日曜ブランチ202
霧野
第1話 昼からガッツリ! 鶏手羽元のタバスコ煮
本日初おろしの多機能腕時計。釣り専用にするには高かったけど、超便利なのだ♪
時刻は午前11時。だいぶ早めだけど、まぁいいだろ。
部屋を出て、コーポ
「よう、チャー太」
階段のてっぺんで昼寝している地域猫のチャー太に挨拶。この時間帯に陽が当たる廊下の隅っこは、チャー太の特等席なのだ。
チャー太は俺が提げているビニール袋を一瞥し、また目を閉じた。
「お? 今日は興味なしか。いつもはしつこく匂い嗅いでくるのに」
チャー太の頭をコリコリ掻いて(ガン無視されたけど)、鼻唄混じりで202号室へ向かう。半ば開けてあるドアからとんでもなく良い匂いが漂ってきて、途端に腹の虫が鳴いた。
「よーっす」
「お、照哉。おはよー」
部屋の主である
千歳の妹、
「すっげえいい匂い。鶏肉?」
鶏を焼く香ばしい匂い。否応無しに唾液が湧いてくる。
「そう。手羽元が安く手に入ったから」
「スーパーぽんぽこの?」
「スーパー
そうだった。千歳の勤務先である地元密着「スーパー分福」。子供の頃に間違えて覚えて以来、いまだに記憶を修正できない。だってそのキャラクター、茶釜に化けた狸の腹に「ぽ」って書いてあるんだぜ。そんなの間違って覚えるじゃん?
「今日は、手羽元のタバスコ煮といんちきバジルパスタ」
「いいね。釣り帰りで腹ペコなんだ。でも、いんちきって何?」
「本来の作り方じゃない、ってだけ。ま、美味けりゃいいだろ?」
「異議なし」
勝手に冷蔵庫を開け、ビニール袋を突っ込む。
「朝釣ってきたやつ、入れとくぞ」
「おー、サンキュ。大将、元気だった?」
「おう。お前も店に顔出せってさ」
「でも俺、酒飲まないし」
俺がほぼ毎週末通っている、釣り人の集う居酒屋。そこの大将は、客が釣った魚を持っていくと必要なだけ捌いてくれる。余った分は、店で安く出してくれるのだ。
「せっかくだから、それもいただこうか。アジフライでいい?」
「いただきます!」
……ん? なんか今、ちょっと引っかかった気がする。なんだろう……
ふとした違和感にソワソワしながらも食卓に着こうとした時、千歳の部屋の襖の影に大きな黒いバッグが見えた。千歳とは小学校一年からの付き合いだが、初めて見るバッグだ。
「なん、これ? 珍しいな。旅行でも行くのか? 」
「あっ」
何の気なしに覗き込んだ俺は、情けない悲鳴をあげた。
バッグの中に、大きな人形が横たわっていたのだ。体長90程だろうか。とても高価そうな、外国製みたいな人形……くるくるの巻き毛と伏せたまつ毛は艶やかな緑色。ほんのり薔薇色の頬はふっくらと、まるで血が通っているみたいで今にも動き出しそうだ。
「びっ……びっくり、したぁ!!」
「勝手に見るなよ。友人から預かってるんだ。すっごく高いらしいから、触るなよ」
「そんなもの、こんなとこに置いとくなよ」
「このアパートの大家はお前だけど、この部屋を借りてるのは俺」
はい、おっしゃる通り。相変わらず冷静なやつだ。こいつは昔から大人びているというか、爺さんっぽい落ち着きがあった。
「悪かったよ……はぁ、びびった」
くたびれた座布団を抱きしめるも、まだドキドキしている。
「なんかすっごい悲鳴聞こえたけど。外まで響いてて、猫逃げたし」
玄関を開けて入ってきたのは、千歳の妹、朱音だ。
「あの人形だよ」
「……ああ」
千歳の簡潔な説明で察したらしい。千歳と対照的に騒々しい朱音が、肩にかけたエコバッグをごそごそ掻き回しながら笑った。
「照やん、見た目イカツいのに怖いの苦手だもんね。でも、アレはあたしもちょっとびびった」
「だろ? あんなの腰抜かすわ」
「よく見るとめちゃくちゃ綺麗だけどね。あ、お
「おー、ありがと」
朱音がエコバッグから取り出したのは、ハチミツのボトルだ。
「料理にハチミツ?」
「そ。お
朱音がピッと指差すそのタイミングで、千歳はフライパンにケチャップを絞り出す。
「ぐるぐるって、3~4周。そしたら……タバスコを5回振る」
朱音の言葉どおり、豪快にタバスコを振り入れる。
「……そんなに入れて、辛くないの?」
「うちのお兄を信じなさ~い。そして仕上げに、ハチミツをひと回し!」
全体を混ぜ合わせ、火を止めて蓋をする。
「せっかく覚えたんなら、お前が作れば…」
「お兄の方が確実に上手いから、任せる!」
任された千歳は苦笑いしながら、湯の沸く大鍋の隣で油の準備にかかる。冷蔵庫からアジを取り出して手早く開き、パン粉等を纏わせる頃には、お湯も油も良い頃合い。パスタを茹でる間に電子レンジで冷凍コーンを解凍し、冷蔵庫からはレタスとトマトを。
「マジで手際いいよなぁ。なんか見てて落ち着くわぁ」
「ねー。だいたいいつも30分くらいで作っちゃう」
「……手早くできるものしか作らないから」
皿に生野菜を盛りながら、千歳が短く笑う。
いよいよアジを油に投入。ジュワーッと心地よい音と香ばしい香りが立ち昇った。
油の鍋を横目で見つつ、フライパンの手羽元を温め直す。コーンを絡めるように強火で炒め煮したら、サラダの隣へ。フライを取り出して油を切ったところで、ちょうどパスタも茹で上がり。ざっと湯を切って鍋へと戻し、オリーブオイルとおろしニンニク、乾燥バジルに少量の調味塩を加えて手早く混ぜる。
「イリュージョンみたいだよな。ずっと見てられる」
「昔からうちの料理長だもん。お母さん、仕事忙しかったし」
「なんで朱音が得意げなんだよ。何も手伝わなかったくせに」
盛り付けた料理を手渡しながら穏やかに笑う千歳に、朱音が唇を尖らせた。
「だから今になって苦労してるんじゃん。それに、お皿は洗ってたし〜」
「朱音は口だけシェフかぁ」
「まだ修行中なの!」
「今日も兄に飯をたかる妹。旦那も気の毒に」
「だって今、航海中なんだもん。自分のだけ作るのめんどい。第一、照やんはさ、失敗するかもしれないあたしの料理と、確実に美味しいお兄の料理、どっち食べたい?」
「千歳先生でお願いします」
テーブルが整ったら正座で手を合わせ、三人揃って────
「いただきまーす!」
真っ先に手羽元にかぶりつく。
「あああ、うめぇ。ちょうどいいピリ辛加減だぁ」
「コーンも合うでしょ。お兄、天才なんだわ」
「だからなんで朱音が得意げなんだよ」
チャンスとばかりに、千歳の冷静なツッコミの尻馬に乗る。
「そうだそうだ、口だけシェフが」
「うるせえ、タダ飯喰らい」
「あっ、朱音くん。そのアジフライはこの僕が釣ったんだが?」
「照哉が釣ったのはアジであって、フライにしたのは俺」
千歳の冷静なツッコミは、相手を選ばない。
「うんまー! このふっくら揚がった肉厚の身! やっぱ釣れたては違うね!」
「確かに。スーパーの魚の比じゃないな」
「そうだろ? このパスタも旨いよ。全然いんちきじゃないじゃん」
「だってお兄、天才だもん」
「出た、ブラコン」
「こいつは『天才』って言っときゃ俺が料理すると思ってるんだ」
聞こえないふりをしているのか、朱音は黙って手羽元に噛み付いた。
やっぱり、皆で食べる飯は美味いな。
俺は独りで飯を食うのが苦手なのだ。だって、なんとなく味気ないじゃないか。千歳も朱音も同じなのかもな。
遅番の仕事へ出かける千歳と別れ、階段を降りて1階の自宅へ戻る。朱音は上で昼寝してくってさ。全く、呑気な主婦だよ。
そういえば……朱音が帰って来るちょっと前、何かが引っかかったのを思い出した。あれはなんだったんだろう? 見慣れない黒いバッグを見たせいか?
「……ま、いっか」
満腹になったからか、朱音じゃないけれど瞼が重くなってきた。夕方飲みに出るまで、俺も一眠りしよう。今日は早起きしたしな。
大将、今朝釣ったカサゴとメバル、俺が行くまで取っておいてくれよ……
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