その夕方、俺はフレイに連れられて、街の酒場に来ていた。周りは大人ばかりだし、お店の従業員のおねえさんはやけに色っぽい格好をしている。未成年の俺は、居心地が悪くて隅っこのテーブルで小さくなっていた。

 フレイが俺の前にグラスを置く。


「飲まねえのか」


 グラスに注がれた酒は、透き通った深い紺色で、きらきらした泡は星屑のようだった。俺はふるふると、首を横に振る。


「未成年なので」


「はあ? お前、十六歳だろ。酒は十五から飲めるんだから、問題ないだろ」


 どうやらアルカディアナの法律では、俺はもう飲酒できる年齢らしい。

 だとしてもなんとなく罪悪感があるので、俺は酒には手を付けず、同じテーブルに置かれた魚の唐揚げらしき料理を食べはじめた。


 遡ること三十分程前。天文台にフレイが訪ねてきた。俺に妙な動きはないか、定期的に見に来ると言ってはいたが、早速か。などと思っていたら、「飯を奢ってやる」などと言うのだ。クオンとシオンも連れて行こうとしたのだが、フレイから止められた。

 そして素直に従った結果、これである。どうやらまだお酒の飲めないクオンとシオンには入れない店だったから、俺だけ連れ出したようだ。


 だったら双子も入れる店にすればいいのに、などと考えながら、俺は料理をフォークで突く。フレイはグラスの酒を呷り、話しはじめた。

 

「俺はな。都の隣の、コルエ村の生まれだ。ガキの頃からよく、月の都に遊びに来ていた」


「ん、そうなのか」


 俺は揚げ物を口に咥えた。パリ、と小気味のいい音がする。フレイが酒を口元で傾け、ゆっくりと話す。


「そんで、クオンとシオンの父親……ラグネルと幼馴染みなんだよ」


 揚げ物は程よくカリカリしていて、味も白身魚に似ていて、結構おいしい。


「俺は大地の民、ラグネルは月の民だがな。ガキの頃は差別とか分かってなくて、そういうしがらみ関係なく、遊んでたんだよ」


「へえ……」


 俺はフレイの話に耳を傾けつつ、自分の前に置かれたグラスの酒に、顔を近づけた。メルヘンチックな外見をしているくせに、アルコールのきつい匂いがする。

 フレイは酒を、ゴクゴク呷っている。


「お前も知ってのとおり、月の民は迫害対象だ。よほど特殊な才能でもある奴じゃない限り、出世の道なんかない。一生、労働者として扱き使われるのがセオリー」


 月の民はのんびり屋というか、悪く言えばとろくさい。しかも月のエネルギーが届かない場所ではろくに動けもしない。アルカディアナ社会のお荷物扱いなのだ。


「ラグネルも、まだ若かった頃から、労働者として使われていたよ」


「その人は、今どこに?」


「死んだよ。二年前にな」


 やけにあっさりした口調で答えられた。


「鍛治職人の元で下働きをしていたときに、爆発事故に巻き込まれて死んだんだよ」


 俺は魚の揚げ物を、口の前で止めた。胸がグッと、締められる感じがする。今でも幼い、クオンとシオンを遺しての死だ。

 フレイがまた、酒を呷る。


「ラグネルの妻、つまり双子たちの母親は、それよりもっと早くから消息を絶ってる。サリアという名前の女でな。五年前のある日、忽然と姿を消した。多分、人攫いに拉致された」


「人攫いなんているの?」


「ああ、奴隷商に売り飛ばすんだよ。特に月の民は、気立てのいい奴が多いから需要がある。あまり深く考えずに、言われた仕事を素直にこなす奴ばっかだからな」


 そういえばクオンとシオンも、従者という立ち位置である。月影読みの世話係として、あんなに小さいのに、健気に家事をこなしている。

 フレイも、魚の揚げ物に手を伸ばした。


「まあ奴隷商に売られるのは月の民に限った話じゃねえけどな。大地の民だって、領主の管理が行き届いてない地域なんかは特に、貧乏人が口減らしのために子供を人買いに売る。もっと酷ければ、無銭で人を連れ去る人攫いが標的を探してる」


「結構、治安悪いな」


「表向きは、奴隷制度を認めてる都市なんぞもうどこにも残ってない。だが社会の裏では、違法の奴隷商がのさばってやがるんだよ」


 この世界の苦い部分が、矢継ぎ早に突き刺さってくる。


「じゃあクオンとシオンは、父親も母親も……」


「そうだよ。だから俺は、ラグネルの幼馴染みとして、双子の面倒を見てきた。この仕事をしてるのも、あの双子を見守るため。そして、ラグネルとサリアの無念を晴らすためだ」


 出会い頭での、フレイの様子を思い出す。クオンとシオンの親のように接していた彼だから、彼女たちを守ろうとする責任感が強かった。彗星の如く現れた俺を、真っ先に威嚇するのも納得だ。

 喧嘩っ早くて攻撃的なこの男を、クオンとシオンは「優しい」と言って懐いている。彼がどれほど、ふたりに丁寧に接してきたか伝わってくる。


 フレイは目を伏せ、グラスを口に運んだ。


「ラグネルが死んで、双子は施設へ行くことになった。しかし施設は、月の都にはない。大地の国へ出なくちゃならない。月の民が大地の国の施設に入れば、十中八九いじめられる。かといって、今の法の定めだと役人は月の民を養子にとることはできず、俺が引き取ってやることもできなかった」


 苦い思い出を口にしたくないのか、酔いが回ってきたのか。フレイの口調は、やけに訥々としていた。


「そこで名乗りを上げたのがセレーネだ」


 セレーネ。月影読みの名だ。


「月影読みの従者として双子を雇う形で、事実上の里親になったんだ。従者をしていれば、家事なんかの生活に必要な技術も、自ずと身につくしな。俺も、セレーネとは公私ともに親交があったから、あいつなら信用できた」


 事情をいろいろと把握できてきた。フレイはそこで一旦、言葉を切る。ゆっくりまばたきをして、深く息を吐き、覚悟を決めるように目を上げた。


「イチヤ。お前はそのセレーネの代わりとして、あそこに立たされてる。その自覚はあるか?」


「……へ」


 俺は間抜けな声を出し、食べかけの揚げ物を止めた。フレイがもう一度深呼吸する。


「お前は月影読みとして、役場に認められてはいる。一応大地の国の王国議会にも書類は回るが、ほぼノーチェックで承認する。結構こっち任せなんだよ、あいつらは」


 俺はひと口、魚を口に含んだ。月の民の生活を守り、尊敬される、月影読み。身寄りのない双子を引き取った、その人。

 その代わりが、俺に務まるだろうか。


「フレイは、俺に任せられる?」


「られるわけねえだろ。どこの馬の骨とも分からない、自称記憶喪失のガキだぞ。便宜上といえど、最高地位の賢者の称号を、お前なんかに任せたくねえわ」


 かなり真っ当な意見である。俺自身だって、そう思う。月影読みの代理なんて、シオンがその場を取り繕うために咄嗟に言ったことであって、俺はそんな器ではない。

 これ以上引っ込みがつかなくなる前に、真実を打ち明けてしまおうか。だが書類にサインしてしまった以上、罪には問われて刑を課せられる。境遇を説明するのも難しい。

 悶々としている内に、フレイがまた、口を開いた。


「だが、お前を天文台に置いておくのは、悪くない」


「……信頼ないんじゃないの?」


「お前、街で暴れてた大地の民の御者から、月の民を庇おうとしたんだってな」


 今日の、幌馬車の出来事だ。フレイがテーブルに肘をつき、指を組む。


「何者なのかははっきりしねえが、お前が月の民に対して真摯に向き合ってる気持ちは本物みてえだからよ。そこは、信じてやってもいい」


 どうやら俺は、フレイの信頼を勝ち取ったみたいだ。俺は手元の酒に目を落とす。もしかしてフレイは、それを俺に素直に伝えるのに抵抗があったから、酒の力を借りたのか。そのためにわざわざ、酒場へ俺を連れ出したのか。


 フレイは追加の酒を注文して、再び俺に向き直った。


「それに、双子には保護者は必要だ」


 ガキだからな、と彼は続けた。


「お前もガキだが、もっと幼い双子のふたりだけにしておくよりはいい。あいつらが危険な目に遭いそうだったら、お前が体張って守れ」


 それは、構わない。俺に月影読みの仕事は荷が重いけれど、双子の身になにかあるとすれば、俺が盾になる。あの子たちは、俺を助けてくれた恩人だ。


「分かった」


 テーブルの脇に、酒の載った盆を持って、月の民の女の人がやってきた。肌の露出が多いワンピース姿に、クリーム色の耳の人である。彼女がフレイの前に、追加のグラスを置く。


「どの道セレーネは、次の満月までに帰ってくる。そうでないと困る」


 フレイがそのグラスを手に取る。


「お前を代理に置くのは、それまでの数日間だけだ。とはいえ俺は、お前を信じ切ってるわけじゃねえ。少しでも妙な動きがあったらぶっ潰す」


「分かった分かった。ああ、早くセレーネ帰ってこないかな」


 月影読みなんていう重大な地位に立たされる緊張感や、月の民のために必要な月の雫のこととか、色んな意味で、セレーネがいてくれないと困る。


「そのセレーネって人は……どこ行ったんだ?」


「どこ行ったんだろうな。昔から放浪癖のある奴だったが、仕事も双子も、何日も放っておくほど無責任な奴じゃないと思ってた。今、俺も仕事の合間に足取りを探ってるところだ」


 フレイはカッと一気にグラスを傾け、酒を飲み干した。カラになったグラスを、テーブルに叩きつける。


「お前も飲め。自分ばっかり素面で聞いてんじゃねえ」


「だから、飲めないって……」


 拒む俺を無視して、フレイはさらに追加の酒を頼んだ。クリーム色の耳のおねえさんが、はあいと返事をする。

 窓の外に、白っぽい月が見える。満月から若干削れた、不格好な月だ。俺は月を眺めて息をついた。


「どこへ消えたんだろう。クオンとシオンを放っておいて、心配じゃないのかな。両親がいなくなったあの子たちを、咄嗟に保護するような人なのに……」


 クオンとシオンの過去は、衝撃的だった。ふたりとものんびりしていて楽観的だから、そんな雰囲気さえ感じない。

 考えてみたら、あんな幼い子供が従者として働いていること自体に疑問を抱くべきだった。自分が記憶喪失で、社会を把握するのに精一杯で、全く気が回らなかった。


 クリーム色の耳の女の人が、またこちらにやってきた。フレイに新しい酒が運ばれてくる。テーブルに酒を置いたおねえさんは、なぜかすとんと、俺の横に腰を下ろした。


「君、飲んでるう?」


「えっ?」


 戸惑う俺に、おねえさんが顔を近づける。スリットの入ったワンピースから長い尻尾が伸び、俺の脚に絡みついた。尻尾でワンピースが捲れて、太腿を露わになる。

 こちらが絡まれてどぎまぎしているというのに、フレイは全く気にせず、話を続けた。


「クオンとシオンはなあ、あんなに小さいのに苦労してんだよ。これも全て月の民を邪険にする社会のせいだ。あいつらは俺にとっても娘みたいなもんなのによ」


 双子の父親とよほど仲がよかったのか、とても入れ込んでいる様子だ。一方こちらは、お店のおねえさんにぐいぐい迫られている。


「ねえボク。おねえさんと飲まない?」


「奥さんのサリアはな、聡明ないい女だったんだ……」


 つらい思い出を流し込むように、フレイの酒が進む。


「ラグネルの奴……俺の初恋のサリアを奪っておいて……」


 フレイがなにか言っているが、おねえさんがグラスを俺に押し付けてきて、それどころではない。拒絶しようと手を突き出すと、その手を取られ、おねえさんの胸に持っていかれる。柔らかい感触にびくっとすると、おねえさんは一層、嬉しそうに俺を構った。


「かわいー。遊び慣れてないのかしら。大地の民って真面目よね」


「えっ、待って待って! フレイ、フレイー!」


 その後俺は、おねえさんに押し負けて酒を飲んでしまい、アルコールの強さにも押し負けて、気を失った。

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