汐留波瑠華は旅をする

新・リュミエール

プロローグ

大きな神社、アニメの聖地、頂点の禿げた山、東国訛りでしゃべる老人。

私――汐留波瑠華は、ここ埼玉県秩父市で生まれた。なにもここは田舎というわけではない。スーパーもあるし、いっちょ前の美容院もある。チェーンのうどん屋もあるし、マクドナルドもある。ただ少し、老人が多い盆地帯である、というだけの普通の街。


東京に一人暮らししてからというものの、少し上を見上げれば武甲山(秩父の大体どこからでも見える山)があるという光景が少し恋しくなるのだ。高校生の時なんて、この街を出たくて出たくて仕様がなくて大学受験をしたというのに。人間という生き物は、きっとないものねだりをしないと死んでしまう生き物なのだろう。


「……行ってきます」

だれもいないワンルームマンションの一室に向けて挨拶。壁には、「早稲田大学絶対合格!」の自家製ポスター。


東京を走る地下鉄は「東京メトロ」というらしいが、私の最寄り駅は東京メトロの駅なのに埼玉県にある。不思議なものだ。その最寄駅の改札をくぐり、電車を待つ。

ものの数分で電車が来た。そして大都会・新宿まで30分程度で着いた。東京という場所は恐ろしいものだ。


途中、早稲田大学のある駅を通り過ぎる。なぜならここは、私の通っている大学ではないからだ。

大学受験が私に残した爪痕は大きい。うつ病を発症し、私自身の性格も大きくひねくれたものにさせたのが大学受験。

早稲田大学の最寄り駅で、私と同年代の人間が大勢降りていく様を見ると、どうしようもなく殺意が湧いてしまう。こんな私はきっと、社会不適合者なのだろう。


新宿からまた地下鉄を乗り換え、千代田区のとある大学に着く。意識の高そうな海外かぶれの人間が幅を利かせている恐ろしい大学だ。


「はるちゃん、おはよ!」

「ああ、美優香さん、おはようございます」


校門をくぐると、大和田美優香が私の肩をたたいた。「今日も相変わらず髪の毛キレイだねェ」と、彼女は流れるようにお世辞を言う。「あ、ありがとうございます」

「これから授業?」

「ええ、一般教養ですが。美優香さんが前におすすめしていた楽な授業です」

「あー!『毒物入門』ね!あれ楽だよ!」


美優香が自販機の前で「ごめ、ちょっとまって」というので、待つ。授業にはあと20分ほど余裕がある。


「はい!」カップのコーヒー。私にぐっと差し出した。

「え、あ、ども……」


コーヒーは好きだ。でも、この先輩の渡すコーヒーは、少し怖い。

いつも私に構ってくる。サークルで知り合ったのだが、社会不適合者の権化たる私を気にかけてくれる。私に借金の連帯保証人にでもなってもらいたいのだろうか。


「いつでも頼りにしてね!だって私、あなたの先輩なんだもの!」


美優香の、ふんわりとウェーブしたキャラメル色の髪の毛が秋空に映えていた。



授業を終え、帰宅する。特に家でやることもない、無機質な人生。

大学に行き、目的もなく授業を聞き、単位を稼ぎ、帰り、家ではなにもすることなくYoutubeやSNSを徘徊する。

無機質で、普通の――




荷物を玄関奥に放り出し、玄関にかけてあるフルフェイスのヘルメットを取る。バイク用の防寒ジャケットを着込み、髪を後ろで結ぶ。

アパートの階段を下るスピードが、こころなしか早くなる。


「財布よし、スマホよし、免許よし……」


緑色に輝くCT125・ハンターカブ。私を誘い出したのはコイツだ。

座席後ろに取り付けた工具箱に財布やスマホ、化粧品ポーチなどを投げ入れ、セルスイッチを押す。


キュインイン!!!!


ドドドドという静音を震わせ、「さあ俺はいつでも行けるぞ、早く乗れ相棒」と私を急かす。

道案内アプリもいらない。スマホは荷物入れの中だ。

バイクにまたがり、スタンドを払い、ゆっくりスロットルを開ける。


「なあ相棒、今日はどこに行くんだい?」

「さあね、気の赴くままさ。この汐留波瑠華は目的地を決めない。いつもそうしてきただろう?」



灰色の人生に、色がつく。


さて、どこに行こう。

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