第512話


 さすがのお嬢様もこれには開いた口が塞がらないのか、驚きに身を固めている。


 たぶんなのだが……お嬢様的には、ここに来ればそれだけで秘密裏に街を抜けられると思っていたのだろう。


 つまりこの対応は予想外ということだ。


 ……どういう説明を受けていたのか気になるところではあるが、お嬢様が嘘をついているとは思えない。


 というか入口の遣り取りからして間違いない気がする。


 ……その叔父様とやらの性格を考えると、少しばかり巫山戯ていた可能性もあるが……。


 しかし――――違うな。


 慣れ親しんだ雰囲気が、これがお嬢様の手違いではないことを俺に訴えている。


 侮りだ。


 こちらを下に見ているという空気が……ナメられることに関しては一家言をモテる村人プライオリティが、低く見られているのだと教えてくれている。


 


「――――話、それだけか?」


 お嬢様が押し黙ってしまったことで会話を畳みに掛かる逆さ顔。


 ユラユラと前後に揺れている体は、こちらの話を真面目に聞く気がないというポーズと挑発を兼ねたものだった。


「…………ビビってるなら、ビビってるって言えばいいのに」


 なのでこちらもボソッと挑発を返した。


 ピタリと動くのは止めた逆さ顔が、ゆっくりと体を起こしたばかりか……椅子を回して斜めに向き直ってきた。


 ナメた態度をとるくせに、ナメられるのは嫌か?


 好都合だ。


 お嬢様が驚きに呟く。


「チャ、チャノス?」


 誰だろうチャノス? 知らない名前だ。


 少なくとも俺のことじゃないな。


 俺の名前はレライト――――デリカシーの無い男だ。


 だから言うね。


「随分と優秀な耳を持つのようで……。危機管理能力も高いんだな? そのうえお上品だと来てる。わざわざ遠回しに断わって来なくても、『目をつけられるのが怖いから嫌です』って言ってくれれば無理強いはしないぞ?」


 ガン! という荒々しい音を立てて椅子が倒れた。


 きっとバランスを保てなかったんだな、変な座り方のせいだろう。


 お嬢様の手を引いて通路の方へ押し込むと前に出た。


 に街を出る事が出来るということは、入ることも出来るということだ。


 それだけでコイツラがどういう裏稼業の人間か分かる。


 密入国……もしくは遣り取りしづらいを取り扱う密輸屋といったところだろう。


 もはや殺気を露わに睨みつけてくる椅子の男に、お嬢様の背を押しながら踵を返した。


 直ぐさま背中に声が掛かる。


「……何処に行く気だ?」


 何処って……。


 振り向いて言う。


「イーストルードだが? お前がアドバイスしてくれたんじゃないか……。ああ、ありがとう。馬車か、もしくは泳いで行くよ。……良いアイデアだな?」


 言い終える前に殴り掛かってきた。


 正面から拳を受ける。


 喧嘩慣れしてそうな最短距離を突いてきた拳を頬で受け止め――――カウンターの要領でお返しをくれてやった。


 同じく頬にめり込ませた拳を、より早く振り切る。


 派手に体を回転させて飛んだ椅子の男は、テーブルの上に置いてあった食器やら酒瓶を巻き込みながら部屋の反対側まで滑っていった。


 気色ばむ密航屋共に笑顔で告げる。


「喧嘩の仕方まで教えてくれるなんて……アフターケアも万全なんだな?」


 ガチャガチャと得物を出されたのも仕方ないことだろう。


 よし、やったろう。


 憂さ晴らしとを兼ねた喧嘩だ。


「――――待て」


 一触即発の空気に水を掛けたのは、顎髭が豊富な爺さんだった。


 椅子男がぶっ飛ばされてるのに唯一ピクリともしなかった爺さんだ。


 片眼に眼帯、両手で杖を突いて座っている。


 近くに立つスキンヘッドの肌黒い男が爺さんに声を掛ける。


「お頭」


 ああ……そんな雰囲気だな、確かに。


「お前じゃ無理だ。無駄な体力使うんじゃねえ」


 その一言だけで――手に持った得物を離させるどころか殺気だった空気まで吹き消してしまった。


 特に反論らしい反論もなく一瞬で鎮火だ。


 ……大した統率力じゃねえか。


 余計なことしやがって。


 貫禄のある仕草で、片眼爺がこちらを見てくる。


「兄さんよぉ……勘弁してくれねえか? こっちも商売だ。は知らねえ。そういうもんだろう?」


 それでこちらとしては堪らないんですけどね?


 背中をグイグイと引かれる。


 首だけで振り返ると訝しげな表情のお嬢様が訊いてくる。


「……どういうこと?」


「……つまりコイツラが、あの刺客共を密入国させたってことです」


 そう、何も密航屋を使うのはお嬢様だけじゃないということだ。


 どうも帝国では忌避されているアニマノイズを、どうやってこの国に入れたのか疑問だった。


 勿論、ここじゃない可能性もある。


 他の方法だってあっただろう。


 ただ……危機感知というか、どうにもが気になったのだ。


 今は多少傷んだ見た目をしているお嬢様だが、これでも立派な貴族である。


 そのお嬢様にして、随分とけんもほろろな対応。


 これはこちらのと感じさせた。


 知っているということは……こちら側か向こう側、もしくはだと予想出来た。


 どちらにしてもという手段を一つ潰せるならと喧嘩を吹っ掛けたのだが……。


 目論見は年の功により潰えた。


 ……バレない事が寛容だったのに。


 こちらの思惑を見抜くように眼帯爺さんが告げてくる。


「そういうこった。見たところ、兄さん強ぇや。……でも良くねえんだろ? 今なら見なかったことにしとくぜ?」


「……全員ぶっ飛ばせば関係なくないか?」


「それが意味ないことは、兄さんがよく分かってんだろ? 儂ら全員殺したところで、相手にゃ伝わる。ぇれや」


 ああ、やっぱり……クソ、何か通信伝達手段があるんだな?


 ――――なら予定変更だ。


 ポケットの奥にあった重みを掴むとテーブルの上へ放った。


 小袋から転び出た金針が輝く。


「イーストルードまで二人だ。密航を頼む。おたくらが気にしてるのは、こっちの敵を運んでしまったことで生まれる俺達の反感だろ? 既に『片棒担いだ』っていう……。それなら大丈夫だ。気にしてない。椅子男そいつはあれだぞ? 一発は一発って法則に則っただけだから」


 テーブルの上に広がる金針に、まるで気を取られることなくこちらの意図を見透かそうと見つめてくる眼帯爺に後押しの言葉を放つ。


「どうした? ただの商売だ。気にしなくていい。後のことは知らない――そういうもんだろう?」


 爺さんは短く溜め息を吐き出した。


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