扉を開けると、ギイ、カロンカロンと音がする。ロロは今度は、店の奥のカウンターに座っていた。


「あれ。戻ってきた」


「おい、それなんだ」


 ロロが手に持っていた物を見て、俺は顔を顰めた。

 彼の小さな手にあったのは、銀のキセルだ。そこから、草を焦がしたような匂いの煙が立ち上っている。


「見られてしまった。厄介だな」


「煙草?」


「えーっと、薬だよ。お役人さんには黙っていてね。以前取り上げられたことがある」


 ロロはキセルをカウンターに置き、脚を組んだ。


「それで、どうしたんだい。まだ僕になにか用があるのかな」


 なんだか気味の悪い少年である。煙草について突っ込むのは、一旦やめておいた。早く本題に入らないと、クオンとシオンが戻ってくるかもしれない。


「ルミナのチケットって、正規ルートだとどうやって買うんだ?」


「街に来るチケット売りから買うんだよ。残念ながら、もう完売したから現れないけれどね」


 埃っぽくて散らかっている店の中を、黙々と進んでいく。カウンターに座るロロは、不敵な笑みを浮かべた。


「でも君が聞きたいのはそれじゃなくて、なぜ劇団とは無関係のはずの僕が、ルミナのチケットを販売していたか、だよね」


 質問を先回りされた。


「全く。滞りなく遂行されて利を得ている者がいるひとつの物事に対して、正義感を振りかざして引っ掻き回す。愚直な正義は時に余計な犠牲を生むよ。……まあ、君みたいな人、嫌いじゃないけど」


 たじろぐ俺を眺めて、彼は隠すでもなく堂々と語り出した。


「劇団のチケット売りは危険が伴う仕事でね。闇市の商人に脅されて、チケットを盗られてしまうことがあるんだよ」


「闇市……」


「うん。月の都にもコミュニティがある。表通りには現れないけれど、日の当たらない路地裏に入ってみればゴロゴロいるよ」


 小さな少年の口から出ているとは思いたくない、ぞっとする情報が並べ立てられる。


「正規のチケットを闇市の商人に買い占められたら、どんなに価格が高騰していようと市民はそこから買うしかない。闇市と分かっていても、どうしても欲しいチケットのために高額を支払ってしまうんだ」


 ロロの声が、埃っぽい部屋を漂った。


「チケットの正規販売額は一枚につき金貨一枚。これでも充分高価だと思うけれど、闇市に流出したチケットは金貨五枚は下らない。どうかすれば十枚を超えることもある」


 貨幣価値はピンとこないけれど、値段がものすごく吊り上げられているのは分かる。


「そんなの買う人いるの?」


「ルミナのチケットは、それだけ垂涎の的なの。金貨一枚という、ちょっと節約すれば買えそうな値段を見て、欲しいなと思ったときには売り切れていて、そこへ最後のチャンスとして闇市が手を差し伸べる。こういった環境に置かれると人の判断力というものは恐ろしく低下する。悪質な転売だろうとめちゃくちゃな価格だろうと惑わされる……のかも、しれないね」


 あんたもそうやって売るために盗んだのか、と聞こうとすると、これも先回りされた。


「僕は闇市の商人を罠にかけて騙して……じゃなくて、取引をして、仕入れたんだ。ちゃんと相手も承諾の上での取引だよ。法に触れるようなことはしていない」


「どっちにしろ、あんたも正規ルートじゃないな」


「クオンとシオンは、そういうことは分からないみたいだから」


 ロロは再び、キセルを手に取った。俺の前で平然と咥え、吸って、息を吐く。


「言っておくけれど、お役人さんに告げ口したって無駄だからね。さっきも言ったとおり、僕の商売は法に触れていない。怪しまれてよくチェックに入られてはいるけれど」


 元から埃っぽい店内が、煙たくなって余計に空気が淀む。やはり食えない奴だ。子供だからといって甘く見ていると足元を掬われる。話すだけでも変に緊張する。俺の顔色を見兼ねて、ロロはくすっと笑った。


「お子様相手にそんな怯えた顔しないでよ。君が心配するのも分かるよ。僕が悪い商人だったら、クオンとシオンが遊びに来るのはよく思わないよね」


 彼は俺の懸念まで見通していた。余計に顔が強ばる。ロロは目を細め、俺をおかしそうに観察している。


「でも安心して。僕は善良な商人だよ。その証拠に、月の都いちばんの権力者であるセレーネに、直々に頼まれてふたりの友達をしているんだ。セレーネの頼みだから、僕もあの子たちにおかしなことを吹き込んだりはしない」


「セレーネの……?」


「うん。彼女とは話が合うからね。友誼を結んでいたんだ」


 ロロがひとつ、ゆっくりとまばたきする。


「クオンとシオンが両親を失ってるのは知ってる? その関係で心に傷を負っていたふたりを、少しでも早く癒そうとしたんだろう。セレーネは、年齢の近い僕にふたりの友達になるように依頼してきた。僕もセレーネから天文台の情報や珍しい道具のお下がりを貰ったりしていたから、彼女の頼みをきくのは吝かじゃない」


 ろくでもないガキなのは分かる。だが、セレーネとロロの間には信頼関係があるようだ。なんとも複雑な心境である。


「個人としての感情もそうだけれど、天文台に月影読みが不在なんてとんでもない事態だ。……おっと失礼。今は君が月影読みだったね」


 ロロの淡白な話し方が、店内の濁った空気に静かに溶けていく。俺は小さくかぶりを振った。


「事実、月影読みとしてはなにもしてないから」


「セレーネには、月の雫の在庫が切れる前に戻ってきてもらわないとね」


 ロロは細い脚を組み直し、煙たい吐息を吐いた。


「セレーネ捜しは、僕も自分の情報網を駆使して協力するよ。君もこれからよろしくね」


「うん、よろしく」


 薄気味悪い奴だけれど、なにやらセレーネと仲がいいようだし、一応、よろしくしておく。


 店を出ようとしてカウンターに背を向けたが、俺はひと言付け足した。


「でも闇市と関わるのはやめた方がいいよ。そのうち痛い目見るぞ」


「余計なお世話だよ。君が危惧するほど危険な相手じゃない。そういった商人は僕のような子供を侮るからね。相手の高慢を誘えば、扱いは容易いものだよ」


 どこか達観した物言いをして、ぷいっとそっぽを向く。

 その直後だった。バキッと不穏な音を立てて、扉が全開まで開く。


「聞いたぞロロ。闇市の商人がなんだって?」


 とっくに出ていったフレイが戻ってきたのだ。


「うわ、面倒なのが戻ってきたな」


 ロロは迷惑そうに眉を寄せ、キセルを咥えて店の裏口へ逃げようとした。しかしフレイは店内の商品を崩して倒して踏み抜いて、カウンターに腹ばいになって滑り込み、容赦なくロロの襟首を引っ掴んだ。


「詳しく話してもらおうか」


 フレイの怒涛の突進を前に、俺は壁に背中をつけて唖然としていた。ロロがキセルを咥えた口でもごもごと不服を洩らしている。


「ひょれは、ひみのひごとひゃないれひょ」


「それは君の仕事じゃないでしょ」と聞き取れた。フレイがロロをひょいっと吊り上げる。小さなロロは、筋肉質なフレイの腕に上げられて呆気なく浮かび上がった。そのまま肩に背負い込まれ、ロロは口からキセルを落とした。


「ふあっ! おい、やめろ。下ろせ」


 あんなに落ち着いていたロロが取り乱している。じたばた暴れるが、フレイの肩にカッチリとホールドされて下りられない。フレイは無情にも、ロロを担いで店の出口に向かった。


「たしかに俺の仕事じゃねえ。闇市を取り締まるのは警備団だからな。だが俺も市民を守るものとして闇市を見過ごせねえんだわ。どこにどういう奴が表れてどういう商売してんのか、知ってること全部吐いてもらう。ほら、役場に行くぞ」


「くそ……脳筋のくせに。情報源が僕であることは絶対に内密にしてよ」


 ロロは舌打ちして、もがくのをやめた。

 店の隅っこで細くなっていた俺は、連れ出されるロロをただ見つめていた。

 高慢になっていたのは、ロロの方だったのかもしれない……。呆然と、そんなことを思った。

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