第5話 ウラオモテ

「私嬉しかったんですよ。あの日」


 最初は何のことを話しているのか分からず、香枝の横顔をまじまじと見つめてしまった。


「里香が私の知らない人と関りを持ったのはこれが初めてでしたから」


 香枝はそう言いながら実に切なそうな表情を見せた。真正面にぼんやりと浮かぶ満月の明かりが顔を照らし、目も輝いていた。


「君のほうが表に出ていることは多いんだね」


「ええ、大半は私がこの体を使っています。でも私は里香にもっとこの世界を堪能してほしい。友達を作ってほしい。恋愛だってしてほしい。だから最初は少し驚いたけど、篠月さんに会えて本当に良かったと思いました」


 篠月は手を翻しながら、否定した。


「私はただのカウンセラーに過ぎないよ」


「それでもいいと思うんです。里香が自分で考えて行動し、そして自分で新しい出会いを見つけた。仮にそれが事務的なものだったとしても私は嬉しいです」


 純朴な言葉の数々、二人は互いを認め合い、愛している。だが二人がその存在を肌で感じることできない。その口で思いを伝えることは出来ない。きっとそんな思いやりは互いに拒絶する。

 思いは交錯せず、ずっと平行線のまま続いていく。


「君と話していると私もなんだか楽しい気分になるよ」


 篠月がそう言うと、やけに驚いた顔を見せた。


「ありがとうございます」


 話しているうちに事務所が近づいてきた。次の突き当りで二人は分かれる。カーブミラーの前で立ち止まり、顔を見合わせた。


「私はこっちだ。今日は色々な話が聞けてよかったよ。君も気を付けて帰るんだよ」


「私こそ。さすがカウンセラーですね。なんだが話がポンポン出てきちゃって、篠月さん、本当に聞き上手ですよ」


「照れるな。そんなことを言われるのは初めだ」


「自信持ってください」


「君もな」


 篠月がそう言うと、香枝はにこやかに笑った。軽く会釈をすると、振り返り、レジ袋を揺らしながら背中を見せた。まるで駄菓子屋帰りの子供のように浮足立った歩きかたでどんどん小さくなっていく。

 篠月はカーブミラーを見つめる。そこには湾曲した自分の姿が映っていた。見慣れた顔、うまく笑えない口を指を当て、無理やり笑顔を作った。

 人はどれだけ嘘をつけば綺麗な造り笑顔が出来るのだろうか。一個や二個の嘘ではこれがくらいが限界だった。


 それから一週間が経った。

 カーテンの隙間から入って来る光でスマホのアラームよりも先に目が覚めた。ベッドのわきに置いてあったスマホから充電器を抜き取り、画面を見つめる。朝七時、気だるい目覚めだった。

 重たい体を持ち上げ、大きな溜息をつく。首をもたげて、生が実感できる関節の軋みに現実が知らされた。

 ベッドから降り、机に向かう。里香の日記ページに付箋が貼ってあり、そのページを開くと名刺がクリップで留められていた。

 ずきずきする頭を押さえ、奥歯を噛み締める。


「……ごめん」


 そう呟くと、日記のページに手を突いた。

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