第10話 ヴィクターの一騎討ち 後編

 兵士たちはざわめいた。グリムハルトの意外と高い声にではない。状況を弁えない一騎討ちの申し出にである。

 一騎討ちの作法は存在する。だがそれは拮抗した兵力を携え、なおかつ互いの格が釣り合っている時に行うものだ。このような圧倒的な戦力差がある時に、無名の騎士が国王に申し込むものではない。


「……ヴィクター」

「はい」

「お前の言う通りだったな」

「ええ」


 この無謀な一騎討ちの意味を、ハロルドとヴィクターは理解していた。

 やはり彼らは、物語のように華々しく死のうとしているのだ。

 ならば、応えなければならない。


「俺の槍を――」

「ダンヌス、ハルバードを」

「はい!」


 ハロルドが言う前に、ヴィクターはハルバードを手にして前に出た。


「おいおい待て待て待て、何でお前が行くんだ!?」

「当たり前でしょう。陛下に万一があったらどうするんですか」

「いや、お前の方が万一、っていうか万百……千くらいありそうだけど?」

「大丈夫ですよ。一騎討ちなら変な負け方はしませんって」


 軍勢を率いるのとは違い、一騎討ちはヴィクターと相手の実力だけが結果を左右する。援軍が戦場に間に合わず負ける、などといった不運は起こり得ない。


「……腹具合は大丈夫か?」

「大丈夫です」

「流れ矢には気をつけろよ?」

「まだ開戦してませんから」

「武器は古くなってないか?」

「手入れはバッチリです」


 一度起きた事故も対策は万全だ。

 それでも不安げなハロルドは、腰に提げていた剣を外し、ヴィクターに差し出した。


「持っていけ」

「これは……!?」

「魔剣ネンニウス。先祖代々伝わる剣だ。万一になったら、それを使え」

「……謹んで頂戴いたします!」


 魔剣ネンニウスを受け取ったヴィクターは、前線へと馬を進め、漆黒の騎士と相対した。


「我が名はヴィクター・ドリッヒェン! アントニオ・ドリッヒェン・ヴァンス将軍の嫡子にして、クレヌール王国近衛騎士団長! 国王陛下の第一の友なり!

 グリムハルト卿よ! その勇気を讃え、陛下の剣である私が相手になろう!」


 作法に則った見事な名乗り上げであった。堂々たる佇まいに、王国軍だけでなくエルフリード伯の兵士たちも歓声を上げた。

 前後から歓声を聞きつつも、グリムハルトと名乗った騎士は動じた様子を見せない。無名ながらも肝が座った良い騎士だ、とヴィクターは思った。


「サー・ヴィクター・ドリッヒェン! 我が槍、受ける覚悟はあるか!」

「当然! 貴殿こそ準備は良いか!」

「応ッ!」


 ヴィクターはハルバードを、グリムハルトは馬上槍ランスを構えた。


「ならば……いざ!」

「尋常に!」

「「勝負ッ!!」」


 二人は同時に拍車をかけ、馬を走らせた。互いの声が届く距離から、瞬く間に距離が縮まる。接敵寸前、ランスの切っ先が微かに動く。それにヴィクターは呼吸を合わせる。

 交錯。金属音。

 再び互いの距離が離れる。同時に手綱を操り、馬主を巡らせる。すぐには突撃しない。互いに円を描くように馬を走らせ、初撃の感想を身に染み込ませる。

 ヴィクターの手は微かに痺れていた。胴体を狙ったグリムハルトのランスを、ヴィクターはハルバードで打って逸らした。だが、相手は凄まじい力で押し返そうとしてきた。腕力だけならグリムハルトの方が上のようだ。しかし。


 ヴィクターは手綱を操り、グリムハルトに向かって真っ直ぐに馬を駆けさせる。グリムハルトは一瞬遅れて、ヴィクターに向かってくる。やはりだ。ハルバードを構えながらヴィクターは確信する。

 若いのだろう。初めての実戦かもしれない。判断が一瞬遅い。


 交錯、再び。

 ランスの切っ先が大きく逸れる。一方ハルバードは構えを保っている。無傷だった漆黒の鎧に傷がついた。

 互いの馬の足並みが緩む。ヴィクターは馬をグリムハルトの横につける。並走しながら次々とハルバードを繰り出す。斬撃、刺突、打撃。変幻自在の戦法を、グリムハルトはランスで防ぐのに精一杯だ。

 防げているのは大した腕前だ。しかし、この間合いでランスにこだわっているのがそもそもの間違いだ。突撃の勢いでもって敵を貫くランスは、こうした接近戦に弱い。

 十数回の攻撃で、遂にヴィクターはグリムハルトのランスを叩き落とした。グリムハルトは武器を失い、無防備な体を晒す。


「覚悟ォッ!」


 渾身の一閃。馬上の胴を払う横薙ぎのハルバード。しかしそれは、何も抉ることなく宙を掻いた。

 グリムハルトが大きく体を横に倒したので、ハルバードの刃は腰の上を通り抜けていった。鎧を着ているにも関わらず、恐ろしい体の柔らかさだ。

 そして馬上に復帰したグリムハルトの手には、メイスと盾が握られていた。ヴィクターは突きを繰り出すが、盾によって防がれた。


「しまった!」


 気付いた時にはもう遅い。ハルバードを握る手をメイスで強かに打たれた。篭手から伝わる衝撃と苦痛に、思わず手が緩む。続けてハルバードそのものを叩かれ、ヴィクターはハルバードを取り落した。

 メイスが無防備な顔面に迫る。ヴィクターは身を反らして鉄塊を避けつつ、腰の剣を抜き放った。魔剣ネンニウス。研ぎ澄まされた刃に光が反射して、黄金色に輝いた。

 馬上での至近格闘戦インファイトが始まる。ヴィクターは魔剣を操り、メイスを捌いて次々と斬撃を繰り出す。グリムハルトはそれらを盾でしのいでいく。ヴィクターの方が有利だ。技量は上だし、ネンニウスも良い剣だ。鉄の鎧を木の葉のように斬り裂いてくれる。


 ならば、できる。


 間合いを作ろうとグリムハルトが放った大振りのメイス。それを屈んで避けると、ヴィクターは突きを放つ姿勢を見せた。見咎めたグリムハルトは盾を掲げた。小柄な体が大きな盾に隠れて見えなくなる。

 深く息を吐き出す。そして吸い込む。全身にみなぎった活力を右手に集中、渾身の突きを繰り出した。

 放たれた突きは鋼鉄の盾を貫いた。

 盾が動く。倒れるのか、とヴィクターは思ったが、手応えが違うとすぐに気付いた。

 降ろされた盾の向こうにいたグリムハルトは、未だ健在。兜の一部が欠け、金髪を見せていたが、命を奪い取るには至らなかった。

 わずかに狙いが逸れたか。ヴィクターは次の攻撃を放つため、ネンニウスを引き戻そうとする。

 が、動かない。


「あれ?」


 ネンニウスがさっぱり動かない。盾に突き刺さったまま抜けない。


「え、ちょっと?」


 渾身の一撃で放った突きは、鉄板を貫いた。しかし引く時は渾身でもなんでもないので、普通に引っかかって動かせなくなっていた。


「あれ、ちょっと、いや、これは……」

「あっ、待って、そっち引っ張って」


 グリムハルトと共にガチャガチャやるが、魔剣は盾に深々と突き刺さって抜けそうにない。鐙を踏みしめ踏ん張ってみるが、それでも魔剣は抜けない。

 思わずヴィクターはグリムハルトと顔を見合わせた。相手の顔はわからないが、態度からして困っているように感じた。

 そして、不意に我に帰ったのか、もう一方の手のメイスを握りしめると、ヴィクターのこめかみめがけて振り上げた。


「あっ」


 防ごうにも武器は盾に刺さったまま。

 ヴィクターは頭にメイスの一撃を受けて気絶した。

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