コンビニのケーキですけど
もと
一緒に食べません?
駅まで徒歩13分のワンルーム。フローリング、ユニットバス、クローゼット、ロフト付き。
引っ越し業者のオジサンが帽子を取ってお辞儀、ニコニコと出ていった。
邪魔で縛ってた髪をほどく。
シュシュは腕に、手は腰に。
上下左右グルグルと見回して、もう気に入った。一人暮らしにも慣れたし前の部屋は契約更新しないで引っ越すのもアリかなって思ってた。これは大成功だ。
新しい部屋は新しくてイイね、当たり前か。
電気をつけた瞬間が白くて明るい。
荷物も半分以上捨てたから、持ってきた物は段ボールが2個と棚と家電が少しだけ。全部部屋の隅っこに置いてもらった。
オジサンが内緒のサービスだよと組み立ててくれた新しいベッドもイイ高さかも。実物を見ないでポチッたヤツだったから不安だった。
なんかもう全部大成功だわ。
パッケージの袋を開けただけの、カバーもかけてない布団をバサリ。
うつぶせに倒れる、ボフッ。
気に入った。
テレビもリサイクルショップに売った。自分の呼吸、布団がこすれて布が
遠く遠くにサイレン、これはパトカーだっけ、消防車だっけ、近くはない、ココじゃないから何でもいいか。
犬が吠えてる、たぶん散歩中に出会った犬同士の挨拶。
ハイヒールか硬い靴音が近付いて遠ざかって、なんて穏やかな街、すごく気に入っ……?
……喘ぎ声?
ムクッと起き上がる。
聞こえなくなっちゃった、慌ててもう一回ボフッ、うつぶせ。
聞こえる。
お隣さん? 壁に付けたベッド越しに聞こえるのは女の人の声、まあまあ結構なかなかに派手な喘ぎ声。
「……へえ」
時計は明日出そう。部屋の真ん中に放っておいた携帯はまだ19時半、充電しなきゃ。
へえ、こんな時間から、ふーん。
薄手のピンクのパーカーを羽織って財布だけ持って、とりあえずコンビニ行こう。
まず部屋から出てやるコト、お隣さんのドアの前を忍び足で通る。はい。
階段を降りて夜道を1分、コンビニが近いのも気に入った。
でもこの時間の店員はいまいちかも。ギャルっぽいし適当だわ。私のボサボサ頭からサンダルまで見られた気がする。
一番高い398円のケーキを2個買った。牛乳とコーヒーと夜ご飯のカルボナーラも。
階段を登ってすぐのお隣さん、まだしてるのかな。
このドアの向こう、もう終わったかな。
息を殺して通過、鍵を回す、ドアもムダにゆっくりと閉めて……はあ。
ケーキは冷蔵庫へ、部屋の真ん中に段ボールを移動させてテーブル代わり、熱すぎてラップも触れないカルボナーラを置いて、やっぱりあの店員ヤダな。
明日テーブル買いに行こう。忘れてた、ちょっとイイやつ買おう。パーカーを脱いでクローゼットに放り込む。
ウロウロして無意味にIHヒーターのコンセントをプスッとさしておく。お隣も
春の新生活シーズンに巻き込まれて夕方の引っ越しになった。荷物も少ないしって引き受けてくれた小さな会社のオジサンに感謝しながらカップのコーヒーをひとくち。これも熱いとか何考えてんだろ。
でもこんな時間になったからこそ、お隣のお兄さんには挨拶が出来てる。ちょうど私がこの部屋に着いた時に仕事から帰ってきた所だった。
紺色の無難なスーツ、ギリギリ20代か若い30代ぐらいの無害そうなお兄さん。
こんばんは、どうも、なんて言ってたのに。
カルボナーラはまだ熱い、あの店員ホントもう。横にコーヒーを置いて音を立てないようにベッドに乗る。
聞こえるってコトは聞こえちゃうんだから。なんとなく体をギュッと小さくして耳を澄ませる。
……ああコレなるほどアレだ、ヒトじゃないわ。
もしかしてAVとかそういう動画じゃないの?
気付いた瞬間に着火、遠くにサイレン、これは消防車でも消せない炎。
邪魔しないようにって思ってた。
もし今ピンポンって私が行ったら邪魔? 当然邪魔。
一人でしてる所に女が訪ねて来たら? 邪魔にしかならない。
さっきお帰りだったみたいなので、とか言っちゃったりして? 超邪魔で超迷惑。
段ボールから春物のスカートを引っ張り出す。
ご飯済みました? もし良かったら、つまらない物ですが、っていうかコンビニのケーキなんですけど、あはは、とか言ってみたりして。
一緒に食べません? とか。
普通に気持ち悪いわ、引っ越して来た女がケーキ食べようとか言ってくるの。
ホントは今夜のデザートと明日の朝ご飯にしようと思ってた。2個買ったケーキは何も狙ってなかっイヤイヤもう自分に嘘ついてどうすんの、朝ご飯にはムリがある。
1個は引っ越して来ました宜しくお願いしますって渡して、1個は自分で食べるつもりだった。
彼女が来てるのかと思ってたのに2個はあげないんだ、性格悪いな。私ホント最低。
パンツを脱ぐ。トイレットペーパーとか付いてない? 大丈夫? そんな心配いらないって。でもウェットティッシュで拭いて、新しい下着……要らないか。
『一緒に食べません?』って言えたらラッキー、違う渡せたらラッキー、全然違うって、ドアを開けて出て来てくれたらラッキーぐらいだ。
イイヨって言われたらお邪魔するかココに呼ぶかの二択、ムリって言われたら帰って来るだけ。
もうただの変態じゃん。名前も知らないのに、名前を知ってたからって何か変わるのかな、いやもう……行こう、早くしないと終わっちゃう、途中がいい。
ハアハアしながら出て来るのかな、平気な顔してハイって出てきたりして、そもそも空耳だったりして。
冷蔵庫からケーキを2個、プラスチックのフォークもちゃんと2本入ってる。なんだやるじゃん店員、抱えてサンダルを引っかける。
ガチャガチャと鍵をかけてキーホルダーも何も付けてないのをポケットにしまって、1、2、3、4、5歩。
夜風がスカートの中の素肌を抜ける。
無防備、最低、何してんだろう、気まずくなったら引っ越ししなきゃ、せっかくイイ所なのに。
全部引っくるめた震える指が、隣の部屋のチャイムを鳴らす。
『コンビニのケーキですけど』 おわり。
2022年3月14日 11:35
コンビニのケーキですけど もと @motoguru_maya
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