第486話
うーーーわっ…………もっくもくやでぇ。
濛々と立ち昇る白煙が胃の中を占めていた。
僅かに流れてくるいい匂いに、食事前だったのなら反応が出来たのかもしれない。
しかし今となったら食欲よりも疑問の方が先に着く。
間違いなく焼けている……と思う。
どういう状況だろうか?
胃もたれにしては豪快な景色に、食われた側の俺達としては啞然とすることしか出来なかった。
……よっぽどストレスが溜まる環境だったのかなぁ?
だとしたら転職をお勧めする。
次はもっと小さい生物で頼むな。
これだけ胃の中が焦げ臭い状況だというのに、先程までの暴れっぷりは何だったのかと言いたくなるぐらい
お陰様で先方からのノーリアクションに、こちらとしても対応が分からずに困っていた。
どうしたらいいのか分からないのは俺だけではないようで、ポカンとした表情のオジサン連中にお貴族様も……どうやら予想外の状況らしく動きがない。
正答が分からないながらも、とりあえずと皆に声を掛ける。
「あの……念の為、もう少し下がりませんか? 煙が当たらない位置まで……」
既に胃壁の近くにいるのだが、せめてもの抵抗と煙が当たらないように下がることを提案。
しかし上のスペースが膨大なせいか、煙がこちらへと逸れてくる気配はない。
あくまで念の為……というか、どう対応していいのか分からない為に出た会話への切っ掛け作りだったりする。
煙も、肉を焼いた時はここまで濃くないような気がしたので……毒煙だったら嫌だよなぁ、というなんとも曖昧な根拠に基づいた避難の提案である。
返答は無かった。
混沌とした空気に無言の反応――
誰もが混乱していることが窺えた。
『鯨に何かが起こっている』というのは、もう疑いようのない共通の認識だろう。
しかしながらそれが自分達にとってプラスなのかマイナスなのかが分からない。
普通なら、それこそ転げ回って暴れ出されそうな異常なのだが……?
どんどんと嵩を減らしていく胃酸の海は、既にここからじゃ見えなくなるぐらいに水位を落としていた。
「……死んだんじゃない?」
ポツリ呟いたのはお嬢様だ。
しっかりと伸ばされた足でピンクの大地を踏み付けているが、未だにグーに固定された手をポニテが解きほぐしている最中に事が起こったせいか、そのままの体勢である。
そうしてるとキャーキャー言い合ってる女子ズに見えなくもない。
実際はキャーキャーなんて言わなかったけども。
誰かに向けられたわけじゃなさそうな呟きは、しかし真理を突いてそうではあった。
死んだのなら胃が焼けているというのに無反応なのも分かる。
……でも激痛を我慢するために身動ぎしなくなることもあるしなぁ。
お嬢様も別に確信があるわけじゃなかったのだろう、呟きには疑問が混じっていた。
しかしそこはこの場に於ける最高権力者の言葉。
事実かどうかは置いといて、『それなら……』と続く言葉をオジサン連中の誰かが放つ。
「い、今なら……出られるんじゃねえかな? 外に……」
……確かに。
もし本当に鯨が死んでいるのなら、時間は掛かるだろうけど穴を掘って進むことが可能だろう。
しかしそれは本当に死んでいるのなら、だ。
鯨にとっちゃ爪の先にも満たなかったであろう俺の切り取った肉片とは違い、体の内部から外部へと繋がる穴なんて空ければ、それはもう鯨も暴れてくれることだろう。
……リスクデケぇー。
しかも切り取って早々、例の『膜』とやらは再生されていたので……下手すれば溶かされることなく体に取り込まれてしまうことも考えられる。
それによしんば出れたとしても……実は深海でしたなんてオチが待ってるかもしれないのだ。
少しゆっくりしてかない?
そんな心持ちである。
死んだんなら無害なんだし……。
しかしそんな逃亡者の心理は届かずに、誰かが放った一言からライターさんが白煙の元へと歩き始めた。
そんなライターさんに鉄板さんが声を掛ける。
「おいマックス!」
「大丈夫だ、ちょっと確認するだけだからよ。まさか自分の胃酸で内部から焼けるなんて話は聞いたことなかったけどよ……『膜』の効力が無くなるって話だったしな」
…………そういえばそうだったね。
え? 例の『膜』とやらの効力が無くなったら、自分の体の中にある胃液にも耐えられないの?
びっくり生物過ぎるだろ……。
てっきり免疫不全か何かを予想していた俺としては、鯨がまた暴れ始める可能性をあげたい。
その方が有り得そうじゃない?
念の為、いつでも動けるように両強化を三倍で発動しつつ……先程まで酸の溜まっていた窪みを調べるライターさんを見守った。
焼け焦げた肉の地面を、慎重かつ丁寧に調べている――
恐らくは元『膜』だと思われる焦げた薄皮を持ち上げて、ライターさんが言う。
「……たぶん、もう機能してねえな。焼けたら再生するのが遅れるとかだとしても、こっちの膜も簡単に剥げるからな」
そのまま引っ張って、未だ焦げていない領域の膜も剥がしてライターさんが続けた。
……ええ? これ死んでんの? ……本当に?
どうにも確かめたくなったので、手にした剣で地面を軽く
肉を取った時とは、まるで違う手応えである。
くっつこうとしない膜の存在にも、確かに効力が無くなっていそうだな……と納得出来た。
鯨の死を信じつつある俺に、ライターさんが戻って来て声を掛ける。
「すまんが剣を少し貸してくれねえか? ……壁を掘り進めてみようと思う」
まあ、そうなるよねぇ……。
再び動き始めてお嬢様の指を解きほぐしているポニテからも、この提案に『否』の声があがることはなかった。
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