真夜中のスープ屋台は今日も青空

千尋 渓

お塩 スパイス 素敵な香り

 飲み屋街のある駅からひとつ隣、ビジネス街とも住宅街とも言えない街並みは、終電後に歩くには気分がいい。

 幹線道路と高速道路が交差する場所は昼間と変わらないくらい車の交通量がある。

 数日前に雪が降ったばかりの寒空のなか、アルコールで火照った頬が冷やされて、いっそう赤くなっているだろう。


 ぶらぶらと歩きながら隣駅の繁華街を目指す。30分も歩けば24時間営業のお店もあるだろう。

 信号待ちでほぅと息を吐く。

 白くなった息を見つめた先、信号の向こうにぼんやりと明かりが見えた。


 なんだろう?


 何度もこの道は歩いているが、あんなところにお店なんてあっただろうか。

 牛丼屋とコンビニの間の緑道のところ、ちょうど明かりの無い真っ暗なあたりに、ぽつりとした明かりがある。


 屋台……?


 ちんまりとしたサイズ感で、のれんが見えるわけではないが、あれは何かといえば、屋台としか言いようがない見た目をしている。

 真っ白に塗られた木製の屋台に、キャンプで使うみたいなランタンがぶら下がっている。

 数人の客がいるようだ。

 湯気の立っている様子から、何か温かいものを提供しているのだろう。


 そんなことを推察していれば、信号が青になる。

 どうせカラオケにでも行って始発を待つだけだ。気になる屋台を覗いてみるのもいいだろう。


 横断歩道を渡って牛丼屋の前を右に曲がる。

 真っ白なコンビニの光の手前、木々の影と夜の暗さのもとにある人の集まりに寄って行く。

 近づくと、ふんわりと何かの香りが鼻をくすぐった。

 温かくて鼻水が出てくる。

 ズズ、と鼻をすすりながら近づくと、屋台のサイドがバタフライテーブルになっていることが見えた。

 そこに小さな黒板が置かれていた。


「ウールを着るスープ……?」


 パッと理解ができなくて、思わず声に出して読んでしまった。

 3人の客と、屋台の店主の目が向いたのが分かる。


「いらっしゃいませ」

「あ、えーと、すみません、ここは何の屋台なんですか?」

「ふふ、わかんないですよね」


 ふふ、と笑った店主は、もこもこのニット帽をかぶり、もこもこのスヌードを付けている女性だった。

 2,3メートルあった距離を早足に縮め、先客たちから少し離れた位置で屋台のテーブルについた。

 これでもう、この屋台が何屋であっても、ひとつは注文しなければならないだろう。

 少し、ドキドキする。


「お姉さん、ここ、初めてなんだ?」


 先客のひとりがそう声をかけてきた。


「そうですね、初めてです。何度も通ってるんですけど……」

「あのね、この屋台はね、週末の夜10時からしかやってないんだよ」

「へぇ、夜にだけ……」


 ニコニコと笑う先客たちの手には紙コップが握られていた。

 その両手からは、ほかほかとした湯気が立っていて、みんな真っ赤な鼻をしていても温かそうな顔をしている。


「お味見、どうですか」


 アレルギーとか食べられないものとか無いですか、と聞かれて、無いですと答えると、どうぞ、と言って店主が紙コップを渡してくれた。

 そっと中を覗くと、薄く茶色い澄んだスープだった。


「スープ屋さん、ですか?」

「そうです。今日はそのスープ」

「美味しいよぉ。すっごく温まるから、飲んだ方がいいよぉ」


 酔っていそうな客が、とろけたような顔で言う。

 ほかの2人もニコニコうんうんと頷いている。


 まあ、味見を貰って飲まないという選択肢も無い。

 ひと口分ほどのスープを一気に口に入れた。


 最初に感じたのは塩味とほのかな草の香り。

 後から続くスパイスの香りがじゅわりと甘い風味を連れてきて、すっと喉を通って行った。

 たったひと口でも胃にぽっと火が灯ったように温かくなった。


「美味しいです」

「ふふ、ありがとうございます」

「メニューってこのスープだけなんですか?」

「そうです、そのスープだけ。でも実はおにぎりもあります」

「おにぎりも」


 おにぎりも、と、オウム返しに言いながら出されたお皿には、ひと口サイズの俵型のおにぎりが積まれていた。


「ショウガの佃煮が入ってます」

「あぁ、いいですね」

「あのねぇ、スープ1杯400円でね、おにぎりふたつ付けて500円だよ」

「あ、それは私が言わなきゃいけないのに」

「だって、店長さん、商売っ気ないんだもん」

「それ言われちゃうとなぁ」


 店主は眉尻を下げて笑う。

 紙コップを握る客もこぼれるように笑う。


 クサクサとしていた気持ちが溶けていくような光景だった。

 真っ白に塗装された屋台に、ランタンの揺れる明かり、ところどころにキャンドルもあり、寒くて暗い夜道には眩しいくらいに明るいように感じる。


「じゃあ、店長さん、スープと、おにぎりもください」

「はい、ありがとうございます」


 財布を開けば、ぴかぴかの500円玉があった。

 ここで支払うのにふさわしいものに思えて、何か運命的なものすら感じつつある。

 手渡しか、どこかにトレーでもあるかと狭い屋台のカウンターを見渡せば、目の前にあった四角いものがガチャガチャだと気付いた。

 白いボディーに「500円」とテプラが貼られ、プラケースの中にはカプセルがゴロゴロと入っている。


「あ、お姉さん、500円玉? いいね、ガチャ回しなよ」

「え、と……スープとガチャで1000円? ですか?」

「いえいえ、ガチャは無料なんです。500円玉ならガチャ引けます、ってだけで」


 店主がちょっと待ってくださいね、と言いながら、訂正を伝える。


「俺、今日は500円玉無くて、引けなかったんだよねぇ」

「わたしもです。コンビニで両替しようかと思いましたよ」

「でも両替はなんか、ルール違反みたいな気になっちゃうよねぇ」

「そうなんです、あーあ、お昼に500円玉使っちゃったんですよ」


 あーもったいないねぇ、と会話が続いていくさまは、バーにでもいるようだった。

 見知らぬ人同士が、たまたま同じカウンターを囲み、ちょっとしたことで会話が弾む。

 少し心が弾み始めて、口角が上がる。


 そっとガチャガチャに500円玉を入れ、ガチャ、ガチャと音を立ててハンドルを回した。

 ころりと出てきたカプセルには紙切れが入っているようだった。


「空けたカプセルはこれに入れちゃってください」


 差し出された空っぽのカゴを見て、今日は私がガチャを引いた1人目なんだと知る。

 ぐっと力をかけてカプセルを開き、中の紙切れを取り出して、カプセルはカゴに入れた。

 しまわれていくカゴを見送って、手元に残った紙切れを見る。

 ショップカードのようだった。


 ひとにたち

 週末、夜にご提供


 たったそれだけが書かれているショップカード。

 スープとおにぎりだけの、こじんまりとした屋台にはふさわしいシンプルさだ。

 コートのポケットにそのまま入れる。

 いつのかもわからないレシートがカサリと音を立てた。


「スープとおにぎり、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 大きめの紙コップふたつ。

 ひとつにはスープ。ひとつにはおにぎりがふたつ、つまようじが刺さって入っていた。

 温かいスープが入ったコップを持つと、じんわりとした熱が手に伝わる。

 口に運ぼうとして、先ほどの味見でいただいたものと様子が違うことに気づいた。


「具材って、なんですか?」

「なんだと思いますか?」


 えー、なんだそれ、と思いつつ、もう一度コップの中を見る。

 たっぷり入った具材はホロホロに崩れている肉と、ダイコン、レンコン、ニンジン。

ひと口サイズよりもひと回り小さいくらいに切られていて、紙コップで飲むのにちょうどいいサイズ感に思えた。

 スープに浮かぶ刻まれた緑の葉はパクチーだろうか。


「お肉が、何肉かわかんないですね」

「ヒントは黒板に書いてある通りです」

「ウールを着るスープ……ウールってことは、ラム肉、ですか?」

「正解です。ラム肉で体を温めるスープです」


 ラム肉って火を通すと、1回固くなるんです。

 でも、じっくり時間をかけて煮込むと、とろけるような柔らかさになって、骨からするりと外れるんです。

 骨ごと煮込んで、自然に骨が外れるくらい煮込んだスープなんですよ。


 そう説明する店主はとても楽しそうで、そういう明るさみたいなものがこのスープにはしっかりと溶け込んでいるように感じた。


 なるほど、と思いながらスープを飲む。

 味見のひと口とは違い、パクチーの香りが先に鼻を抜けていった。

 さきほどは草の香りと思ったのはラム肉だったのか。

 具材が分かったことで、味の輪郭がはっきりするような気がした。

 ホロホロのラム肉、風味の染みたダイコン、少しねっとりとしたレンコン、甘いニンジン。

 そして、スパイスの香り。さすがになんのスパイスが使われているかまではわからない。


「美味しいです」

「ふふ、ありがとうございます」


 さっきも同じやりとりをしたなと思い、店主とふたり、顔を合わせて笑った。


 他の客たちが話す声に耳を傾けて、真っ白な紙コップでスープを飲む。

 ふと気づいて屋台の天井に目をやると、この真っ白な屋台の中で、そこだけが青く塗られていた。

 真っ青な色は夏の青空のようで、真夜中なのにここだけが日が差すように明るい理由はこれだったのかもしれない。


「お姉さん」


 温かいおにぎりも食べ、あとひと口ふた口でスープも食べ終わるといった頃合い。

 今まで静かにニコニコとほほ笑んでいた客が声をかけてきた。

 ぽつりと落とすような声が、どうにも似あっているように思えた。


「お姉さん、ガチャ、何入ってた?」

「あ、ショップカードでしたよ」

「そのカードの裏、見てない?」

「裏? 裏は見てないです」


 何か書いてあったのかな。

 ポケットに手をやり、くしゃくしゃのレシートを避けてショップカードを取り出す。

 くるりと裏返すと、そこにはなにかピンと張った糸が張り付けられていた。


「なんか、なんですかね、これ。なんか貼ってあります」

「ほんとだ、なんだろそれ」

「あ、それ、大当たりですね」


 やりとりを見ていたらしい店主がそう言う。


「えっ、なになに、お姉さん大当たり引いたの?」

「大当たり? すごーい!」

「え、え? これ、なんですか?」


 お喋りしていた二人の客もこっち向いて、パッと明るい声で話し始める。

 ピンと張った糸が大当たりとは、なんなんだろう。


「それはですね、ネコのヒゲです」

「ネコの」

「はい、ヒゲです」


 ピンとした様子は、なるほどたしかにネコのヒゲか。

 かつて実家で看取ったネコも、こんなふうなヒゲだった。


「ネコのヒゲか。そりゃあ大当たりだねぇ!」

「お財布に入れると金運アップらしいですよ」


 楽し気な客たちが言うには、綺麗な貝殻や、立派な松ぼっくりなんかも入っているらしい。

 そういう「ちょっとした良いもの」を入れているのだと店主が笑う。

 静かな客は財布から出した小さな稲穂を取り出し、これが入ってたんだよと笑う。

 女性客の言葉と、この客に倣って、ネコのヒゲが付いたままショップカードを財布にしまうことにした。

 なんだかとても良いものを手に入れた気分だ。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「ありがとうございます」

「週末はいつもここでやってるんですか?」

「いえ、その時々、市内の何か所かで、という感じで、ここは月イチくらいですかね。SNSで金曜の昼に通知してるので、店名で検索してもらえば来ていただきやすいかなと思います」

「ひとにたち、ですよね。調べます。そしてまた来ます」

「ありがとうございます。次のスープも美味しく煮込んでおきますね」

「楽しみです」


まだ他の客はお喋りしていくようだ。

見送られて帰る冬空は、ここに来る前よりは暖かく感じた。

繁華街ではなく、喧嘩して出てきたばかりの家に足を向けた。

この温まった心と体であれば、もう少ししっかりと話ができるような気がする。

次の機会にはふたりで来れたらいい。

鼻を抜ける草の香りと一緒に、ウールを着た心を抱えて、帰ろう。



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真夜中のスープ屋台は今日も青空 千尋 渓 @chihihc

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