ここのところ、クオンとシオンの寝起きが悪い。ルミナの一件の日も、月が陰っただけで眠ってしまった。

 シチューの皿をテーブルに運び出す。野菜をちぎっただけのサラダも、テーブルの真ん中に配膳した。そこへ、クオンの欠伸が聞こえてくる。


「ふああ、まだ眠い……」


「だらしねえな。夜更かしでもしてたのか?」


 見ると、フレイがクオンとシオンを小脇に抱えている。クオンはむにゃむにゃと微睡んでいて、シオンに至っては抱えられた姿勢のままぐってり垂れて寝息を立てている。

 クオンが瞼を擦る。


「違うよお。月の雫がなくなってきてるから、今までみたいにたくさん飲めないの。ちょびっとずつ飲んでるから、すぐエネルギー切れして、眠くなっちゃうの……」


 と、話していた途中で、突如クオンが覚醒した。


「んっ、いい匂い!」


 食べ物の匂いで目が覚めたようだ。耳を立てるクオンの弾んだ声に反応して、シオンの耳もぴくぴくっと動いた。

 テーブルに並べたシチューを見て、フレイが眉を寄せた。


「四つ?」


「あんたの分だよ。さっき『食ってくか』って聞いただろ」


 彼の返事も都合も聞いていないが、作りすぎたから勝手に巻き込ませてもらった。フレイの腕からクオンが転がり下りて、テーブルに椅子をひとつ増やす。シオンも目を覚まし、フレイの腕をすり抜けてこちらに駆け寄ってきた。作ってあったパンを四つ、皿に載せて運んでくる。


 双子の完璧な連携プレーを前に、フレイはしばし呆然としていた。やがてふっと口角を吊り上げた。


「ちょうどいい。もう少し、話したいことあるしな。付き合ってやるよ。自慢の料理のお手並み拝見といくか」


「あんなふうに言ってるけどね、フレイ、私たちを起こしに来たとき、『今日のごはん、おいしそうだぞ』って言ってたよ」


 クオンがしれっと俺に告げ口してきた。偉そうにしていたフレイが開き直って、椅子に腰を下ろす。


「お前の作る、どこだか知らねえ辺境の地の料理、無駄に美味そうなんだよ」


「はいはい。お口に合えば幸いだよ。で、話したいことって?」


 俺も席につき、クオンとシオンもそれぞれ着席した。食事が始まると同時に、フレイは俺と双子を見回す。


「眠りの病の件はもちろんのこと、それに限らず、ちょっとでも体調に変化を感じたら、街医者を訪ねろよ。ただでさえ記憶喪失で、ハーブと毒草の区別もつかないんだ、危なっかしくて仕方ねえ」


「たしかに、眠りの病なんて病気知らなかったし、病気のときの過ごし方とか、分かんないな」


 俺はスプーンでシチューを掬い、口に運んだ。味はちょうど、作りたかったクリームシチューの味にできている。料理の仕方や、作ったものの名前は分かるのに、病気についてはなにも知らない。これはなかなか、厄介である。

 悠長に言う俺を眺め、フレイはしつこく心配した。


「眠りの病は、体が怠くなって全く動けなくなって、そのうち目を覚まさなくなる」


「なんだそれ。そんな病気だったのか」


「そういうやばい病気だから、気をつけろっつってんだよ」


 フレイがシチューにスプーンを差し込む。シオンもスプーンを手に、話しはじめる。


「イチヤくん、知ってる? 眠りの病は、大地の国が月の都と繋がりを持ったばかりの頃に流行ったんだよ。記録によると、月の都に移住してきた大地の民が、次々に罹ったんだって」


 フレイからも先程、ちょこっとだけ聞いていた話である。


「月の民は月の光がないと眠っちゃうけど、大地の民は、逆に月の光が強すぎるとだめなのかな?」


 シオンが首を傾げると、フレイが彼女と俺に言った。


「月の都特有の土着の菌があると考えられてる。月の民はそこで生まれて暮らしてるから、耐性があるんだとか」


 それを聞いて俺は、サリアさんの言葉との矛盾に気づいた。


「サリアさんは月の民にもうつるって言ってたけど……あ、あれもクオンとシオンを救済するために団長を騙したのか」


 サリアさんは、本来ならば双子の顔を見たくて仕方なかっただろうに、娘たちと俺を守るために、嘘の病気の兆候を伝えて逃してくれたのだ。

 夢中でシチューを食べていたクオンが、顔を上げる。


「大地の民でも、大人は発病しにくいんだよね。病気が流行したときに重症化したのも、殆どが十五歳以下の子供だったんでしょ?」


 フレイがシチューをパンにつける。


「そう。多分、子供は体ができあがってないからだろうな。俺もガキの頃、都のすぐ近くのコルエ村に住んでたから、『月の都には行っちゃいけない』って言い聞かされたもんだった。そんなの無視して、ラグネルと遊ぶためにしょっちゅう行ってたけどな。昔から頑丈だから平気だった」


 それから彼は、クオンとシオンの顔を窺った。


「病気の原因ははっきりしてないが、まあ土着の菌の説が有力だな。セレーネが研究してたようだが、詳しくは俺も聞いてない。しかし大地の民の年寄りの間では、月の民が悪魔の子孫だとか、月の民が毒を盛ってるだとか、勝手な憶測広めてさ。この病気のせいで、月の民への偏見に拍車がかかった」


 俺はそれを知って、虚しくなった。思い込みで月の民にあらぬ罪を着せられるのは許し難いけれど、その反面、大切なものを失った大地の民に同情もした。子供たちが眠って起きなくなったら、大地の民も、どこかしらに感情の矛先を向けたかったのかもしれない。


 犠牲者が未来ある子供ばかりというのも、どうにもいたたまれない。言われてみれば、月の都にいる大地の民は大人ばかりだ。その人たちの家族に子供がいてもおかしくないのに、街で遊んでいる大地の民の子供は見かけない。

 と、思ったところで、俺の頭に万事屋の少年の顔が浮かんだ。


「ん? ロロは?」


 ロロは態度が子供らしくないのでついカウントし忘れていたが、あれでいて体は十歳前後である。


「ロロって大地の民だよな? 帽子とコートで耳と尻尾隠してる、月の民じゃなくて」


「大地の民だよ。何度も月の都から出ていくように言ってるんだが、あいつは頑なにあそこから動かない。偏屈で生意気な上に頑固者。ほんっと、かわいげがねえ」


 フレイの苛ついた口調は、心配しているようにも聞こえたし、ロロの強情さに単純に辟易しているだけにも聞こえた。

 クオンが唇を尖らせる。


「私もシオンも、危ないよって言ってるんだよ。でも、ロロは聞いてくれない。セレーネ様からも言ってくれれば、少しは考えてくれると思うんだけど……」


「ロロはセレーネ様の言うことだけは、まともに聞くからねえ」


 シオンも苦笑いしている。


「でも、当のセレーネ様は『ロロがいたいならいればいいし、嫌になったらいつでも大地の国へ行けばいい』って感じなの」


「逆に、セレーネ様はうるさく言わないから、ロロが言うこと聞くのかも」


 クオンがちらとフレイを覗き込んだ。うるさく言うこの男は、ロロから露骨に舐められている。

 クオンがサラダにフォークを伸ばした。


「あーあ。セレーネ様、どこ行っちゃったのかな。ねえシオン、今日、都の端っこまで捜しに行こうよ」


「そうだね。最後にセレーネ様を見た人、いるかも」


「おい、まさかふたりだけで行くんじゃねえだろうな。そんな街外れを子供だけで歩いてて、人攫いに遭ったらどうすんだ。俺も行く」


 世話焼きなフレイが双子に宣言する。俺は少なくなってきたシチューをスプーンでかき集めた。


「そうか、じゃあ今日はフレイに任せるかな」


「えー、イチヤくん、お留守番?」


 クオンがつまらなそうに耳を下げた。


「一昨日からずっとそう。イチヤくん引きこもってばっかり。なにか調べ事してるみたいで、遊んでくれないし」


「イチヤくんは大地の民なんだから、たまにはお日様の光、浴びた方がいいよ」


 シオンも心配そうに助言してくるが、俺は首を縦には振らなかった。


「でも、急ぎで知りたいことがあるから」


 テーブルの皿が空いてきたのを確認し、俺は椅子から立ち上がった。

 キッチンへ向かい、氷水につけて冷やしてあった、フルーツのプリンを盆に載せる。ついでに、置きっぱなしになっていた紺色の表紙の本も脇に抱えた。フレイが持ってきてくれた、紙袋に入っていたものだ。

 ダイニングに戻り、デザートを配る。クオンとシオンはプリンを見て目を輝かせたのち、俺の抱えている本に気がついた。


「あっ、アズール・ルーナだ」


 クオンに言われて、俺は自分の持っていた本のタイトルを知った。


「アズール・ルーナって、たしかアルカディアナの神話の?」


 ルミナの演目だった物語だ。そういえばフレイが、俺が文字を読めるようになったら子供向けのアズール・ルーナの本を用意すると約束されていたのだった。

 俺はフレイの強面を振り向いた。


「本当に買ってきてくれたのか! どんな話なんだろう」


 ぱらぱらと捲ってみると、大きめの文字とかわいらしい挿絵が目を引いた。まさに子供向けといった作風だが、知っている単語が少ない俺にとっては、シンプルな文とヒントになる絵はすごくありがたい。

 クオンとシオンは、デザートのプリンに大喜びしている。俺はそんな和やかな光景を横目に、本を閉じた。

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