4.友香と情報長

 うだるような暑さも大分和らいで、木陰と潮風が気持ちの良い涼しさを演出してくれる。

「いい天気ー」

 んー、と気持ちよさそうに大きく腕を伸ばして、中山友香は呟いた。

「さて、と。どうしようかしら」

 小高くなった道の向こうに見える海を眺めながら独り言つ。

 沈んだ気分を変えようと、何となく人界まで来たはいいが、行くあてがあるわけでもない。ここからなら萩原睦月が通う大学も遠くないが、いきなり押し掛けて愚痴をこぼすのも迷惑というものだろう。

「――しばらく来ない間に、こちらも随分涼しくなったんだな。」

「!?」

 ぼんやりと風景を眺めているところに突然背後から声をかけられ、友香はびくりと飛び上がった。

「……っレオ!?」

 驚愕に胸を押さえて目を見開いた年若い同僚に、情報部長官レオ・チェンは苦笑した。

「後方不注意だな、お嬢。これが敵なら一発アウトだ」

「……つけてきたの?」

「同僚が、目の前を暗い顔して通り過ぎれば、気にもなるだろう?」

 硬い表情で訊ねる友香にあっさりと返し、レオはからからと豪快に笑う。

「またサイードにこっぴどくやられでもしたか?」

 直截な物言いは、この情報部長官の得意とするところだった。悪びれないからっとした口調に毒気を抜かれ、苦笑混じりに友香は自分よりも遙かに長身の相手を軽く睨み付ける。

「当たり。『貴殿は甘すぎる』って」

 警備部の長官であるサイードの口調を真似て、友香は言った。

「いつものことだけどね。」

「まあ、あれはあれで悪い男じゃないんだ。多少融通の利かないところはあるが」

「知ってる」

 苦笑するレオに頷いて、友香は溜息を吐いた。一本気で堅物のサイードは、ことあるごとに彼女のやり方が甘いと苦言を呈するのが常だった。融通が利かない性格らしく、言葉を選ぶということをしない言い方にカチンとくることもしょっちゅうだが、悪気があっての言葉ではないだけに憎めない相手でもある。

「サイードに怒ってるわけじゃないもの。自己嫌悪してるだけ」

「へえ?」

 溜息混じりに吐いた友香の言葉に、レオは軽く眉を上げてみせる。

「彼の言い分は正論だもの。こちらの被害を最小限に押さえて、早く戦いを収束させるだけなら、サイードの言うやり方が一番効果的だろうと思うよ」

 肩を竦め、友香は傍のガードレールに寄りかかった。顔を伏せ、小さく「でも」と呟く。

「でも、それだけじゃ駄目なのよ。今のまま戦いを終わらせても、火種は消えないわ」

「だろうな」

「いっつもそれを上手く説明できなくて、言い負かされちゃうんだよね」

 溜息を吐いて、友香は視線をどこへともなく流す。

「……試されてるんだろうな、ってのは解るの。でもそれに応えられないのが悔しくって」

 小さく肩を竦めた友香に、レオは僅かに目を瞠る。

「――何だ、気付いてたのか」

「試されてること? それくらい気付くわよ」

 軽く唇をとがらせ、友香は年上の同僚を睨め付ける。

「密かに馬鹿にしてたわね?」

「馬鹿にはしてないが、お嬢はまだ若いからな」

「それを馬鹿にしてるっていうの。……まあ、確かにまだまだ未熟だけど」

 はあ、と大きく嘆息して、友香は空を見上げた。

「サイードがいつも言うみたいに、闇との和解なんて考えるだけ無駄だとか、力ずくで制圧してしまえばいいって考える人は『屋敷』の中にもたくさんいるわ。でも、アレクが……指揮官が目指してるのはそんな結末じゃない」

 流れる薄雲を眺めながら、自らに確認するように、友香は呟く。

「光と闇を和解させること。もう二度と、戦いが起こらないようにすること。あの人が探してるのはそういう解決で、私はあの人にそれを実現してもらいたいと思ってる」

 だから、と友香は呟いて同僚に目を向けた。まっすぐで、曇りのない視線がレオを射る。

「ただ戦いを終わらせるために、あの人のやり方に横槍を入れる人たちを、私は説得できなくちゃいけない。公安長として、あの人の部下として、あの人の想いをみんなに伝える為には、サイードの一人くらい、簡単に説得できなくちゃいけないの。そうじゃなきゃ、末端にまでアレクの考えを理解してもらうなんて出来ないもの」

 ゆっくりと、だが明確な決意を込めて言い切った若い同僚に視線を返し、レオはふ、と笑った。

「俺にそれだけ言えれば充分だろう。同じ事をサイードに言ってやればいい」

「そんな感情論では根拠にならないって。即却下されたわよ」

 肩を竦め、溜息混じりに即答した友香の言葉に、レオは苦笑を禁じ得ない。

「鬼教官だな、まるっきり」

「でしょう?アレクならきっと、上手く説明できるんだろうけど」

「そういえば……指揮官に助言を求めたりしないのか?」

 苦笑を浮かべたまま、片眉を上げたレオに友香は首を振る。

「受け売りの言葉で人を説得なんて出来ない。私が自分で考えなくちゃ」

 そう言うと、友香は軽く頬を膨らませた。

「……レオにまで試されるし。厄日かしら、今日は」

 拗ねた表情とともに発されたその言葉に、レオは、はは、と笑い声をあげた。

「すまん、すまん。そういうつもりでもなかったんだが」

 笑いながら、ぽんと友香の肩を叩いて穏やかに続ける。

「まあ、じっくり考えると良い」

「じっくり、ね……。ま、焦っても仕方ない、か」

 呟き小さく頷くと、友香は顔を上げた。

「ありがとね。励ましてくれて」

「愚痴を聞いたくらいで感謝しなくてもいいさ」

 さばさばした調子で応じ、レオは友香を見おろして肩を竦めた。

「お嬢は意外と一人で抱え込むタイプだからな。たまには吐き出すことも必要だろう――そろそろ戻るか」

「そうね。仕事も溜まってるし、長官職が二人もサボってたら怒られちゃう」

「サイードに?」

「そう。……何か、ゲートの前で待ちかまえてそう」

「いくら奴でも、そこまで暇じゃないだろうさ。……ま、お嬢がそう言ってたと伝えておくか」

「…………それだけはやめて」

 同僚の軽口にくすくすと笑いながら友香は歩き出す。

「行くぞ」

 人目のないことを確認して、さっとゲートを開いたレオが声を掛ける。

「うん」

 頷いて、友香はその後を追った。

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