終章.未完成の月

「ええっと、この金色の鉱石がこれ……?」


 店に並ぶ箱の中から、拳大の光る石を取り出す。似たような色の石がふたつあって、どちらが欲しい品なのか分からない。


「あれ? これじゃない? こっちの石?」


「君はまだ字を読めないのか。セレーネの描いた絵じゃ、お使いメモも読みにくいだろう。どれ、見せてごらん」


 携帯を弄りながら俺に声をかけるのは、この店の店主、ロロである。月の欠けた夜、俺はこの店に買い物に来ていた。

 ロロが呆れ顔でシャッターを切る。


「閃光水晶と、光の琥珀だね。セレーネはどっちが必要って言ってた?」


「水晶! 望遠鏡に取り付けるんだって」


「なにを始めるのかな。まあいい、ついでだから両方買ってくれ」


 また、彼の手元で携帯のカメラが鳴った。


「両方はいらないだろ。ところで、さっきからなに撮ってんだよ」


 俺はロロから携帯を奪おうとしたが、ロロはその手をひらりと避けた。


「いい表情してたからね」


 気持ちの悪いことに、ロロは俺の携帯の電池を復活させた。月のエネルギーを動力にした電池を開発したらしく、俺の携帯に組み込んだらしい。端末がこの世界に一台しかないから通信機能はないのだが、カメラとしては充分使えるものになっている。

 ロロが不敵に笑い、携帯を袖口に隠した。


「僕ね、月影読みになるのは諦めたんだ」


「やっと?」


「もう眠りの病の調査も、そろそろ必要なくなりそうだし。これからは、この箱の可能性を広げる。以前イチヤが話していたように、市民が当たり前のようにこれを所持する世界にしたい」


 とんでもないことを言い出した。月影読みでなく、大富豪になるつもりか。

 ロロはうきうきと携帯を触っている。おもちゃを手に入れた子供みたいな顔だ。実際子供だから、「みたい」ではなくそのとおりかもしれない。


 近頃、ロロは無邪気な表情を見せるようになった。だんだんかわいく見えてきたので、もうその携帯はこの子にあげてしまおうと思っている。


「多分だけど、それを普及させるの、月影読みよりすごいぞ。世界に革命が起きるよ」


 俺が言うと、ロロはニヤッと目を細めた。


「そう? それなら尚更やりとげよう。僕は成績においてセレーネに勝る。彼女を超えられないはずがない」


「その高慢さだけなんとかなればなあ……」


 それから俺は鞄から金を出して、お使いの品を買った。そこで、店の扉がバキッと開いた。


「イチヤくん、見っけ!」


 飛び込んでくるクオンと。


「セレーネ様からお使いを頼まれたって聞いたよ。どれを買うか迷わなかった?」


 心配そうについてくるシオンだ。扉を破壊しながら入ってきたふたりに、ロロが冷めた目を向ける。


「うちの扉は一体何回壊されるの?」


「ロロのおかげで大丈夫だったよ。こっちが閃光水晶だろ」


 俺がシオンに答えるも、シオンはぷるぷると首を横に振った。


「ロロに騙されてる。それは光の琥珀だし、もう一個の方はその偽物だよ」


「こっちの棚にあるのが本物だよ」


 クオンが全く別の場所から、煌めきが眩しい別の石を取り出す。俺がロロを睨むと、彼はニッといたずらっ子のように笑って、カウンターの影に隠れた。


 お使いの品を買い直し、帰路につく。クオンとシオンもちょこまかとついてくる。

 あれから俺は、セレーネの助手として迎え入れられた。クオンとシオンは従者で、俺は助手である。この肩書きのもと、毎日使いっぱしりにされている。


 住む場所すらなかった俺を、セレーネは今までどおり住み込みで遣ってくれた。彼女は相変わらず自由奔放だ。なんなら以前より、余計に開放的になったらしい。出かける頻度が増えているという。本人曰く、「イチヤが双子の面倒を見てくれるから、安心して出かけられる」とのことだ。


 木々のざわめく森を抜け、やがてその建物が見えてきた。


「ただいま!」


 森の奥に聳える、天文台。その屋上のガラス窓の上で、ポニーテールが振り向いた。それを見て俺は、ぎょっと目を瞠る。


「なんてところにいるんだ。危ないから下りてきて!」


「天井のメンテも私の仕事なんだよ。心配性だなあイチヤは。私は少し前まで山賊やってた肉体派だぞ」


 安息の生活をしているのに、セレーネはたまに豪快に狩りに出かける。山賊時代に作った槍を、未だ愛用している。そうはいっても大賢者月影読みだ。怪我には気をつけてほしい。

 セレーネがにこっと笑う。


「まあいいわ、お使いありがとな。どっかテキトーに置いといて」


 彼女はガラス窓の周辺になにやら作業しつつ、俺の手元の買い物袋を指さした。


「それがあれば、原因物質も濾過できそうなんだ」


「えっ、本当!?」


 俺もクオンもシオンも、顔を輝かせた。


「やったー! これで王国議会に文句言われなくて済む!」


 クオンがシオンの手を握り、シオンもクオンの手を取る。


「大地の民の小さい子が、間違って月の雫を飲んじゃっても大丈夫だね」


 月の雫は眠りの病の原因物質になるとして、未だに大地の国の議会から文句を言われている。だがどうやら、突破口が見えたみたいだ。

 セレーネが高いところでうんうんと頷く。


「ひとえに身を挺して研究に協力してくれたロロのおかげだね」


 眠りの病がなくなれば、王国議会が月の雫を恐れることはなくなる。大地の民が月の民を虐げるのさえやめてくれれば、世界はもっと変わっていく。


 セレーネがふいに、こちらに顔を向ける。


「あっ、そうだ。建物の中にケーキあるよ。ジャムから差し入れ」


「やった!」


 拳を握る俺の横で、クオンとシオンがぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「やったー! ケーキ!」


「お茶淹れなくっちゃ!」


 喜ぶ俺たちを見下ろし、セレーネが嬉しそうにする。


「三人とも、甘いもの好きだもんね。もうしばらくしたら私もそっちへ行く。そしたら均等に切り分けて」


 どういう巡り合わせか、天文台を増強のために資材を集めていたら、協力してくれた建設業者の中にジャムがいた。

 ジャムから聞いた話によると、セレーネのいなくなったあとの山賊らは、殆どがどこかしらに身を置く場所を決めたのだという。まだ旅を続けている者もいるし、安住の地を見つけた者もいる。

 ジャムは月の都付近の小さな村で、建設業者に身を寄せていた。今はセレーネから貰った「ジャム」という名前を本名として名乗り、しっかり働いている。

 ただやはり、ひとりだけ、ジャムでも行方の分からない人がいたのだが。


 天文台へと入り、キッチンに向かう。途中のダイニングのテーブルに、新聞が伏せてあった。俺は抱えた買い物袋を置いて、その新聞を表に返す。「情報求む、エルド・ツヴァイエル、行方不明」の見出しに、俺は下を向いた。


 ツヴァイエル商会は、相変わらず世界屈指の大企業だ。人攫いの証拠も、簡単には現さない。

 だがそろそろ、時間の問題だろう。エルド・ツヴァイエルが行方を眩ました。なにかまずいことがあるから、捕まる前に姿を消したのだ。世間は彼の身になにかあったのではと、心配の声が上がっている。


 新聞を見ていたら、クオンとシオンが部屋に入ってきた。俺はさっと、新聞をテーブルに伏せる。そして何事もなかったふりをして、クオンとシオンとともにキッチンに入った。


 打算的に動くツヴァイエル卿の一方で、劇団ルミナの方は見る価値もない泥仕合に発展していた。身内同士で罪を擦り付け合い、世間を呆れさせている。

 あれだけ声望があった劇団が、酷い落ちぶれようだ。彼らに憧れていた市民も、今ではすっかり幻滅し、心が離れている。


 ケーキの皿を用意していると、ふいに、クオンとシオンは、互いの顔を見合わせた。


「ねえシオン、セレーネ様のお見合い話はどうなった? なにか聞いてる?」


「知らない。どうなるんだろうね」


 突然の情報に、俺はぎょっとふたりを振り返った。


「セレーネがお見合い? なにそれ!」


「イチヤくん聞いてないの? セレーネ様、次期月影読みの候補がいない事実に今更焦りはじめて、結婚相手を探しはじめたんだよ」


 シオンがさらっと答える。なにも聞かされていないし想像もしていなかった俺は、びっくりして思考が止まった。


「なんだって……全然知らなかった」


 でもセレーネは成人しているし、結婚を考えてもおかしくない歳頃だ。月影読みという特殊な役職にあるから、世継ぎが必要なのもたしかである。そこまで考えてから、俺も自分の身に大きく関わると気づいた。


「あれっ……セレーネが結婚したら俺、ここから出ていかなくちゃならないな?」


 周章狼狽のところへ、バンッと扉が開いた。


「誤解だよ、クオン、シオン。私は別に婚活なんかしてない」


 セレーネが呆れ顔で、キッチンに入ってくる。


「議会のお節介なババアにセッティングされて仕方なく出向いたんだよ。あと十年ロロを待った方がマシな男だったから断ってきた」


 彼女はトンッと壁に背を預けた。


「まあ、世継ぎが欲しいのは本当だけどさ。まだ考えたくないんだよね」


「びっくりさせんなよ……」


 俺が項垂れると、セレーネはニヤリと口角を上げた。


「天文台から追い出されたくないなら、あんたが私の夫になるかい?」


「えっ、え!? 俺!?」


 ドキーッとして飛び退くと、セレーネは豪快に笑った。


「冗談冗談! あんたじゃ、あと五年は待たなきゃならない。それなら十年待ってロロの方がいい」


「こ、子供扱いしやがって……」


 俺はぷいっと、セレーネから顔を背けた。彼女からしてみれば俺なんか子供なのかもしれないが、クオンとシオン、ロロと同列の扱いなのは、ちょっと悔しい。

 セレーネのポニーテールの根元で、赤いチョーカーが揺れる。「彼」の消息は未だに不明だ。セレーネも捜している様子はない。

 ひとまず俺は、「いつか」に備えて天文台から出ても生きていけるように、仕事や住む場所を探してみてもいいかな、と思った。


 セレーネはさっと切り替えて、クオンとシオンに目をやった。


「それよりあんたたち、その皿、並べておいで。ケーキはイチヤが切ってくれるよ」


 それを聞くなり、クオンとシオンはこれまでにないくらい目をきらきらさせ、ふたりで皿をニ枚ずつ持って勢いよくキッチンを飛び出した。


「はーい!」


「早く食べたい!」


 ぱたぱた立ち去るふたりの尻尾を見届ける。キッチンには、俺とセレーネだけが残された。俺は伏せていた顔を上げる。


「ここんとこ毎日、ご機嫌だなあ」


「サリアが立ち寄る日が近づいてきてるからね。浮かれてるんだよ」


 数日前から、双子のわくわくが止まらない。もうすぐサリアさんが帰ってくるのだ。帰ってくるといっても、またすぐに旅立ってしまうのだけれど。


 劇団ルミナが摘発されて数日。サリアさんは釈放されてすぐ、双子に会いに来た。感動の再会も束の間、渦中の人である女優カレンへの取材を求め、天文台にメディアが押し寄せてしまった。

 やがてサリアさんは、新しい劇団を作った。その座長を務め、巡業の旅に出た。


 そしてその劇団が、もうすぐこの月の都を訪れる。クオンとシオンは、またお母さんに会えると大喜びなのである。

 セレーネが壁に後ろ頭を当てる。


「ルミナにスカウトされて捨てられた人たちも、サリアの劇団に集まってるみたいだね。今度こそ大丈夫なわけだけど、よくもまあ凝りもせず」


「疑心暗鬼もあるでしょうけど、それだけ叶えたい夢なのかもしれないな」


 俺は左耳が折れた無邪気な少年を思い浮かべていた。あの子もきっと、活躍できる。


 キッチンの棚に箱が置かれている。まだ俺の識字レベルは幼児程度だが、好きなものを示したこの単語は読める。


「ケーキ」


 言いながら取り出すと、セレーネがふっと笑った。開けてみると、大正解。ジャムからの手土産のケーキだ。ふわっとしたスポンジにクリームが塗られており、甘い果物が載っている。


 そこへ、開いた扉から黒と白の双子が飛び込んできた。


「イチヤくーん! ケーキ早く早く!」


「こっちはもう準備できたよ、早く!」


 クオンのあどけない笑顔と、シオンのはにかみ笑いが並んでいる。


「ねえねえ、どんなケーキ? 見せて」


「あっ、クオン、つまみ食いする気だ」


 クオンが俺の腕にしがみつき、反対側からはシオンが飛びつく。俺の手からケーキの箱を覗き込もうとして、ふたりして俺をよじ登ってくる。


「いやいや待て、ふたり同時には抱っこできな……わあっ」


 三人まとめて、床に転んだ。放り投げたケーキの箱は、セレーネが器用にキャッチした。クオンとシオンは、俺を下敷きにしてキャッキャとじゃれあっていた。

 寝そべった床から目を上げると、開け放たれた窓から、昼の空に浮かぶ未完成の月が見えた。これから新たに満ちていく、少し欠けた月だ。


 未だじゃれあう双子たちに視線を移し、俺はいきなり起き上がってやった。


「いつまで乗ってる気だ!」


「きゃーっ!」


「あははっ」


 ふたり同時に抱きしめたら、クオンもシオンも、小さな手で抱き返してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る