っ提げてお出迎えだ、こんな面白いことは他にない。

 副学院長が敵役ということは、他にも敵役はいるはずだ。絶対に負けられない戦いがそこにある。


 薄青の剣を正中に構えたハルアは、



「来いやぁ!!」



 雄叫びを上げて、大量の人形軍団に正面から斬りかかった。



 ☆



 勇者ハルアの旅路は順調だった。


 四天王である悪の魔法兵器エクスマキナ軍団団長であるスカイを撃破し、さらに悪の魔法使いであるグローリア・イーストエンド、悪のフードファイターであるエドワード・ヴォルスラム、悪の南瓜カボチャであるアイゼルネも撃破した。四天王が見事に全滅である。

 時に妖精役のショウに案内してもらい、忠告を受け、廊下に放置されている宝箱の仕掛けを解いたり、各教室を巡って冒険しながらも、何とか魔王の元まで辿り着いた。楽しみすぎた。


 そして魔王として登場したのは、やはり彼女である。



「おう、よくここまで辿り着けたなァ」



 学院長室に、清涼感のある香りの煙が漂う。


 出迎えたのは、雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥える銀髪碧眼の魔女だ。透き通るような銀髪に色鮮やかな青い瞳、浮世離れした美貌と頭頂部から生える歪んだ形の角が特徴である。

 首まで覆う黒い上衣トップスと幅広の洋袴ズボン、それから袖のない黒い外套コートという肩だけが剥き出しの状態となった特殊な形状の黒衣に二の腕まで長手袋ドレスグローブが覆う。ここまで黒が似合う人物など、ハルアは見たことがない。


 学院長の執務机に腰掛けた魔王役――上司のユフィーリア・エイクトベルは、



「まさか魔王四天王が全員揃ってやられるとはな、勇者の強さを甘く見ていたのが間違いだったな」


「ユーリ、このごっこ遊び楽しいね!!」


「おーいもうごっこ遊びって言っちまってるよォ。役作りしてたアタシが馬鹿みてえじゃねえかァ」



 はあー、とため息を吐いたユフィーリアは、



「ショウ坊、ごっこ遊びってバラしちまったのか?」


「上手く騙されてくれなくて……」


「なるほどな。もう最初からごっこ遊びってバラした方が楽しんでもらえると」



 ユフィーリアはやれやれと肩を竦めると、



「ハル、ごっこ遊びは楽しかったか?」


「うん!!」


「そうかそうか、グローリアを脅して学院全体を貸し切った甲斐があるな」



 執務机から降り、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめる。

 彼女がいつもそれで魔法を使っていたのを知っている、いわばあの煙管はユフィーリアにとっての魔法の杖だ。数々の魔法を操る天才を補佐する唯一無二の道具である。


 これまでの魔王四天王とは違って、ユフィーリアは確実に強い。ハルアは薄青の剣を構え直し、



「ユーリを倒せばいいの!?」


「そう、アタシが最後だからな。見事に倒すことが出来れば豪華景品を進呈だぞ」


「それって何!?」


「見てのお楽しみだ。ちなみに負けたら参加賞な」


「負けても何か貰えるんだね!!」



 景品なんかに興味はないが、ユフィーリアと真正面から戦えるのは嬉しい。魔法の天才と名高い彼女を打ち倒すことが出来れば、この学院に平和がもたらされるのだ。


 ハルアは「おりゃーッ!!」と気合十分にユフィーリアへ突撃する。

 余裕綽々とした笑みを見せるユフィーリアは、ツイと煙管を動かして魔法を発動させた。



「お前が簡単に勝てる訳ねえだろうが、馬鹿ハル」


「ぎゃんッ!?」



 足元から拳の形をした氷塊が突き出され、ハルアの顎を的確に打ち抜いた。

 見事に打ち上げられたハルアは、背中から床に叩きつけられて「ぐえッ」と潰れた蛙のような声が出てしまう。落ちた衝撃で薄青の剣が手から離れてしまい、しゅわりと青い燐光を放って消えてしまった。


 剣がなくなった、ということはここで終わりなのだろう。床に大の字で寝転がるハルアは「ちぇー」と唇を尖らせ、



「負けた!! ユーリは強えね!!」


「当たり前だろ。お前がアタシに勝とうなんざ100万年早いんだよ」



 床に寝転がるハルアの顔を覗き込んで笑うユフィーリアは、



「じゃあ参加賞な」



 ほい、とハルアの胸の上に大きめの箱を乗せる。


 意外とずっしりとした箱だった。青いリボンがかけられた箱である。

 腹筋を使って起き上がったハルアは、首を傾げながら青いリボンを解く。特に仕掛けは施されていないようで、リボンは簡単に解けた。


 箱の中身は、



「靴だ!!」



 ハルアは嬉々とした表情で箱から靴を取り出す。

 頑丈な革素材で作られたらしい靴は、黒地に金色の線が入ったシンプルな意匠である。靴底には滑り止めも施され、靴の重量は羽根のように軽い。


 ちょうど靴がほしいと思っていたのだ。今履いている靴は、もうボロボロになってしまったから。



「何でオレのほしいものが分かったの!?」


「何でって、今日お前の誕生日だろうが」



 雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、悠々と煙を弄ぶユフィーリアはあっけらかんとそんなことを言った。



「誕生日おめでとう、ハル」


「誕生日おめでとう、ハルさん」



 ユフィーリアとショウから「おめでとう」という言葉を貰い、ハルアはようやく自分の誕生日の存在に気がついた。

 毎日を面白おかしく過ごして、毎日がとても素晴らしいものだが、今日という1日だけは特別に面白かった。それもこれも全て、ハルアが誕生日だからか。


 新しい靴を胸に抱き、ハルアは「ありがとう!!」と満面の笑みでお礼を言う。



「さて、ハル。今日はお前が主役だからな」


「そうなの!?」


「そうだぞ、ハルさん。だから――」



 ユフィーリアとショウは、そっとハルアから距離を取る。


 不思議そうに首を傾げるハルアは、次の瞬間、学院長室の扉が乱暴に開かれる音を聞いた。

 弾かれたように振り返れば、使い捨ての紙皿にクリームをたっぷりと乗せたパイを装備したエドワード、アイゼルネ、グローリア、スカイの4人が待ち構えていた。ハルアに負けた魔王四天王の連中である。


 凶悪な笑みを浮かべる4人は、



「ハルちゃーん、誕生日おめでとぉ」


「誕生日と言えばパイ投げだって教わったのよネ♪」


「いつもは迷惑をかけられる側だけど、今日ばかりは仕返ししても許されるよね」


「いやー別に私怨なんてないッスよ。ちゃんとお祝いッス、お祝い」



 はいせーの、とパイを振り被る4人。


 現実を受け入れるより先に、ハルアの顔面がクリームによって埋め尽くされるのだった。

 誕生日とは最高に面白い。最後の最後まで面白いなんて、今日という日を絶対に忘れることはないだろう。たとえ馬鹿でも、この時の記憶はハルアの中にしっかりと残された。

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