第4話 聖火葬



[……ガ……ギギ………!!]

[………ァググゥ……ガアァ………。]


呻る声。諸手を上げて、屍人が迫る。

肉持つ低級霊たる存在は、早くはないが鈍重でもない。

ぐしゃり、どたりと動き出した。


「……お客様方。姫がいるんで、手早くいくぜ——」


二体の屍人を前にして、モーケスはそう言うとふらりと立った。

開いた胸元。紅い宝珠——上等な《火石フリント》を嵌めたネックレスがきらりと光る。

いつの間にやら右手に煙草。

これが男の、一風変わった《灯杖トーチ》である。


騎士は皆、《灯杖》と喚ばれる武器を振るう。

通常の場合は《火石》を嵌めた剣や槍。

上級騎士となれば自分に合わせた装備を誂えるのは当然だが、煙草というのは前例が無い。

おかしな要望を伝えられ、武器職人は大いに嘆いたものだった。


指の長さにも満たない紙筒をふわりと斜に構え。

曲者たる騎士は鋭く、低く唱える。


「——纏え・奔れ==《炎刑鞭フラムウィップ》 ——!」


煙火を象る媒介に、魔力の火花が点火する。

ひゅるりと熾る炎が纏う。疾く。細く。奔流となり、鞭となる。

火の粉を散らす荒縄のようなそれを、2度——いや3度、続けざまに振り払う。


[[……ガッ……カカッ——!]]


《炎刑鞭》。

自在な間合いと形状で敵を翻弄する二節の中級炎術は、扱うものの技量によって、鞭に、縄に、鋭い刃に、盾にすらなる。モーケスの十八番のひとつだった。


軽く風を切る微かな音。切られながらの僅かな呻きの後には、少しの動きも声もなく。

どう切ったのか、2体あわせて数十片をこえる肉塊へと焼き切られたそれに、返す刀で術を重ねる。

ふらっと腕を振り上げると、炎鞭が中空にてぐるりと円を成した。


「——結べ——熾れ・聖火よ・浄めよ==《聖火葬クリメイション》!」


鞭は輝く境界となり、ぐしゃりと崩れた肉塊の山を囲む。

見る間に熱波の結界が立ち上がると、中心には小さな種火がぽぅと宿る。

激しい灼熱の煌火が満ちて、円内すべてを瞬時に焼き尽くす。


邪なる霊。媒介たる死肉。両者を速やかに焼滅する火葬の檻は、騎士たるものの基本にして必須の術式だった。通常は数名がかりで行使するそれを事も無さげに放った男は、煙草を吸い込み、ふぅ、と息をついて振り向いた。


少女の灰眼が炎を写し、明るい橙色を帯びている。

「さすがね。おじさん。すっごいわ。」

色の無い声で、ぱちぱちぱちと手を叩く。


「……ありがとよ。褒められてる気がしないけど。」

「ん? ……うん。まあね。」

「……っへ……参るぜ……。」


当然だもの、とカミナは思う。

ふらふらしてても、腕だけは確か。

父さまが選んだ自慢の騎士で、わたしの師匠なんだから……火を見るよりも当たり前。

伝えることは決して無いが。

それにしても……?


「なんでコイツら、こんな場所まで……って思うよな。」

にやりと笑んで、モーケスは言う。

カミナの(無)表情を読める者は限られている。こういうところが苦手なのだが。


「まあ、なんだかな……副長ボスの見立てじゃ、でかいっぽいぜ。今夜の《潮》は。」


月は満ち欠け、潮は満ち干く。

紫の月より注ぐ夜の魔力は、満月に近づくほどに高まった。


騎士団は、月齢、海流、星の動きに加えて季節、天候、風、までをも観測する。それにより、毎夜の《潮》——死者の襲撃——の規模を大まかに算出すること、防衛を最適化することが可能となる。街への被害は昔と比べて大きく低減されていた。


近年目覚ましく発展を遂げたその技術には、副長にして《炎匠》と呼ばれるフヨウ=ルシッドレッド——カミナの父が大きく貢献している。モーケスは父からの情報と指示を受け、万一のための護りとしてカミナのもとに馳せ参じたというわけだった。


(それにしても、この街区まで攻め込まれるってのは……何か、あるのか……?)


考え込むモーケスに少女は言った。


「……大丈夫だよ。一人でも。」

「分かってるさ……でも、そういうわけにもいかないからな。分かるだろ? お嬢も。ボスの気持ちは。」

「……わかってるけど。過保護なの。」


似たような襲撃が散発しているのだろう。あちら、こちら、遠く近くで火燐の光や轟音が上がっていた。


壁のやつらは何やってんだ、と言い肩をすくめたモーケスは、さりげなく辺りを警戒した。それでも緊張はおくびにも出さず、まるで散歩を再開するかのような気軽さで歩き出す。


今夜の潮がどうなるにせよ、少女を安全な場所まで送り届けねばならないのは変わらなかった。自分がいるのだ。余計な心配は与えなくとも良いだろう。


中央広場を抜けて少し。上級騎士の居住区である五番区までは、徒歩で四半刻といったところだった。


**


カミナの自宅——ルシッドレッド家の邸宅は、家格にしては慎ましい大きさで、装飾を廃した質実な石造りの一軒家だ。

小規模な屋外パーティーができるくらいの小ぢんまりとした庭園は、石積みの塀と鋭い剣先を持った堅牢な鉄柵にて守られていた。

十年前の《潮》の教訓をもとに、工兵たちに作り直させたものだった。


——じゃ、俺は正面を守るんで。ゆっくり引きこもっててくださいよ。


そう言い置いてモーケスは残った。

門の外。海側を向く南面を守れば、ひとまず他を警戒する必要は無いだろう。

そちらを一瞥したカミナは前に向き直って把手を握り、飴色をした重厚な扉を開いた。


決して広くはないエントランスだ。石壁にかけられた古びた旗章に織布、何本もの重厚な剣盾と矛槍。壁際には古めかしい騎士鎧がひしめき、磨き抜かれた光沢をもって客人を迎える。


高い天井から釣り下がった小ぶりだが荘重な燭火台にはひとつの火も点っていない。

壁際を這うゆるやかな階段がうっすらと窓からの光に照らされていた。

暗く静まりかえったエントランスの向こうには、家人たちが息を潜める気配が感じられた。


「……みんな。わたしよ。帰ったわ。」


声の響きが返る間も無く、白髪の老人が薄暗がりから姿を現した。


「おお、お嬢様……よくぞご無事で。」


嗄れているが中低音の響きのよい声。背筋は齢に反してしゃんと伸び、痩せた小柄な体躯に黒の上下を隙無くぴしっと着こなしている。

名家に恥じない、模範とも言える執事の姿がそこにはあった。


「ありがとう。モーケスと来た。正門にいる。」

「それはそれは……なによりでしたな。私めも一安心でございます。弟君——オルバ様は、他の者と共に地下室に避難しておいでです。」


扉の金具を操作する。薄い光が、刻まれた護りの術式が起動したことを示した。


「ん。たすかる。継母さまは外ね。怖がらなかった?」

「いえいえ、眠ってらっしゃいますよ。なんとも頼もしいことですな。」

「ほんとだね……。」


わたしと違って、と言いかけてカミナは止めた。弟は、別腹の継母から生まれて2年。

篝火の騎士の後継に相応しい、赤髪灼眼の男児だった。


「……わたしは2階で見張ってる。爺やは戻って地下を守って。」

と言うその足は、すでに階段へと向かっていた。


「……ご立派です。承知しました。どうかご無理をなさらぬよう。」

執事は一礼すると、すっと暗闇へと足を向け。

思い出したように振り返ると、段上のカミナに呼びかけた。


「——お嬢様。ご主人様からの言伝が。申し上げます。」

「伝言? 聞くわ。何かしら?」

「申し上げます——

 『———今夜の《潮》。屋敷に立て籠もり、ウェルダとともに弟を守れ。わたしが戻るまで耐えるよう。万が一のときには騎士学院k—— ………ッっ!? お嬢様っ!!」


——語られる伝言を吹き散らすように。

重く叩きつけるような轟音、衝撃が壁を揺らす。


外からだ。激しい揺れに、二人はたまらず姿勢を崩した。


「……お嬢様っ!」

「……っ……大丈夫。家は無事だわ。……わたしも無事。」


無事だけど……


「……門が、破られましたかな?」

怪訝な顔に、野良猫でも見とがめたかのような軽い口調で執事——ウェルダは言う。

すっと進んでカミナと扉の間に立ち、扉を確かめるようにさすりながら言葉を継いだ。


「……そうかも。爺や、モーケスは……?」

「さて、どうでしょう……あのぼんくらが倒れることは有り得ませんが……念のため、お嬢様とオルバ様は脱出を。道中は、私がお護りいたします。」


「……え……だけど……。」

カミナはその場を動かない。


「でも、家は……?……わたしの、おうち。かあさまの……それに、父さまは……。」


屋敷に籠れとの父からの指示。だけではない。

彼女は家に引きこもり、家を愛して、執着していた。


人は依存と呼ぶのだろうか。

母を失い、己の未来は先が見えない。

そんな少女が懐かしい部屋で、悲しみと不安を埋める権利を用いること。

それを依存と呼ぶならば。

あるいはそれは、そうかもしれない。


「……カミナ様。奥様のことは……あなたは幼かったのです。」

きっと再び『自分のせい』で、大切なものを失うと思い込んでいるのだろう。

涙を浮かべる少女に向かい、柔らかな声で執事は語りかける。


「それに、ご主人様からは。お二人を危険な目には遭わせるな、と、日頃から厳命いただいております故。」


——どうかお護りさせてください。


そう言うと老人は玄関の装飾から短い槍を手に取って、少女の弟が眠る地下室に向かい身を翻す。


門が破られ、防壁としての屋敷が危機にある今は、まさに主君の言い置いた『万が一のとき』そのものだ。そう理解すれば、なすべきことは明らかだった。


「さあ、参りますぞ。まずはご主人様の言いつけどおり、騎士学院へ向かうとしましょう。」


生粋の不登校児たる令嬢カミナ。

大きく引きつらせたその横顔を、執事は見なかったことにした。

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