16 ラ・マルセイエーズ
ドゼはシドニー・スミスに向き直った。
「スミス代将。貴方は俺と似ている」
「は?」
シドニーがきょとんとしている。
「貴方は、トルコと祖国イギリスの橋渡しをすることで栄光を得ようとしている」
「別にそのような……」
シドニーが目を白黒させている。確かにお気楽な彼と「栄光」は、これほど結びつかないものはない。
「いいや。貴方の欲しい物は栄光だ。俺にはよくわかる。なぜなら俺も同じだからだ」
「ドゼ将軍が? 栄光を? 欲している? だって新聞で読みましたよ。貴方は、ライン方面軍時代、何度も栄誉ある地位を辞退したじゃないですか?」
ドゼは首を横に振った。
「俺の望む栄光は、金や名声では贖えないものだ。今ある栄光を捨ててでも、より大きな栄光を俺は欲している。それは貴方も同じだ、スミス卿。そして君もだ、フェリポー。君は決して、ブルボン家の為に戦ってきたわけではない」
俺はむっとした。
「何を言う。俺は王の為に戦って死んだんだ」
「あの太った臆病者のプロヴァンス伯(ルイ16世の上の弟。後のルイ18世)の為に? 放蕩者のアルトワ伯(後のシャルル10世)の為に? いいや、違う。君は栄光の為に戦ってきたのだ、フェリポー」
「長いこと戦っていると、相手のことがわかってくるものだな」
ぼそりとシドニーがつぶやいた。
俺は、尋ねずにはいられなかった。
「ドゼ将軍。貴方はその栄光を、ボナパルトに求めたのか?」
ドゼはうつむいた。短い間だった。
「『ラ・マルセイエーズ』が初めて演奏されたのを聞いた」
全く関係のない話を始める。
「上官に連れられて行った、ストラスブールの市長の家で。あの歌は、ライン軍の為に作曲されたんだ」(※1)
「そうだったんですか。私も聞きましたよ、トゥーロンの処刑場で。随分野卑で残酷な歌だと思いました」
しれっとシドニーが貶める。ドゼは肩を竦めただけだった。
「ストラスブールの市長はギロチンにかけられましたね」
シドニーが情報通な所を見せると、ドゼは頷いた。
「市長の家に俺を連れて行ってくれた上官もギロチンに処された。彼は貴族だった」
感情の抜け落ちた声だった。
俺は、雷に打たれたような気がした。
革命政府によって、大勢の貴族が処刑された。政府への忠誠を疑われ、無実の罪で讒言され、ろくに裁判にもかけられず、まるで流れ作業のようにギロチン台へと送られていった。
ドゼのいた軍の将校達も大勢、そうやって殺された。貴族であるのに革命の理念に賛同し、国の為に戦ってきたにも関わらず。
迫害された貴族たちを救うべく、俺は、亡命先からフランスに密入国し、活動していた。そして、同じ目的で活動していたシドニー・スミスと出会った。
「俺と同じ船でエジプトへ渡ってきた仲間に、ミルーという男がいた。彼はマルセイユにいた」
再び話が飛躍する。ついていけずに、俺とシドニーは顔を見合わせた。シドニーが首を傾げる。
「ミルー……聞いたことがある」
「『ラ・マルセイエーズ』を広げたのは彼だ」
マルセイユから来た義勇兵達の歌っている歌が次第に有名になり、ついには革命歌となった。
「つまり、あなたとミルー将軍? は、革命歌を通して知り合いだったわけですね?」
ドゼはほろ苦い顔をした。
「出航準備でイタリアへ赴任するまで、彼とは顔を合わせたことがなかった。ミルーは困った男だった。出航地のチビタ・ベッキアでの責任者は俺だった。当時、行く先は極秘だった。それが不満だったのだろう。彼は部下に、遠い国へは行きたくないと騒動を起こさせた」
「それはまた、思い切ったことを」
「ある日、戦隊長のラサールが、自分は一人っ子だから、母を置いて海の向こうへは行けないと騒ぎ出した」
「ラサール……これも聞き覚えが……そうだ! 彼が人妻に出した恋文もイギリス艦隊が略取したんだった! 今頃、庶民の娯楽ネタになっている筈です」
「ひどいことをする」
ドゼが苦笑を浮かべた。
「彼の相手は、ベルティエ将軍の弟の妻だぞ?」
「ベルティエ! ボナパルトの参謀ではありませんか!」
女房役と言われているほど信頼の厚い参謀だ。
「ボナパルトの参謀は、年の離れた弟を可愛がっている。その妻を寝取ったことが公開されちまったんだ。帰国したらラサールも年貢の納め時だな(※2)」
そういうドゼは、愉快そうでもあり、ラサールに同情しているようでもあった。
「つまり、ラサールはそういう男だ。早くからイタリアで、ボナパルトの下、頭角を現してきた。母親が寂しがるという理由で従軍を拒否するような男では、決してない」
「すると、ラサール戦隊長はミルー将軍に唆されたと? 船に乗りたくないと駄々をこねろと。ミルー将軍は貴方が嫌いだったのかな。ドゼ将軍、貴方も苦労してるんですね」
シドニーが変な同情をし、ドゼは苦笑した。
シドニーが眉を寄せた。
「ミルー……思い出した! フランソワ・ミルーだ。エジプト上陸後すぐに、マムルークに殺された将軍ですね!」
「そうだ」
俄かにドゼは遠い目になった。
「アレクサンドリアからカイロへの進軍は、砂漠の横断だった。出航前からわかっていたことだが、我々は明らかに準備不足だった。エジプトの気候風土について、まるで知見がなかった。水を入れる
結果、ボナパルトはミルーから部隊を取り上げ、イタリアからずっと彼に従っている別の将軍に与えたという。
「大事な部隊を取り上げられ激昂したミルーは、同僚の止めるのも聞かず、彼の後を追って単身、砂漠へ出て行った。そしてマムルーク軍と出会い、殺された」
悲惨な話だ。ミルーという将軍も、ボナパルトの犠牲になったのだと俺は思った。
彼は、革命歌をマルセイユに、ひいてはフランス全土に広げた功労者だ。間接的にボナパルトは、革命歌を貶めたことになる。
「尊敬していた上官がそんな死に方をしたんだ。その後ラサールは実力を発揮できず、マムルークとの戦いで剣を落としたことさえあった。彼は俺の軍から離れたが、ひどく酒を飲むようになったと伝わってきた」
中エジプトへ移動したダヴー准将が、暫くの間、彼と行動を共にしていたのだと、ドゼは付け加えた。
突然、彼は俺に向き直った。
「つまり、そういうことだ」
「へ?」
「君は聞いた。俺は栄光をボナパルトに求めたのか、と」
わけがわからなかった。
戸惑う俺とシドニーを残し、ドゼは船室を出て行った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※1 ラ・マルセイエーズ初演
1792年4月24日(と25日)、ストラスブールの市長宅で、工兵大尉リールによって初めて演奏されました。最初のタイトルは「ライン軍の為の軍歌」で、当時の最高司令官、リュクネル元帥に捧げられました。
この時の画像をwkiで見つけましたので上げておきます。
https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16816927861328972200
この歌がマルセイユに伝わり、初めて会議で歌ってみせたのがミルーです。
※2 ラサールと妻
イギリス海軍のすっぱ抜きでラサールとの浮気がバレたベルティエの弟の妻ジョゼフィーヌは、夫から離婚されてしまいます。
ラサールが帰国すると、ナポレオンは彼に結婚資金を与えます。しかし彼は、なかなか彼女と結婚しません。彼女はラサールより4つ上。この時点で離婚した夫との間に、3人の男の子がいました。
弟の子どもを引き取った義妹です。ベルティエとしても彼女を不遇なままに放っておけなかったのでしょう。(恐らく、女房役の参謀に泣きつかれ)結婚資金を呑みつくしてしまったラサールに、ナポレオンはもう一度同額の金を与えます。さすがにラサールは彼女と結婚し、同時に彼女の連れ子である3人の男の子の養育を担うことになりました。なお、彼女との間には女の子が一人、生れました。
ところで、この夫婦の肖像画は、つい最近まで、違う場所に所蔵されていました。それを、妻と子ども達の絵を所蔵していたフランスの軍事博物館(Musée de l'Armée )が資金を募り、今年(2022年)2月、ラサール将軍の絵を購入、ついに夫婦は再会(?)できたとツイッターで報じていました。
https://twitter.com/MuseeArmee/status/1491042420586283009
イタリア遠征の頃から彼女は大きな戦争があると、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ(同じ名前ですね!)と一緒に過ごすことが多かったそうです。エジプトのナポレオンに妻の浮気を知らせたのは、こちらのジョゼフィーヌが夫の兄のベルティエ経由で知らせたのではないかと、私は疑っています。
※3 ミルーの死
この件に関し、エジプトでドゼの信頼の厚かったベリアル将軍が、「ミルーは勇敢な将軍だったが、passe- droitを乗り越えることができなかったのだ」という意味のことを言っています(『ベリアル伯爵回想録』)。「passe- droit」というのは、ざっくり言うと、特別な計らい、いわゆるひいきのことです。ミルーの軍を与えられたのは恐らく、ボナパルトが可愛がっていた部下なのでしょう。だからこういう表現になったのだと思います。この「passe- droit」は、今でもフランスで使われているそうです。
マムルークに殺されたミルーを埋葬したのはベリアルです。彼は最後までカイロを守り、軍を引き連れ、ドゼが結んだ「エル=アリシュ条約」を遵守した名誉ある帰還を勝ち取りました。エジプト遠征を最終的に後始末したのは、上エジプトでドゼの下にいたベリアル将軍です。
エルバ島から脱出したナポレオンはパリへ戻る途中、いわゆる100日天下の前にミルーの母親の家に立ち寄っています。ここに至ってもなお、間接的にせよ自分が死に追いやったミルー、「ラ・マルセイエーズ」の功労者を利用するつもりだったのかと大変不愉快に感じるのですが、それはあまりに皮肉な見方でしょうか。
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