第11話 トモガラ

「篠月さん、例の男を探しに行かなくていいんですか」


 事務所のソファに浅く腰を掛け、マグカップに注がれたコーヒーをすすった里香がそう言った。「あちっ」里香は猫舌のせいか、コーヒーの一口目は必ずこうなる。舌を出し、念入りにコーヒーに息を吹きかけながら、正面に座る篠月の顔を覗き込んだ。


「私が探しに行かなくても来るよ」


 篠月はコーヒーをテーブルに置くと、扉のほうを見つめた。

 すると言った通りにノックがされる。里香はあまりのタイミングの良さに鳥肌が立った。


「入りたまえ」


 篠月は落ち着いた様子で、そう言った。


「なぜ彼が来ることを知っていたんですか」


 里香が小声で問いかけると、目線だけ移し、ささやかな声で説明する。


「知っていたわけでは無い。ただそう思っただけだ」


「それにしてもタイミングが良すぎませんか」


「これも運命の導きかもしれんな」


 木造のシックな扉が開かれる。高級な絨毯には似合わない汚れたスニーカーを履いた男が姿を現した。男は落ち着きがなく、事務所の内装を満遍なく見ていた。

 挙動不審な態度に見かねた篠月が一声かける。


「そこのソファに座りたまえ」


 その言葉と同時に里香はマグカップを持って、篠月の隣に移動した。


 四方田は戸惑っていた。想像した場所とは少し異なっていたからだ。てっきり事務所の中には組の看板が掲げられており、パーテーションで区切られた奥からは怒号が飛び交う、神棚に置かれた日本刀はどう考えても法律に触れている。そんな場所だと思っていた。

 しかしここはどうだ。内装はまるでイギリス映画で出てくるような高級感がある。昨日出会った女の隣に座る男は闇金のチンピラと違う。無駄な装飾品は着けておらず、高貴な振る舞いで実に紳士的だ。

 示されたソファはふわふわしていて、腰かけると体が沈んだ。


「ここはどういう場所なんだ?」


 里香と篠月の顔を交互に見ながら言った。無礼千万ながら、挨拶もなしに言葉が転がり出た。


「昨日あたしが言った通りの場所よ。存在を消し去ることが出来る」


「それは戸籍上とかそういうことだろ。仮に俺がこの世界に居なかったことになったとして、その事実だけは独り歩きして残り続ける」


 臓器を売り飛ばされることを考え、想像のままに言った。だが篠月の答えは予想とはかけ離れたものだった。


「戸籍はもちろんだが、君に関連した記憶もこの世界から抹消される。例えば君の両親は君を生まなかったことになるし、君の友人は君と出会わなかったことになる。君が生まれた時間そのものが全て無かったことになるということだ」


「あり得ないだろそんなこと……」


「ただその現象を〝不可思議〟としか表現できない。発展した現代医療や量子力学でも推し量ることができない。そんなあり得ないことは存在する」


 四方田はじっと目を凝視したまま、沈黙した。生唾を飲み込む音だけが静まり返った事務所に反響する。


「君が抱えている借金もきれいさっぱり消え去り、金融機関のリストから消える」


「なぜそれを!!」


 四方田は勢いよく立ち上がった。

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