隣の北崎さんは、今日も必死にもがいています

里岡依蕗

プロローグ




 「今日は、将来の夢、というテーマで作文を書いてください! 書きたいだけ書いていいですよ」


 教室がざわめいた。ねぇ、何を書く? えぇ、どうしようかなぁ? と周りは大層楽しそうだ。

 将来の夢? ……夢を持つのは自由だけど、そんなものが叶う人間なんて、一握りしかいない。大人が一番分かっているのに、何故いちいちそんな事を書かせたがるのか。そんな奇妙な事を小学生のうちに気づいていたクラスメイトは、きっと俺以外にもいる。と、その時は思っていた。

 しかし、いざ先生が用紙を配ると、皆無言になって、紙に鉛筆を滑らせる音だけが響いた。必死に作文に夢を綴る周りの姿に、一人だけ鉛筆が進まなかった。

 絶望した。自分だけが蚊帳の外で、周りは必死に、叶うかどうかも未だ分からない希望や夢を、おそらく文集に掲載するであろう作文用紙に書き殴っているのだ。分かっていないのか、それを数年後見て、笑いの種にされるんだぞ? 

 一人だけ鉛筆を持ったまま書かない俺を心配したのか、様子を見ていた先生が肩を優しく叩いた。


 「……百家ももか君、どうした? そんな難しく考えなくていいよ。簡単でいいから。何々になって、どうしたいってだけでいいからね? 」

 簡単も何も、最初から何も浮かんでなんかいない。

 先生が言いたいことは分かる。悪い人を捕まえる警察官になりたいとか、病気の患者さんに頼られるような看護師になりたいとか、そういう堅苦しい職業じゃなくていいから、とりあえずお金持ちになりたいとか、犬をたくさん飼いたいとかでいいから何か書いてくれ、という事だろう。

 年上の兄が大変な事になっているのを見てきたから、もう分かってるんだ。こんなの無駄だって。

 「……何も、ないんです」

 勇気を出して小さく呟くと、先生の顔が強張った。またか、と困り果てて、どうするべきかと言葉を探しているようだった。

 「……そう。それなら、好きな事について書いてくれたらいい。無理に考え過ぎなくていいからね、簡単にでいいよ」


 もし真っ白な作文用紙を提出すると、先生の評価はおろか、下手したら三者面談を組まれてしまうのではないかと察した俺は、デタラメでもいいなら、とようやく、鉛筆を動かし始めた。

 そんな俺をみた先生は、安堵の溜息を吐きながら、教卓へ戻っていった。



 こんな思考をする、大人から見たら厄介な子供だったから、周りからは浮いていた。周りの皆とは考えがズレていたので、友達と呼べる仲間は少なかった。

 当時の俺には意地を張る気力がなく、いつも無言で、必要最低限しか喋らない……いわゆる無口キャラになって、教室に置かれた石となってしまっていた。


 親も先生も心配して、家庭訪問の他に三者面談を設け始めた。しかし毎回、話すこともなくなったのか、世間話が始まる。回を重ねるごとに時間が長くなっていくのに飽きた俺は、全てを諦めて、中学から性格を変えた。

 周りには明るく振る舞い、出来るだけ同情する事に徹して、クラスに溶け込めるようになった。

 その代わり、部活に入っていなかったのに、帰宅後は部活生みたいに身体中がきつかった。無理をしているのは分かったが、周りからの俺への接し方が少しずつ変わっていくのが、子供ながらに面白かった。



 卒業文集、俺は何年か先の自分の為にこう書いた。


『将来の夢は、具体的には決まっていませんが、社会の役に立つ職業に就けるように、これから努力していこうと思います』




 「ありがとうございましたー」


 数年後、クラスメイト達がそれぞれ描いた夢とは違えど、様々な定職につく中、俺はただのアルバイト従業員になっていた。


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