ヴィクターの火祭り(2)
ヴィクターは早速、山賊豆の栽培に取り掛かった。もちろん自分で畑を耕すわけではない。農民たちに作らせるつもりだ。
まずヴィクターは、領内にある荒れ地を流民に開墾させた。水気が少なく痩せている地だ。山賊豆の栽培実験をするには丁度いい。幸い、山賊豆はすくすくと育った。
更に、既に畑を持っている農民たちに山賊豆を配った。栽培を強制するわけではない。できた山賊豆を買い取ると知らせたら、領民たちはこぞって豆を受け取り、庭先やあぜ道で山賊豆を育てるようになった。中には畑で大掛かりに育てて、一儲けしようと企む人間もいた。
そうして、ヴィクターが山賊豆を育てている間も、国内の状況は刻一刻と変わっていった。
借金の力で軍を整えたハロルドは、各地に立てこもる反乱貴族たちを各個撃破していった。ヴィクターがエルフリード伯爵に跳ね飛ばされたり、渡河中に奇襲されたりして負けることもあったが、おおむね順調に勝利を重ねていった。
夏、決定的瞬間が訪れる。反乱貴族たちの中で最大勢力であったトペ伯爵が降伏した。
これを機に、他の貴族たちも雪崩を打って白旗を揚げる。残るのはエルフリード伯爵を始めとする、僅かな人数だけであった。
「よかった。これで陛下の勝利は間違いないな」
その知らせをヴィクターは屋敷で聞いた。先の戦いでエルフリード伯爵に負けた傷を癒やすため、彼は戦場から離れていた。
といっても休んでいるわけではない。将軍としてハロルドを支える父の代わりに、領内の統治を行っている。近衛騎士団長のイケメンは文武両道、政治もそつなくこなすと評判だった。
「失礼いたします、若様」
ドアの向こうから女性の声がする。
「入れ」
ヴィクターが声をかけると、メイドが入ってきて恭しく一礼した。なんだか嫌そうな顔をしている。
「どうした?」
「あの、ハプサ村のダンヌスという男がやってきたのですが」
「うん」
ダンヌスはヴィクターも知っている。初めての戦場で徴募兵として側にいた農民だ。
「牛を連れてきて、旦那様に会わせてほしいと言っています」
「牛?」
もぅ、と鳴き声。窓の外を覗くと、門の前にダンヌスと牛がいた。
なんだかよくわからないけど、それほど忙しくなかったヴィクターは会ってみることにした。
「どうした?」
「旦那ァ! ちょっとこの牛を叱ってください!」
「へ?」
牛を叱る。何故そんな事になっているのか。首を傾げるヴィクターに、ダンヌスは説明する。
「旦那から貰った豆を食わせようとしたんですけど、こいつは食いやがらねえんです! 好き嫌いするなんてけったいな牛でしょう? だから、騎士サマの旦那に叱ってもらおうと思ったんです!」
「いや、牛は叱ってどうにかなるものじゃないだろう」
牛は牛、動物である。人間のように言葉が通じるわけじゃない。叱った所で豆を食べるようになるとは思えない。そもそも、動物がなぜ好き嫌いをしているのか、まったくわからない。
そこまで考えて、ふとヴィクターは気付いた。
「……うん? いや、ちょっと待った。ダンヌス、何を食べさせようとしているんだ?」
「春に旦那から貰った豆です! 庭で育ててたのが実ったんですよ。ウチの牛のエサにしようと思ったんですけど……」
ダンヌスは腰に提げていた袋から山賊豆を取り出し、牛の顔に近付けた。牛は豆に顔を近付けた後、もぅ、と鳴いて顔を背けた。
「ほらね?」
「ホントだ……」
なぜ牛が食べないのか。まさか、食べられない豆ができてしまったのか。それとも、本当に好き嫌いしているだけか。
ヴィクターは考える。他の動物が山賊豆を食べるのなら、ダンヌスの牛が好き嫌いしているだけだとわかる。身近な動物といったら。
思い立ったヴィクターは、後ろに控えていたメイドに声を掛けた。
「すまない、ジューコを連れてきてくれないか?」
「畏まりました」
微妙な顔をしたメイドは一礼すると、屋敷の裏へと歩いていった。
「ジューコって、なんですか旦那?」
「我が家で飼っている家畜だ」
「なるほどー。騎士様も動物飼うんですねー。牛ですか? あ、いや、騎士様だから馬ですか?」
「いや……」
少しすると、メイドが『家畜』を連れて戻ってきた。
それは猪ほどの大きさの動物だった。一見すれば立派なトサカがついた鶏に見える。だが、その翼は鳥のそれではなく、ドラゴンのように鱗と薄膜で構成されている。更に尻尾は蛇のように細長く、びっしりと鱗が生えていた。
「コカトリス」
「びゃああああ!?」
ダンヌスは腰を抜かして驚いた。その横で牛が庭の草を呑気に食べていた。
「そんな大げさに驚くんじゃない。この子はジューコだ。大人しい、いい子なんだぞ?」
足元にすり寄ってきたコカトリスの首を、ヴィクターは撫でてやる。コカトリスは、コココ、と気持ちよさそうに喉を鳴らした。
ジューコを含めて、ドリッヒェン家では5匹のコカトリスを飼っている。どれも賢く、むやみに人を襲わない。放し飼いにしていても、屋敷の敷地より外には出ようとしない。しかし、不届き者が屋敷に入り込めば、華麗な蹴り技でボコボコにし、トドメに石化ビームを放つ。そこらの番犬よりも立派に仕事をしてくれる。
「よーしよし。ジューコ、おやつだぞー」
ヴィクターはダンヌスから山賊豆をもらって、ジューコに差し出した。ジューコはヴィクターの手のひらから豆をついばんだ。
普通に山賊豆を食べてくれた。なら、牛が好き嫌いしてただけなのか。ヴィクターがそう考えていると、異変が起きた。
「コ……」
ジューコの動きが止まった。元気な鳴き声が止まり、首を伸ばして直立不動になっている。
「どうした、ジュー……」
「コケーッ!」
ジューコが鳴いた。いや、吠えた。ただの鶏には決して出せない、怒りの咆哮だった。
マズい、と察したヴィクターは後ろに下がる。だが、ジューコの方が上手だった。素早く前に出てヴィクターとの距離を詰め、跳躍。空中で体を横回転させ、ヴィクターの顎に後ろ回し蹴りを放った。
「がっ……!?」
脳を揺らされ、意識が飛びそうになるが、ヴィクターは持ちこたえる。連敗街道まっしぐらとはいえ騎士団長だ。魔法による身体強化がなくとも、一撃は耐えられる。
だが、コカトリスの足技は一撃では終わらない。
「ケエッ!」
着地したジューコは再度跳躍。後方宙返りしながらヴィクターの顎を蹴り上げる。サマーソルトキック!
立て続けに顎へ二発。ヴィクターの意識が一瞬飛んだ。
その一瞬に、ジューコは必殺技をねじ込んだ。
「コケェーッ!」
ジューコの瞳が強烈な光を放った。光が直撃したヴィクターは、悲鳴を上げる間もなく石化した。ついでに、後ろで草を食べていた牛も流れビームを受け、もぅ、と断末魔を残して石になった。
「石になったぁー!?」
「若様ーッ!?」
ダンヌスとメイドの叫びが庭に響き渡る。
こうして休養中のヴィクターは、コカトリス相手に敗北を喫することになった。
――
ヴィクターの石化は、メイドが教会までひとっ走りしたお陰でその日の晩に治った。ついでに牛も治った。
だが、ジューコが暴れ出した原因はわからない。賢いコカトリスなので理由もなく暴れ出すはずがない。現にジューコは、あれっきり大人しくしている。ふてくされてはいるもののコカトリス小屋の隅でじっとしている。
「ということは、山賊豆のせいか……?」
そう考えたヴィクターは、領内の山賊豆農家の様子を調べてみた。案の定、他の農家でも家畜が山賊豆を食べないという話が入ってきた。
更に、流民が耕している荒地からも報告が入る。山賊豆を粥にして食べた農夫が寝込んだ。家畜の餌を食べるからそうなるんだ、と周りは思っていたが、3日も続くと流石におかしいと気付いたそうだ。
寝込んだ農夫の状態は奇妙なもので、熱も発疹もなく健康なのに、寝床から起き上がろうとしない。
「
時折、そんな言葉を呟くだけで、飲み食いもしないらしい。
食えたものじゃないという話はヴィクターも聞いていたが、こんな呪いみたいな話は知らない。これはおかしいということで、メイドに食べ比べさせてみた。
まず、輸入してきた山賊豆の粥を食べさせる。一口食べたメイドは顔をしかめ、首を横に振った。
「食べるものに贅沢は言えない身分ですが、それにしてもこれは酷いです。渋みと苦味が強すぎて、口の中から味という概念が消えそうです」
不快そうだが、寝込むほどではないようだ。
次に、領地で育てた山賊豆の粥を食べさせる。一口食べたメイドは、スプーンを取り落とし虚空に目を向けた。
「
それっきり、口をぽかんと開けて動かなくなってしまった。メイド長が揺すっても、頬を叩いても反応がない。椅子から突き落としたら、頭を抱えて床にうずくまってしまった。
翌日、メイドは寝込んだが話せる程度にはメンタルが回復した。あんな事になった理由だが、純粋に山賊豆がまずかっただけらしい。しかし、そのまずさが常軌を逸していた。
「おいしいとかまずいとかそういう問題じゃないんです。あれが食べ物として口の中に入れられる事がこの世の不条理です。昔、飢饉で土を食ったことがありますけど、今なら土はごちそうだったってハッキリ言えます。……もう、口の中にあの虚無の感触が残ってるのが辛いので、修道院に入ってもいいですか?」
世を儚むほどの味なのか。これはもう、山賊豆を通り越して出家豆なのではないか、と訳の分からない事を思うヴィクターであった。
とりあえず、メイドにはバターたっぷりのパンを始めとしたおいしいものを食べてもらって、なんとか職場に復帰してもらった。
とにかくこれで、動物たちが山賊豆を食べない原因がわかった。どうやら、クレヌール王国の土と山賊豆は相性が最悪らしい。文字通り犬も食わないほど酷い味になってしまう。
こうなると牧場の拡大どころではない。ヴィクターはすぐに対策を打った。山賊豆をアテにして負債を抱えた農民たちに、小麦を低利で貸し付ける。山賊豆は当初約束した通りの値段で買い取る。荒れ地の流民たちに当面の食料としてライ麦を送る。これらの対策で、どうにか路頭に迷ったり餓死する農民は出さずに済んだ。
残ったのは、倉庫にうず高く積まれた山賊豆だけだ。取っておいても使えないし、腐るだけなので、領内の狩場で盛大に燃やすことにした。近くの農民には、収穫祭の儀式の一環として豆を燃やしている、と言い訳をした。
農民たちは畑に残った豆の木をそのまま耕して土に埋めた。ただ、マズすぎて鳥よけになるらしく、庭先やあぜ道に植えた分は残しておく農民もいた。
なんにせよ、山賊豆を家畜の餌にする計画は台無しになった、はずであった。
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