第5話 幽霊なんていないよね、いないよね?
えっ、ローデリヒさんナチュラルに同じベッドに滑り込んで来たんですけど。
えっ、ローデリヒさん当たり前の顔して隣で寝転んでるんですけど。
……えっ?どういうこと、これ?
「眠れないのか?」
ちょっと、いやかなり、全く状況が理解出来なくて、石像みたいに微動だにしない私に違和感を覚えたのか、ローデリヒさんは真顔でこちらを見る。
昼間見た海色の瞳は、スタンドライトの優しいオレンジの光に照らされて、まるで夕暮れ時の海の色に変わっていた。
この人、よく見たらまつ毛まで金色だ。
「えっと、眠れないというか、なんでここでローデリヒさんが寝るんですか?」
「一ヵ月ぶりだが、それまでも共寝はしていた。……覚えていないようだな」
一ヵ月ぶりだけど、その前も一緒に寝ていて、それで子供出来る心当たりが一度しかない?
流石に女の私でも思ってしまう。
理性どうなってるの?、と。
同じベッドに若い男女とかもう完全にアレな世界だよね。ローデリヒさん若いのに枯れてるとか?
あ、もしかしてローデリヒさん男の方が好……。
っていうか、どこまで聞いていいのか分からない。デリケートな問題だったらどうしよう。
まず第一に、王太子様ってどういう風に接したらいいか分からない。どこから不敬になるのか分からない。
王太子様とか今まで身近にいるタイプじゃなかったし……いや、そもそも王太子様が身近な所にいる状況って何。一生に一度も無いようなものでしょ。
ビンタしておいて今更感しかないけど。
「嫌か?嫌ならばハッキリと言ってくれ。私は別室で寝るぞ」
「ええと、いえっ、全然一緒に寝れます!そんな事より照明は真っ暗にしないと眠れない派なんです!」
取り敢えず無理矢理誤魔化してみたけれど、どうやら不自然だったようで、ローデリヒさんは眉間に皺を作る。
冷や汗、ダラダラです。
「……暗い所が苦手なんじゃなかったのか?」
「……え?」
何その話。初耳なんだけど。
ローデリヒさんは本当に不思議そうにしながらも、身を起こして照明を消してくれた。
室内が一気に暗くなる。
ちょっと目が慣れてくると、外は意外と月明かりがあるのか分厚いカーテンの隙間から僅かながらに光が入ってきた。
暗いところが苦手だったのか……。
物置とか、押し入れとか、小さい頃狭くて暗いところによくかくれんぼで隠れてた。今でも地味に好きだったりする。
私は暗い所が苦手なんて事はない。
もしかして、お化けが苦手とかああいう……?
いかにも西洋のお屋敷って感じの、レトロでシックな内装だから普通に居そうだもんね。私ホラー系苦手なんだよね〜。
だから、スタンドライト付けてたのかな?
それなら納得の理由なんだけど。意外と私と共通点あるじゃん。
ーーなんて思ってたら、なんかすごい目が覚めてきた。
このお屋敷、意外と築年数は経ってないかもだし、敢えて中世、近世ヨーロッパ的な雰囲気にしたのかもしれないし、ほらアレだよ。
幽霊なんていないよね、……いないよね?
幽霊なんて実際に見たことないし、考えすぎに決まってる。
まず科学的に幽霊の存在は証明されていないことからしてーーめっちゃ怖い。
こういう時に限って、目と耳が冴えてくるからどこからか遠くの虫の音が聞こえてくるような気がする。
そしてこういう時に限って、とてもトイレに行きたくなるのだ。
本当にやめてほしい。自分の事なんだけど。
でもトイレ行きたいし、トイレ行くまでの道のりが果てしなく怖すぎるし、いや本当に怖すぎる。今までどうやってトイレ行ってたっけ?みたいな感じ。怖い。
無理矢理今寝て、翌朝起きて行こうとかいう案も必ず出てくるけど、全く眠れる気がしない。怖い。
散々悩んだ末、隣にそっと小声で話し掛けた。
「…………ローデリヒさん。ローデリヒさん。起きてます?」
「……ん、……なんだ?」
やや寝かかっていたらしいローデリヒさんの声は、少し掠れていた。本当に申し訳ない。
申し訳ないんだけど。
「本当にごめんなさい。とてもトイレに行きたくなっちゃったんですけど、すごく怖いので着いてきてもらえませんか?」
ホラー系駄目な私、もう既に震えてるので助けて欲しい。
不敬とか言ってられないこんなの。
ローデリヒさん本当に半分寝ていたみたいで、上体を起こしてスタンドライトを再びつける。
いきなり明るくなったので眩しかったみたいだ。しばし目を瞬かせていたけれど、慣れてきてから「ああ」と頷いてくれた。
ちなみにトイレは隣の部屋だったりする。でも一部屋が大きいので、ちょっと離れてる感覚。本当にごめんなさい。
ローデリヒさんはベッドから降りると、一度部屋の外に出て廊下の照明を付けてきてくれた。神様に見える。
「起こしちゃってごめんなさい。ありがとうございます」
「礼には及ばない。妊娠中はよく御手洗に行くと聞くからな」
詳しいな。
妊娠というより……、かなり下らない理由だったりするのだけれど。
照明のついた廊下はーーなんというか、更にホラー感が増していた。
壁に燭台らしきものが並んでいて、そこに火が灯っているのだけれど、光源がかなり暗い。
その光に照らされた赤い絨毯と焦げ茶色の壁が、いかにも幽霊住んでますよと言っているかのようなゴシックっぽい雰囲気が出ていた。
泣きそう。
そーっと、ローデリヒさんの後ろに引っ付いてたんだけど、彼は何を思ったのかクルリと私の方へと向き直った。
「両手のひらを出せ」
「え?……はい」
言われてる事の意図が全く掴めなかったのだけれど、大人しく言われた通りにする。ローデリヒさんが私の両手のひらを翳した。
何もない所から、いきなり光が集まり始める。小さな蛍のような淡い光が集まって、ピンポン玉位の大きさの光が私の手のひらの上に現れた。ふわふわと浮かんでいる。
LED電球位の光を放っているけど、形はどう見ても火の玉です。膝が恐怖で笑ってます。
「これなら暗くないだろう」
「ゆ、ゆゆ、ゆうれ……」
真顔で言ったローデリヒさんにブルブル震えながら言ったけれど、ローデリヒさんは眉をひそめた。
「それは魔法だ。初歩の《ライト》という魔法。第一、ゴーストやスケルトンはこの屋敷の敷地内には入ってこれない。魔物避けの結界が張ってあるからな」
「えっ、ゴースト?!存在しているんですか?!」
「当たり前だ……」
マジか、ローデリヒさんオカルト信じてるタイプだったのか……。
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怖すぎてトイレの扉越しにローデリヒさんに喋りかけまくっていた。ローデリヒさんは気長にもちゃんと私に付き合ってくれた。
なんだ、ローデリヒさん良い人じゃん。
高校の数学の先生みたいに愛想ないだけで。
「どうやら魔法に関する知識もごっそり抜けてしまっているみたいだな……」
「まほう?」
ベッドの上で胡座をかいたローデリヒさんは、難しい顔をして腕を組んだ。昼間は髪の毛をセットしていたみたいで、サラサラしてる金髪が乱れている。
「昼間は記憶が混乱している事を演技だと疑ってすまなかった。性格がかなり変わっているが、随分と受け答えもしっかりしているし、アイデンティティも確立していたから誤解していた」
本当は記憶喪失じゃないから、ローデリヒさんの言っていることは間違いじゃない。
本来なら、彼が謝るのは筋違いなんだ。
だけど、私は気付いていた。
お医者さんのジギスムントさんだって、私が記憶が混乱しているのではないかという判断を下した。
違う人の身体に乗り移ってしまったのか、なんなのかは分からない。けど、記憶にある自分とは全く違うこの身体は、
でも、それってどうやって証明すればいい?
私自身ですら分かっていないこの状況を説明するなんて。
そして何よりローデリヒさんが、ゼルマさんが、ジギスムントさんが私の事を異質な目で見て、私の事を排除して、本当のアリサ・セシリア・キルシュライトを取り戻そうとすることが怖かった。
初めて会ったはずなのに、会ったばかりのはずなのに、なんでこんな事を思ってしまうんだろう?
だから、私は嘘をついた。
「大丈夫です。私もまだちょっと混乱していて……、記憶喪失っていう自覚もないですし」
「それだけではない。……子供の事、一瞬でも疑ってすまなかった。その、言い訳にしかならないが、こんなに
ここは怒る所だったのだろうか?悲しんでいた所だったのだろうか?
仮面夫婦っぽい雰囲気があるから、未知数だなあ。
でもね、私にとっては関わってはいるけど他人事なんだよね。
私は達川有紗。
アリサ・セシリア・キルシュライトじゃない。
私の身体がどうなっているのかは分からないけど、はやく戻りたいと思った。
これ以上、この人達に思い入れをしなくて済むうちに。
「大丈夫ですよ。あんまり落ち込まないで下さい。なんならお腹、触ります?」
「……いいのか?」
「お父さんなんでしょう?いいんじゃないですか?」
ローデリヒさんの骨ばった指先が躊躇うようにさまよった。私は彼の手を取って自分の下腹に導いた。
ローデリヒさんは真剣にジッと自身の手を見つめる。ほんの少しだけ、お腹がぽかぽかと温かくなった。
「ーーああ、間違いない。私の子だ」
彼は張り詰めていた息を吐くように、口元を緩める。
穏やかな海の色の瞳は優しげに細められていて、まだまだ若いはずなのに父親のような顔をしていた。
「お腹に手を当てたら分かるんですか?」
「ああ。直接触れなければいけないが、私は魔力を感じ取れるから、魔力で大体誰の子か分かるんだ」
魔力……、未知の世界だ……。
というか、ローデリヒさん王太子様だから跡継ぎとか必要なんだよね……?
じゃあ、今私のお腹にいる子供が跡継ぎになっちゃったりする感じ?
駄目だ。責任重大すぎる。
はやくただの女子高生に戻りたい。
その晩、友達と学校の廊下を走って、数学の先生に一緒に怒られる夢を見た。
彼らを呼びたいのに、どうしても友達と数学の先生の名前が出てこなくて、悲しくて、悔しくて、ほんのちょっと涙が出た。
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