優等生の斎城さん

@kakukakuko

序章

その日の雨音は、潮騒しおさいに似ていた。

風はそれほど吹いてないというのに、施設の周りのシイやカシ達の葉擦れが妙に耳につく。


「あ~つまらん」


ボスの旋毛を眺め僕は同意した。


「次のレクまでまだ時間あるしな」


「……確か、今日はカラオケだったよね」


「楽しみですね~、皆さん何を歌いますか?」


僕とノッポは、同時に手拍子係と答える。


「俺は一択!スラムダンクの”世界が終わるまでは”だな」


「私は堺正章の”さらば恋人”ですね~」


間延びした柵さんの言葉を皮切りにまた皆黙りになる。


「はぁ……」


誰かがこぼした溜め息が眠たげな午後の空気と混ざり合うのを感じた。


「あぁ、そういえば私聞きたいことがあったんですよ」


「何だ?」


「皆さんは忘れられない思い出ってありますか?」


「……ずいぶん突然ですね」


「いえね、最近愚息の手を借りて終活を始めたんです。

それでつい先週1枚の写真を手土産に渡されたんですが、私が栞がわりに古書へ挟んでいたものだったんです」


「その写真が柵さんの忘れられない思い出?」


「えぇ、亡き妻と見た桜の木の写真です。

薄ピンクの花びらがヒラヒラと、河原へ落ちて流れていって……。

何故だかそれが、何年経っても私の心に深く根づいているのです。

今まで、写真の存在すら忘れていたのに。

まったく驚きましたよ」


柵さんは、柔和な笑みを浮かべて言った。


「俺は、やっぱり!10年前のあの晩だな」


ボスがにたにたと笑った。


「どうせ、女のことだろう」


僕は、呆れたように言い放った。

ノッポは、隣でデカい体を丸めて居心地悪そうにしている。


「これはまだおまえらにも話してないことなんだが」


目を細め高らかな声で話しだしたのは、相変わらず下世話な自叙伝だ。

適当に相槌を打ちつつ、窓際に置かれたアジサイの花を横目に見ると、視界の隅に長い黒髪が掠めた。


――彼女だ。

いったい、いつからそこに居たのだろう。

いや、それよりも……この話はまずい!


ボスは酔ったように、まだ話し続けている。


「それからなぁ――なんだよ、賢治!」


僕が肩を叩き彼女を指差すと、息を飲み黙り込んだがそれも一瞬の間だけだ。

悪戯めいた顔つきで、彼女を呼び手招きしている。

振り返った彼女は、読みかけの本を手にして僕らの元へやって来ると上品に微笑んだ。

細身で青白い肌と、細い首で懸命に頭を支えている姿は百合の花に似ている。


「斎城さん、こんちは!」


「こんにちは、高盛さん。皆はここでお喋り中?」


彼女独特の澄んだ小さな声で問われると、僕らは揃って頷いていた。


「何を話してたの?」


「忘れられない思い出について、ですよ」


「斎城さんは何かありますか?

あ、こいつがね!スゴイ興味もってるんすよ〜」


僕はカッとなり、彼女の視線に耐えられず俯いた。

まったく、ボスのやつ何てことを言い出すのだ。

僕が斎城さんを気にかけてること知ってるくせに、からかいやがって……!


「えぇ、あるわ。

――私にもずっと色褪せない思い出が」


声にヒヤリとしたものを感じて、僕は恐る恐る顔を上げた。

彼女は無表情で、窓の向こうで騒めく外の世界を眺めていた。

僕は、その無表情の下に押し込められた感情を知りたくて、鼻筋の通った横顔をそっと窺っていた。


「へぇ〜斎城さんの過去、俺興味あるかも」


ボスは僕の肩に手を置くと、ノッポ達に目配せし口裏を合わせるように無言の指示を出した。


「聞いてもつまらないと思うけど」


はにかむ斎城さんに更にボスは言い募り、ノッポ達も時折調子を合わせる。

僕はボスたちを止めるべきだと考えていたが、斎城さんを知るチャンスも逃したくはなくて、成り行きを見守っていた。


「それじゃあ長くなっちゃうけど、話しても構わない?」


「よ、待ってました!」


軽快に手拍子を打つボスに笑いかける彼女に、先ほどの面影はもう見られなかった。


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